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なぜデザイン思考は(簡単には)機能しないか

会社でデザイン思考の研修をたくさんやってきたしこれからもやる予定である。研修と関係ない場面で時々「実は私デザイン思考が大嫌いでして」と発言してしまうのだが、誰も気にしていないのは面白い。というか私の話など誰も聞いていないのだろうな。

さて

研修をやっているといつもHow might we?でひっかかる。問題領域を決める。これは誰でもできる。ペルソナを作る。真面目すぎる人はここで時間を食うが見本があるのでできる。カスタマージャーニーとか、その人がやりたいこと、やりたくないことを書き出す。ここも問題はない。

ちょっと飛ばすがHow might we ?が決まった後にソリューションのアイディア出しをするのも研修であれば問題ない。現実には日頃からアイディア出しをしたり批判を受けていない人が出すアイディアは「それ今までに20回以上は聞いた」というものか「それが成り立てば苦労はしない」というものなのだが、まずデザイン思考に触れてもらうことが目的なので問うべき問題ではない。

つまり

高い確率でひっかかり講師とかチューターがサポートに入らなければならないのはHow might we?。「どうすれば我々はXXXXできるだろうか」という問いの設定である。

ここでは研修について書いたが、実プロジェクトでもここが蔑ろにされていることが多い。というかほとんどである。この問いが「当たり前」のものになっているとどう感張っても、どんなにプロトタイプ作成に費用をかけようとも結果は凡庸なものになる。

さて

ここで一歩引いて考えよう。なぜHow might we?はかくも難しいのか。他のステップを問題なくこなせる人でもなぜHow might weになると手も足もでなくなるのか?先日ようやく一つの結論に達した。

ゴール創生とゴール達成

この図を見てほしい。サービス、製品がどのように生まれていくかを4っつのフェーズに分けている。(オムロンの竹林さん作成の図から引用)このうち後半の「転結」は「ゴール達成」。設定されたゴールをいかに効率よく、間違えずに達成するかが問われる。そして前半の「起承」はゴール創生。そもそも何を目指すかが問われる。
会社の仕事の95%はゴール達成である。売り上げ目標を達成しろ。そうすればボーナスが上がり、昇進する。ほとんどの会社はそのロジックで動いている。

しかし

重要なのは「そもそも何を目指すのか」を決める「ゴール創生」だと信じる理由がある。もっと言えば日本がこの三十年衰退し続けているのは「ゴール達成」しか考えず「ゴール創生」を軽んじた結果なのだが、それはまた別の機会に。

話を戻す。

「デザイン思考」の中でほとんどのステップはゴール達成である。ペルソナの見本を与えられ、自分たちが考えている問題のペルソナを定義する。設定されたHow might weに対してソリューション案を考える。これはいずれもゴールが設定されておりそれをどうやって達成するかが問われている。

しかし

How might we ?だけは性質が違う。ここだけは「ゴール創生」なのだ。そもそも自分たちがやっていることは何を目指すのか?を定義するのがこのステップ。それゆえにとても難しく、会社で「ゴール達成」しかやってこなかった人はほぼ間違いなくここでつまづく。

ではその「ゴール創生」をうまくやるためにはどうすればいいか?例によって十分条件はわからないが、必要条件ならばいくつかわかっている。一つのキーはEverything everywhere all at once。それは映画の題名だろう、と言われればその通り。しかし一つの鍵は間違いなくこれ。

ともったいぶって書いているが、もちろん私の独創ではない。同じことをもっと明快に述べている人がいる。とはいえ私独自のまとめ方も考えられると思うので、次にはその本を書きます。

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