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シンガポール旅行⑦ 三日目 水の楽園セントーサ島

 このホテルのエレベーター内での喫煙には、千シンガポールドルの罰金が課せられているらしい。

 早朝から昇降ボタン上にでかでかと貼られている警告でこの国の新たなルールをまた一つ知る。千シンガポールドルというとおよそ八百円程度か。確かタクシーに乗る時もシートベルトをつけなければ罰金だったし、うかうかしていると無限に金を取られる国だ。

 足早にエレベーターを降りホテルの外に出ると、シンガポール旅行三日目の朝は抜けるような快晴だった。旅で最も天候を気にしていたこの日がからりと晴れたことで、私も友人も朝から上機嫌だ。早朝とは思えない焼けつくような日差しの強さもこの日ばかりはありがたい。

 前日のバー訪問に引き続き再びラッフルズホテルに紛れ込んだ私と友人は、昨夜同様こそこそと探索を始めた。今回の目的はバーではない。ラッフルズホテル内にあるという、オリジナルグッズを扱うギフトショップだ。
 そこには高品質なラッフルズブランドの品がずらりと取り揃えてあり、中でもカヤジャムという名のジャムがが抜群に美味しいという。なんでもカヤジャムとはココナッツミルクに砂糖や卵を加えコトコトと煮込んだジャムらしく、ココナッツの風味と控えめな甘さが癖になる絶品らしい。日本でこそ馴染みはないもののシンガポールでは大変ポピュラーなジャムらしく、大体のカフェのメニューにはパリッと焼いたトーストにバターとカヤジャムをたっぷりとのせたカヤトーストが掲載されている。

 旅はまさに最終日。食に命をかけている我々がこんなに美味しそうなジャムを買わずに帰国することができようか。
 朝日差し込む美しいラッフルズの中庭を楽しみながら、我々はギフトショップに向かった。

 たどりついたギフトショップは土産物屋というよりもセレクトショップのような小奇麗さだった。シンガポール名産の紅茶や菓子類、小物類はもちろん、昨夜訪れたロングバーに置いてあった袋入りのピーナッツや、注文したカクテル、シンガポールスリリングの素らしきものまである。

「ピーナッツあるじゃん!豆、高っ!もっと食べとくべきだった」
「このべらぼうに高いラッフルズマークの入ったTシャツって誰が買うんだろ。オーナーでも着ないよね…?」

 好き勝手日本語でごちながら店内を見分する我々の前に、ようやく念願の品が現れた。
 どっしりとした瓶に入ったカヤジャムは、ココナッツから作られているので真っ白だろうとの私の予想に反し、緑がかったクリーム色をしていた。

「なんで??ココナッツって白くない??」
「なんか香草とかも一緒に煮込んでジャムにしてるらしいよ」

 私の素朴な疑問にも即座に答えを返す友人。相変わらず驚きの情報量だ。
 ともあれこのカヤジャムの緑は品質不良ではないらしい。一個千円近くとジャムにしては結構な価格だが、ココナッツスイーツを好んで食べ、入浴剤やボディクリームまで一式ココナッツで揃えるほどの無類のココナッツ好きの私からすれば全くの許容範囲内だ。あの甘く癖のある香りと味に、卵のこくと砂糖の甘さがプラスされているのだ。そんなもの美味しいに決まっている。帰国したら毎朝トーストを焼いて、バターとカヤジャムを乗せて幸せな朝食を食べよう。
 私は手に取った二つのジャムを笑顔でレジまで持っていった。もちろんどちらも自分への土産のカヤジャムだ。
 ちなみにこのカヤジャム、帰国してから食べたところ、ココナッツやミルクよりも何より草の味がした。

 一通り土産物を買い終えた私と友人は荷物をホテルに投げおくと、即座に出立し地下鉄へと乗った。最終日である今日は飛行機出発の直前まで過密スケジュールを組んでいる。もたもたしている時間はないのだ。
 謎のショッピングモール内をさ迷い歩き、地下鉄とモノレールを乗り継ぐことしばし、私と友人は燦々と日の降り注ぐセントーサ島に降り立った。


