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雪害(せつがい)前編


1、家族


 二〇一四年二月。

 都内の自宅から数本の電車とバスを乗り継いで甲府までやって来た。

 甲府駅に着いた頃には街は雪化粧をはじめ、路面も白く染まり始めていた。

 雪は降り続けて、この湯村温泉郷に着いた頃には、あたり一面白一色。

 ホテルにチェックインした後、シングルルームに入って、カバンから粉骨の入った小瓶を取り出し窓際に置くと、私は呟いた。

「お母さん、山梨に着いたよ」

 ベッドの上に寝そべってみる。エアコンの音が静かに鳴っている。まだコートを着た状態で目を閉じ、半年前に亡くなった母のことを思い出してみた。

 二十年前、母に連れられて湯村温泉郷のこのホテルに泊まった。中学生の私と四十歳近くの母、その時はツインルームだったがろうか。

「栞ちゃんママね、パパとお別れすることになったの」

 母は、いつものように甘く甲高い声で思春期の私に言った。

 私の実家は私と父・修。母・麗子。弟・宏。祖母・初枝の五人で構成されていて、父は横浜で会計事務所を営んでいた。

 母は、父の度重なる浮気が発覚したことをきっかけに家を出ることを決意した。無論、私と弟の二人を連れて。

 しかし、祖母が黙っていなかった。修が気に入らないなら一人で出て行けと語気を強めた。

 母との口論の末、祖母は吐き捨てた。

「栞はアンタにくれてやる、でも宏は大事な跡取りなんだから置いてきな」

 このときの祖母の言葉を私は生涯忘れることはないだろう。そのせいだろうか、母に一緒に暮らして欲しいと頼まれたとき、その気持ち応えようと思った。

 私は母から放たれる磁力のようなものに、ときに引き付けられ、ときにそれを引き剥がそうとしていた気がする。

 半年前、母が亡くなるまでは。

 父と別れた母は私を連れて横浜の戸塚にあった家を出て、鎌倉にある母の実家の近くのマンションで暮らした。

 2LDKの部屋、母は近くの百貨店にアルバイトに行き、私は中学校へ通った。

 母と娘二人の生活。母の稼ぎでは生計を立てることはできず。地元で洋菓子工場を経営する母方の祖父母が援助をしてくれていた。

 それからほどなくして、母はアルバイト先の百貨店で、雨宮という男と出会う。百貨店に出入りする宝石の催事業者だった。二人は意気投合して結婚を決意する。

 その雨宮と暮らすため、甲府にやって来たのが二十年前のことであった。

 ふと我に返る、エアコンで屋内は温まっていた、起き上がって窓の外を見る、雪は更に強く降っている。

2、再会


 夕飯にするため、ホテルの外に出たが、この雪では外食も面倒になってしまい、目についたコンビニに寄ってパスタとお茶を買った。

 ホテルへ戻る途中にブルゾンのフードを目深に被った男に声をかけられた。

 顔が確認できない男に気味の悪さを感じる。立ち止まった私に男は近づいてくる。

 一瞬、足がすくんで体が固まった。

 でも、フードの中を覗き込んで見て思わず笑った、懐かしい顔がそこにあったからだ。

 ホテルのロビーにあるソファーに向かい合って中込さんと座る。隣のソファーでは品の良さそうな老夫婦が雪を眺めている。

 フード目深に被っていた中込さんは、市役所が発行するフリーペーパーの取材で湯村温泉郷に来ていたそうで、甲府市市役所観光課の名刺を差し出した。

「甲府ってこんなに雪降りましたっけ」

 バッグに名刺をしまいながら訊くと。

「いや、僕らでも驚いてます。北風乗って雪が舞うことはよくあるんですが、こんなに雪国みたいに降るなんてね」

 中込さんは窓の外に目をやった。

「テレビのお仕事は、どうですか」

 やっぱり聞かれてしまったかと思う。

「ごめんなさい、最近はあまり」

