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庭にいる雀たちを追い払うための音楽を教えて欲しい

連続休暇が長いと、休み明けの朝が辛い。その苦しみを予見して、今年の夏休みは日程を細かく分割している。今日の午後から明日にかけて、最後の夏休みを迎える。

午前中は仕事、14時に帰宅する。UberEatsの配達ドライバー登録のため、恵比寿のパートナーセンターに向う。会場は盛況。ドライバー希望者が絶え間なく訪れる。20代から30代の男性が多い。貸出用ダブレットで事業内容の説明動画を視聴し、そのあとにスタッフから注意事項の説明を受ける。

例えば、料理を注文場所に配達するが、注文者と連絡が取れなかった場合について。しかるべき方法で再連絡を複数回行い、それでも注文者からの応答が無ければ、配達はそのまま終了して構わないとのこと。報酬もきちんと支払われる。そのうえ、配達した料理は自分で食べても良いし、捨てても良いらしい。注文が成立した時点で利用料金の決済は終了しているので、利用者以外は損がない。あとのことは注文者の自己責任、ということか。配達ドライバーが自転車を停めて、公園のベンチに座り、注文者が食べるはずだった料理をむしゃむしゃ食べている姿を想像する。合理的な仕組みだが、それでいいのかという気持ちと、それでいいのだという気持ちが、脳内でせめぎあう。

最後に、スタッフから料理を運ぶための折り畳み式立方体バッグを受け取る。それでおしまい。

さっそく働いてみようかと思ったが、注文のピークタイムにはまだ早かったので、いやそれは自分に対する言い訳で、本当はまだ心の準備が出来なかったので、貰ったばかりのバッグを背負って、そのまま帰宅する。

まだ陽が高い。読書がしたくなり、ジムに行く。ヴァージニア・ウルフ『波』を読んで、読み終わる。「波は岸辺に砕け散った。」という一文で、全ての幕が閉じた。

訳者、川本静子による解説も良かった。解説の中で、彼女は印象派の画家モネの逸話を引用する。この小説も、つまりはそういうことかと、納得する。

モネが≪庭の女たち≫を制作していたころ、たまたまクールベが彼のアトリエに立ち寄ったときのことである。

 「その時、モネは庭の大きなカンヴァスを出して製作中であったが、絵筆を手にしたまま何もしないでじっと立っているだけであったので、クールベが不審に思ってなぜ描かないのか尋ねると、モネは太陽を覆い隠している雲を指さして、あのせいだと答えた。クールベは笑って、『影の部分はともかく、背景は今でも描けるじゃないか』と言ったが、モネは頑固に黙ったまま、いつまでも太陽が出るのを待っていたと云う。クールベにとっては、太陽の光は、せいぜいすでに存在している世界に「影」をつけるものであったが、モネにとっては、それが世界のすべてだったのである。」(高階秀爾『近代絵画史』上、一九七五年、第六章。)

ヴァージニア・ウルフ(著)川本静子(訳)『波』みすず書房,p.280

訳者の作品評が、この作品の核心を明らかにしている。自分の言葉でこの作品を語り直す気が失せるほど。悔しいけれど。

ウルフにとっての人間存在とは大海の面にひろがる波のようなものであった。波は砕け散って、他の波ととけ合い、大海原に吞み込まれていく。単一の「生」もまた、他の単一の「生」とともに、全一なる「生」の茫洋たる大海原に合流していくのである。それは、現在の数知れぬ単一の「生」ばかりか、過去と未来の数知れぬ単一の「生」をも合して一にする、悠久の「生」の大海原である。<中略>

 『波』の与える最も大きな衝撃は、客体を否定し、知覚意識としての主体の回復を唱えて出発したウルフ美学の極点が、主体の解体であったというアイロニイであろう。『波』ほど、一片の花びらがいま、ここで咲く重みを訴えて止まぬ作品はない。と同時に、認識体としての「自」の崩壊をこれほどまざまざと見せつける作品もない。

ヴァージニア・ウルフ(著)川本静子(訳)『波』みすず書房,P.285-287

夕方、奥さんも帰宅。夕食後、彼女の美容師が薦めていた夜カフェに二人で行ってみる。雑居ビルの2階にある店内は薄暗く、テーブルの上に橙色の間接照明がささやかに灯るばかり。カフェラテを飲みながら昨日の日記を書くが、途中でPCの電源が無くなり、強制終了。

そのあとは、ダンテ『神曲』の続きを読む。第16歌の訳者解説が圧巻。いや、この訳者の解説はいつも圧巻だけれども、この歌の解説パートはもう感動を通り越して笑いがこみ上げる。プロフェッショナルの凄み。溜息が漏れる。この本も、そろそろ読み終わる。

その間、奥さんはスマホで日記を書き始めようとしていた。noteのアカウント登録やアプリの使用方法についていくつか教えたあとは、閉店まで無言で日記を書き続けていた。

深夜に帰宅。『神曲』で印象に残った文章をEvernoteに書き写しながら、菊池成孔の粋な夜電波の過去分の放送をイヤホンで聞く。庭にいる雀たちを追い払うための音楽を教えて欲しい、というリスナーからの悩み相談に対し、菊池成孔がうひゃうひゃ笑いながら選曲した曲をかける。どおおおうんと不穏に響く重低音が流れ始めたかと思うと、昔話に幽霊が登場するときのひゅうううどろどろどろという効果音の、ひゅううううの部分だけを延々と震えさせたような甲高い高音が鳴り始める。妙な気分になる。窓の外の雀が一匹、また一匹とばたばた落ちてくる絵を想像して、少し笑う。曲は、カールハインツ・シュトックハウゼンのオクトフォニー。AmazonもYoutubeも、検索結果はゼロ。深夜2時に寝る。

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