 灼熱のシンガポール。こんな常夏の国に来てマリンアクティビティを体験しない道はない。しかしながら交易の盛んなこの国の海は発着しまくる交易船の影響でそれなりに濁っているらしく、海で泳ぐにはイマイチらしい。そこで登場するのがこのセントーサ島だ。
 シンガポール政府の肝いりで莫大な費用をかけて開発されたこの施設は島丸ごとが南国風の巨大リゾートになっており、ユニバーサルスタジオや巨大水族館、数々の無料のショーにカジノ等、数日かけねば巡り切れない程のアトラクションがぎっしり詰まっているらしい。島の中には複数のホテルもあるため、このセントーサ島に滞在し一日中楽しむことも可能となっている。


 目当てのウォーターパークエリアに着いた我々は、荷物をロッカーに投げ込み水着に着替えると、さっそく流れるプールに飛び込んだ。焼けつくような暑さの中で飛び込む水の冷たさが気持ちいい。

 数分後、私と友人は満面の笑みで水に流されていた。
 …こんなに楽しいことある?
 正直なめていた。流れるプールなら地元の市民センター的なところにもあるし、福岡のそこそこ有名なプールにも何度か行ったことはある。今まで幾度となく流されてきた。このセントーサ島の流れるプールも全長6~700m程あるらしいが、まぁ今まで流されていたのの3倍くらいの時間を流されるのだろうなと思っていた。 

 全然違った。
 こんなに楽しいことある…?
 流れるプールは一定区画ごとにテーマを持ったエリアになっていて、巨大浮き輪に掴まって流されているうちに、気付けば自分が流されているのは周囲に熱帯雨林の生い茂るジャングルの中の川だったり、アトランティスの冒険に出てきそうなエジブトのナイル川だったり、洞窟の中で青く光る海底湖だったり、周囲でエイが一緒に泳いでいるガラス張りのトンネルの中だったりするのだ。とにかくワクワク感が半端じゃない。ちょっとしたタイムトラベラー状態だ。

 「笑顔以外の表情を浮かべられないんやけど。毎秒楽しい。」
 「ほんとずっと楽しい。水に流されてこんなに笑顔になる事ある…?」

 虚ろな目で日々会社勤めを続けているせいで感受性などとうに消え去ったと思っていたがまったくもってそうではなかった。もう心は13歳だ。13歳の夏休みに山奥の滝でできた大きなプールに連れて行ってもらい、流しそうめんをしてラムネを飲んだあの時のワクワク感が高齢の心に取り戻されている。こんなに開放的で、心の底からただただ楽しい気持ちになることってある…?真面目な話、人生に倦んで薬物とかに手を出しそうな人はその前に一度ここにきて水に流されて欲しい。

 大はしゃぎで流され続けること数十分。なんなら永遠に流されていてもよかったのだが、若干の未練を残しつつも私と友人はこの流れるプールを出ることにした。最終日である今日はいつにも増したぎちぎちスケジュールのため、ここには昼過ぎくらいまでしかいられないのだ。いくら流れるプールが最高に楽しいとはいえ、せっかくなら他の珍しいプール達も体験しておきたい。

 水からあがった私と友人は、次なる目的地レインボーリーフへと向かった。
 レインボーリーフとは2万匹の熱帯魚が泳ぐプールの中でシュノーケリングが楽しめるというアトラクションのことで、驚くことに体験料は無料らしい。流れるプールで使用した巨大浮き輪等も無料で借り放題だったし、セントーサ島は入場料は高いが一度入ってしまえば普通ならオプション料がとられそうなところも全て無料の大盤振る舞い仕様のようだ。

 レインボーリーフの前にはすでに人だかりができており、近寄るとライフジャケットとシュノーケルを渡された。どうやら数人で一チームを組まされるようで、横に並んでプールのへりに腰かけ、水を浴びるよう指示される。

 「なんか緊張してきた…私シュノーケリング初めてなんだよね。」

 一番端に座った友人がぱちゃぱちゃと水を浴びながら小声で話しかけてくる。かくいう私もシュノーケリング経験などほとんどない。ほぼほぼ初心者だ。
 太陽に熱されて半ば温水のようだった流れるプールの水とは違い、レインボーリーフの水はかなり冷たい。少しずつ身体を慣らしていると、私達に腰かけるよう指示していたインストラクターと思しき職員が、ドボンとプールの中に入ってきた。
 職員は全員にシュノーケルセットを装着するよう指示すると、おもむろに一番端にいる友人の前まで泳いでくる。

