見出し画像

上方で演ってもらいたい、東京の落語三題 無筆日記第三筆

2022年12月25日 日曜日

クリスマス。

今どきのサンタは大変だ。その存在証明を自身でしなくてはならないようだ。こんなツイートがあった。その「サンタ」は、さてどんな生写真をこの娘さんに送ったのだろう。

さて、今日のお題。「上方で演ってもらいたい、東京の落語三題」

東京で今口演されている落語の演目のうち、上方落語をルーツするものは多い。個人的には上方のヴァージョンを換骨奪胎して、その楽しさ・面白さ・笑いのエキスを濃縮した型が多いように思う。

上方落語の面白さを知ると、移植された演目に多少の物足りなさを感じることもある。これは好みかも知れないが、ディテールが省かれたヴァージョンは軽みが強調されているように感じる。

「軽み」が東京落語の面目と言われればたしかにそうなのだが、描写が丁寧で細かいほうが、噺の世界に没入しやすいのは、わかってもらえると思う。

そうは言っても、上方落語にはなくて東京落語にある面白さも当然ながらある。

東京落語のよさは、起承転結、ストーリーがきちっと出来上がり、オチ(サゲ)がストーンと決まるところだ。先は読めてしまうかもしれないが、名人と言われる人たちの高座は、観客を魅了する様式美というか、いわゆる「圓朝物」と言われるものに多いが、セリフのひとつひとつ、言葉の一語一句がきっちりと決まった完成度の高い高座は、誰にも文句は言わせない、という気迫が伝わってくる。

反面、上方落語では、オチに行くまでストーリーが二転三転し、冒頭と落ち近くでは主人公が異なるというネタもザラである。いい加減なようにみえて、個々の噺家の才に基づくこのジェットコースターようなドライブ感は、上方落語特有でファンのみならず、高座で口演する噺家さえ魅了する。

さて、本題。いま上方で演ってもらいたい、東京の落語三題である。

東京落語には、きっちりと決まった型、完成度の高い演目が多い、とは書いたけれど、そうは言っても、上方には決して負けない、破天荒な演目はある。あくまで個人的な主観ではあるけれど、以下に上げてみたい。

  • 夢金
    「夢オチ」の演目は多いけれど、これはその中で一番の傑作。途中で侍もと登場しシリアスな場面もあり、サスペンスも増す(サスペンスのある噺というは上方にはあまりない、かも)。

  • 蛙茶番
    遊雀師匠の型は完全に「18禁」、一朝師匠の型は控えめだけれど、健全な猥雑さがある。

  • 錦の袈裟
    実はこのネタ、東京のものかと思っていたら、元は「袈裟茶屋」という上方のネタという(もっとも導入部は別にして、ほかは構成等ずいぶん異なるらしい)。里帰り(?出戻り?)というかたちで、誰か演らないかな。

(一応これを書く前に、この三題、オリジナルが上方にはないか、今でも上方でも高座に掛かることがないか、調べてみました。「錦の袈裟」を除いて、一応、無い、という前提で記しておきました。もし上方である、どなたかが演っておられる、というのであれば、筆者の確認が不十分だったということです。「錦の袈裟」に関しては、東京はオリジナルの上方の型とだいぶ異なる、ということで、上げておきます。)

この中で、一番好きなのは「錦の袈裟」。与太郎さんが可愛くて、ね。
過去にいろんなひとがやっている。志ん朝、先代柳朝、先代志ん五。。。
最近ではあんまり聴かないなぁ。喬太郎師のは聴いたことがあって、相変わらず、喬太郎節が炸裂している「錦の袈裟」でありました。

しかしおもえば、これ全部「艶噺」で、全てかつては「禁演落語」に指定されていた。それにクリスマスに、こういう噺を選ぶ、自分って…💦



よろしければ、サポートをお願いします。いただいたサポートは会の運営、出演者様への謝礼の一部になります。