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朝活day27 人はなぜ物語を求めるのか

いきなりですが、問題です。

ある国の、ある村には、伝統的な雨乞いの踊りがある。それをやると100パーセント雨が降る、と村人が言う。さて、それは一体どんな踊りか?

いかがでしょう。
こちら、「人はなぜ物語を求めるのか」の冒頭の一節です。

答えは最後にしますが、この質問、人が物事を認知する仕組みを端的にあらわしています。

さて、そもそも、人がなにかを「わかる」というのはどういう状態を言うのでしょうか。

例えば、人に怒られたとき。まず多くの皆さん、「なぜ?」と思いますよね。何か怒らせるようなことをしたからかな。ほかに嫌なことでもあったのかな。体調でも悪いのかな。

だって、何も理由なく、その物事が起きるって、怖いから。私たちは無意識に、物事が起きる理由を探して、話の流れを作ろうとします。
そうして、それが、自分にとって納得のいく話の流れだと思えたとき、「わかった」と思えます。例えばさっきの例で、こっぴどく上司から叱られたとき、その上司へ出した書類の数字がほぼ全て間違えていた。これなら、ああ、だから怒ったんだなと思えますよね。

言い換えれば、何か物事が起きたとき、私たちはまず、なぜそのことが起きたのかを考えることで、「物事とその原因の間の、因果関係」そして「物語」を知りたいと思うのです。
私たちはいつも、無意識に、この物語を作り続けています。

ところがこの物語が曲者。さっきの例で、上司が朝パートナーと喧嘩をして、そのあとたいして悪いことをしていないあなたを、ささいなことで叱ってきたらどうでしょう。人によっては、パートナーと喧嘩をしたからと言って、それだけで部下に八つ当たりをするなんて!と思う人もいるのではないでしょうか。そう思うと、こんな事で怒るなんてと、自分の中でネガティヴな感情が湧くかもしれません。

ここで、確かにネガティブな感情が湧くかも…と思った人(私もですが)、そこには、物事を捉えるときに、「こうあるべき」だという一般論を持ってしまっている可能性があります。

この設例なら「プライベートのことと仕事は切り離すべき」とか「叱る時はそのミスの程度に応じて理由があるときだけ叱るべき」とかね。あるいは、「八つ当たりはしてはいけない」とかね。そういう一般論が無意識に自分の中にあるから、上司が怒ったことについて「理由がつかない」とネガティブな感じを抱くのです。

でも、この一般論は、実は客観的な意味での一般論ではなく、「あなたが思う一般論」でしかありません。もし、上記一般論を持っていなければ「パートナーと喧嘩して気分が悪いから怒っちゃったんだな。かわいそう」くらいに思えるかもしれません。


この本は、

私たちは常に、物事になぜ?を考えて物語を作りだしていること
けれど、この物語は、私たちの持つ無意識の一般論に左右されていること
そのことを意識できれば、すこし気持ちが楽になる

ことを教えてくれます。

例えばさっきの設例、さらに進めて、「わたしはプライベートと仕事を切り離すべきと思っているけど、この上司はそういう考えではないんだな」と思うと、最初八つ当たりされていると考えていたときより、少し気持ちが楽になりませんか?

それでは、冒頭のなぞなぞの正解を発表しましょう。ここまで読んで、もうお分かりの方もいらっしゃるかも。

正解は、雨が降るまで踊り続けた、です。


「100パーセント雨が降る」というのは村人の言葉であり、彼らは「踊る」と「雨が降る」の間にストーリーを作ってしまったのです。上記回答が思いつかなかったとしたら、それはあなたのなかに「雨が降るまで踊るなんてありえない」という一般論があったのかも…しれません。

自分の作る物語、見つめなおしてみてはいかがでしょう。

※最後の意地悪
上司とパートナー、上司を男性だと思って想像していませんでしたか?笑

おやすみなさい。

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