 「キャンユースウィム?」

 じゃないとここにおらんがな。という基本事項の確認を友人にしだす職員。どうやら端から順番に一人ずつシュノーケルレクチャーが始まるらしい。自分が一番手であることに動揺しつつも慌てて答える友人。

 「イエス!」
 「オゥケイ!ゴー!!」

 嘘やろ。一秒もシュノーケリングの仕方教わってないのにゴー言われた。
 度肝を抜かれた友人の事など意にも介せず、さっさと飛び込むようしきりにジェスチャーを繰り返す職員。泳ぐことはできるけど、初めてだからシュノーケリングの仕方は分からないんです、と伝えるだけの英語力を欠片も持ち合わせていない友人。

 結果は明白だった。友人は半ば滑り落ちるように水の中に入ると、おぼつかないながらもよたよたと泳ぎだした。
 水難事故起きる。
 さすがに少し心配になりながらその様子を見ている私のところに、ばしゃばしゃと職員がやってきた。

 「キャンユースウィム?」
 完全に同じルートに入った。
 「んん~?リトール?」
 「オゥケイ!ゴー!!」

 せめてもの抵抗のあまり上手くは泳げませんよアピールも全く役に立たず、友人と同じ結末を辿る。次の人たちも待ってるし、もう行くしかないか。意を決して水に飛び込む。

 結論から言うと、そこはもう海だった。
 水上から見てもサンゴやら魚やらがあり海底風になっているのは分かっていたが、シュノーケルセットをつけて水中から見てみると、海底風ではなく海底だった。
 南国の海底を大きめの長方形に切り取って、それをずぼっと移設したもの、それがこのプールだ。ほぼディスカバリーチャンネルだ。
 水は恐ろしく澄んでいるため水底まではっきりと見えるが、水深は3メートル以上はあるだろうか、思ったよりもずっと深く、高所恐怖症の私は正直恐怖すら覚える。今手首に巻いているブレスレットも、落としたら2度と回収不能だろう。
 底一面に敷き詰められているサンゴ礁たちも、自然そのままといった具合で山脈のような凹凸があり、その陰から色鮮やかな熱帯魚たちが見え隠れしている。水深の深いところを泳ぐ魚もいれば比較的浅いところを泳ぐ魚もおり、触れる事すらできそうな位置でそれらを見ることができるのだ。

 自分の呼吸する音と、水をかく音だけが聞こえ、水底まで落ちる太陽の光の中を群れを成すように極彩色の魚たちが泳いでいる。進行方向を確認するために時折水面から顔を上げることで、そういえばここはプールだったなと思い出す。

 「これは凄いわ。これが無料っておかしいやろ。あとでもう一回行こう。」

 水からあがるや否や、水難事故の危機のことは完全に忘れ再訪を決意する友人。けれども私も全く同じ気持ちだった。これが無料とかどうかしている。数千円でも安いクオリティだ。セントーサ島凄い。

 その後波が出るプールやアスレチックのようなプールなど、セントーサ島にある様々な種類のプールを体験し、流れては熱帯魚を見、熱帯魚を見てはまた流されているうちに瞬く間にお昼時になった。

 ガイドブックから事前に得ていた情報では、セントーサ島には屋台街を模したフードコートのような施設、その名もフードストリートがあり、そこでシンガポール名物の数々の料理が食べられるらしい。
 昼時のフードストリートは恐ろしく混んでいた。席をとるのも一苦労だ。シンガポールでは日本と同じく物を置いて席を取る文化があるらしく、みな空いた席にハンカチなりなんなりの私物を置いて料理を注文しに行っている。海外では物を手放した瞬間盗られるのが常識だと思っていたのだが、どうやら本当にシンガポールの治安はいいらしい。

 私も友人も見様見真似でハンカチ席取りを行い、とりあえず地元料理らしい熱されたミニ土鍋に入った鶏肉入りエスニック焼き飯のようなものを注文し、着席した。熱々の状態で提供されたエスニック焼き飯は見るからに香ばしく美味しそうで、食欲をそそる色合いだ。
 やけどに気を付けながら一口食べる。かっちかちだ。明らかに火を通し過ぎていてコメが仏壇に供えた後の状態になっている。ついでに言うなら米と一緒に炒めてあるチキンも仏壇後状態になっており、同じく中に入っているソーセージのような何かは私の舌がおかしくなったのでなければ甘かった。
 どうしたんだ。チリクラブは世界最高クラスで旨いのに、フードコートになるとどうして急にこんな雑な料理になっちゃうんだ?チリクラブと同等に旨いシンガポール料理はもうないのか?それとも私が見つけられていないだけなのか?見落としているのか?食の権化たるこの私が…?