「ショートヘアもう辞めたんですか」

「ええ、チョット気分を変えて」

 私より二つ年下の中込さんは中学の後輩であり、私がタレントになったあとは私の大事なファンの一人でもある。

 度々開かれたサイン会や握手会に彼は足しげく通ってくれた。

 芸能界の仕事がめっきり減った今はトレードマークだったショートヘアを辞め、肩まで伸ばした髪を結んでいる。

「山梨には旅行で来られたんですか」

 私は首を振る。

「旅行ではないんですよ。ちなみに大勢で入るお風呂も好きじゃないから温泉には入らないかな」

 旅番組のレポーターとかやってるクセに温泉は好きじゃない。

「それ、もったいないじゃないですか」

 中込さんが笑いながら言う。私は、話が核心に触れられる前に話題を変える。

「あ、まだスキーやってるんですか」

「やってますよ。最近は専らスノボですけど」

 高校時代スキー部だったらしい。

「四駆の車も買ったんですよ。明日からの週末も滑りに行こうと思ってたんですけど、この雪じゃあ行くのが面倒になりますよ」

 中込さんは、役所に戻るのも忘れてスノボの腕前を聞かせてくれて、それが終わると、中学の思い出話始めた。

3、スナック麗


 シャワーを浴びた後、コンビニで買ったパスタを食べる。

 テレビから流れる夜のニュースがソチオリンピックの結果を伝えていた。

 パスタを食べ終えて、ビニールの袋を縛ってテーブルの下の小さなゴミ箱に捨てると、窓際の小瓶を手に取る。

 指で小瓶をつまむようにして振ってみる粉骨はサラサラと微かに音をたてている。

 二十年前、母は宝石商の雨宮という男と年甲斐もなく大恋愛をして、私はその渦にのみ込まれた。

 雨宮とは結婚したら山梨でスナックを開く約束をしていたらしい。

 母は私の実の父と結婚する前に水商売の経験があった。それが祖母に嫌われた原因の一つなのだが。

 店名は母の名前から一字とってスナック麗と名付けられた。一階がお店で二階が私たち三人の住まいだった。

 開店日、雨宮の連れてきたお客さんたちが続々と来店した。母は蝶の様に店内を舞っていた。

 私もグラスを磨いたり、アイスピックで氷を割って手伝ったものだ。

 山梨に来て、しばらく経っても、血の繋がっていない雨宮という男との生活には慣れなかった。

 時々タンスの中の下着の位置が微妙にズレていることが気になり、お風呂に入っているときに雨宮の足音を聞くと鳥肌が立ってしまう。

 その後、高校に進学してまもなく、私は友達に誘われて行った芸能事務所のオーディションに合格する。

 山梨を離れ東京にある事務所の寮で生活することになった。以後、二十年近くに渡り、雨宮栞の名で芸能生活を送ることになる。

 私は山梨で中二の四月から、高一の夏休みまで約二年半過ごしたことになる。

4、破局


 雨宮と燃えるような恋をした母だったが、その生活は長くは続かなかった。

 もともと雨宮という男は熱しやすく冷めやすい性格だったようだ。

 二年後には宝石商という出張の多い仕事を言い訳にしては自宅に寄り付かなくなり、四年後に離婚した。

 スナック麗は雨宮の実家の宝石会社が出資をしていた。母は雨宮との離婚を期にこの後ろ盾を亡くすことになる。

 以後、一人で経営するのだが、もとより接客は得意だが、経営には無頓着な母は三年前に店を辞める時に多額の負債があることが発覚し、私は若い頃から貯めた貯金を大幅に切り崩し、足りない分は母の兄にお願いした。

 随分迷惑をかけられたが、母のことは放っておけず、その後は私の住む都内のマンションで一緒に暮すことになる。

 小瓶を窓際に戻して、明かりを消してベッドの中に入る。明日に備えて今日は早く寝てしまいたい。そう思って固く目を閉じた。

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