 悶々としている私をよそに、何事にも喜びを見出すタイプの友人はこの仏壇焼き飯にも早速の順応をみせていた。
 「なんかだんだん、この異様に甘いソーセージがもしかして旨いのでは?って気持ちになってきた。」
 「この中でかっちかちじゃない食べ物ソーセージだけやからな。」
 きっと友人は世界中のどの国ででも幸せに生きるだろう。そんな思いと共に口中の水分を全て奪われながら仏壇飯をかき込んだ。

 昼食を終えた我々は、水着から着替え名残惜しいがウォーターパークを後にした。想像の50倍くらい楽しかったので長居をし過ぎてしまい、今日のスケジュールが大幅に押しているのだ。できることならばこの島に一泊し、一日といわず二日くらいは堪能したかった。
 時間は押してはいるものの、せっかくならばセントーサ島を出る前に、最後に1か所寄っておきたいところがあった。先日シンガポール1のがっかりスポット、マーライオン公園で本場のマーライオンを堪能したところだが、セントーサ島にもこれまたシンガポール1でかい巨大マーライオンがあるらしいのだ。ちょうど駅から近くにあることだし、これはもう帰る道すがら寄らない理由はない。

 セントーサ島のマーライオンは想像よりもはるかにでかく、小高い丘の上にあることも相まってその存在は遠くからでもすぐに分かった。高さも数十メートルはあるだろうか、正直先日のマーライオン公園にあった数メートル程度のマーライオン像とは比べ物にならないほどに立派だ。こっちをランドマークにした方がいいのでは?と余計なお世話を焼きたくなる。

 入場料を払い中に入ると、マーライオンの体内はブラックライトで照らされた謎の展示場のようになっていた。体内に地獄を再現した展示がなされている地元の巨大観音像を思い出す。どこの国であれ、人はとにかくでかい像を作った場合、その体内スペースを持て余しとりあえず展示場とするようだ。

 展示の内容は人魚やマーライオンに関するもので、その昔、祖先がマーライオンの導きでこのシンガポールを発見した、これこそがシンガポールの始まりである、というようなニュアンスの壁画のようなムービーが流れだす。
 あれ?シンガポールって華僑の割合がめちゃくちゃ高いから、勝手にマレーシアに住む華僑たちが自分たちに住みよい地域を作るために作った巨大チャイナタウンみたいな国なのかと思ってたがそうじゃなかったのか。マーライオンは天からの使者的な立ち位置だったんだな。そしてこのムービーのほかにある謎の人魚像やめちゃくちゃ不気味な歌詞は何なんだろう。珍しく和訳までついているけど和訳がついてなお全然意味が分からない。人魚の顔も怖すぎる。水中から人魚が呼んだら気をつけろ的な事を言っているが、言われなくてもこんなのが水中から躍り出てきたら失神レベルの緊張状態になる。


 ムービーを見終わりエレベーターでマーライオンの体内を登るとちょうど口の部分に出た。口の部分は展望台のようにセントーサ島が一望できるスポットになっているらしく、牙越しに景色が見渡せる。ここはどちらかというと眺めを楽しむというよりも写真撮影スポットのようで、マーライオンの牙越しの景色の前に並ばせた観光客を係員が流れるように撮影し続けていた。
 私と友人も気が付けば係員にうながされるままに写真を撮ってもらっており、その後流れ作業がごとくマーライオンの口内に設置されていた何の由来も効能もなさそうな願いを唱える鐘を鳴らしていた。

 ちらっとだけ見るつもりが、めちゃくちゃにマーライオンを堪能してしまい、さらに時間が押してしまった。下の売店で買った七色くらい色がまじっているマーブルアイスを食べながら足早に巨大マーライオンを後にする。プールで無心ではしゃぎ続けていたので気付かなかったが、連日の酷使がたたって足腰が限界に近い。数冊のガイドブックを携行している友人は、さっきからずっと「腰が針が刺さったみたいに痛い…」という不吉な感想を述べている。
 ヘルニア発症の疑いがかけられた友人と共にマーライオン像から続く清々しい程にグエル公園をパクったモニュメント通りを抜け、私はセントーサ島を後にした。

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