【小説】水上リフレクション5

第五章【赤文字と将棋】

昨日【華美】を出た後、【アトリエ】で飲み会をした。案の定、千晶は酔っぱらい、散々絡んだあげく美鈴のマンションにいた。
「千晶、もう九時よ」
美鈴の声が前日に続き千晶の耳に響いていた。
「おはよう」
「そこにトースト焼いといたけん、食べなっせ」
「でもとりあえずシャワー浴びてくる」
千晶は下着姿のまま、お風呂へ向おうとした。
「あんた昨日、お風呂入ったけんもういいやん」
「でも、なんだか頭が痛いから、すっきりしたい」
千晶は洗面台の鏡でボサボサの髪を直していた。すると美鈴がやって来て
「今日はそんな時間ないよ」
「何するんだっけ?」
千晶の能天気さに少し呆れた様子で、美鈴は千晶のお尻をポンと叩いた。
「今日は、福岡一般レースの前検日やけん、来週のレースに備えて練習するって言ったやん」
千晶は少し上目使いで思い出すように考えた後
「あぁそうだったね」
「はい、はい。思い出したんやったら早く支度しな。おいてくよ」
「はぁ~い」
千晶は欠伸をしながら答えた。昨日の【華美】での真剣な顔はが嘘のように相変わらずの千晶であった。

十時半に千晶と美鈴はレース場のピットにいた。
「おはよう。久しぶりやな」
現れたのは二人とは同期の清水優喜だ。同い年でやまと学校時代からの付き合いだ。地元も福岡で学校を卒業してからは、よくこのプールで一緒に練習をした。優喜は若手の男子レーサーの中でもそれなりの成績を残しておりG1にも何度か出場している。
清水優喜は久しぶりの美鈴の顔を見ながら言った。
「今日は、千晶の練習に付き合うんだっけ」
「あんたは性格悪いけど、ボートの腕は確かやからね」
「お前は相変わらず口悪りぃな」
美鈴の発言に怪訝な顔で答えるがすぐさま反撃した。
「まぁ、いいや。今日は千晶の練習に付き合うんやろ。美鈴は帰ってもいいんやない。俺一人で十分やし」
美鈴も言い返す。
「千晶をあんたみたいなバカ男と二人にできる訳ないやん。変なことしたらあたしが許さんけんね」
「するかよ!バカ。お前こそ俺に変なことすんなよ」
「はぁ~」
二人のやりとりを見て千晶は笑っていた。この二人は仲が良いのか悪いのかよく分からない。そんな三人を見ながらもう一人、男が近づいて来た。その気配に気づいた優喜が後ろを振り向き、手を挙げて挨拶した。
「よう、和也」
「千晶、紹介しとくわ。東京支部の進藤和也。俺たちと同い年の同期だ」
美鈴が口をはさむ。
「あたしに紹介はないんかよ!」
優喜はそんな美鈴に目もくれずに
「千晶も、知っとるやろ?」
「もちろん。中原千晶です。よろしくお願いします」
「そんな堅苦しい挨拶はなしにしよう。俺は進藤和也。よろしく」
進藤和也はジャニーズのタレントのようにスマートに挨拶した。
「憧れの進藤さんや。あたしは黒木美鈴です」
「黒木さんか。女子レーサーではナンバー1の実力者だね」
進藤和也はボートレース界きっての実力者だ。少し長い黒髪はストレートでかなりのイケメンだ。若手では実力ナンバー1の呼び声が高く、名だたる先輩を押しのけ、今ではSGの常連レーサーである。
美鈴は優喜を押しのけ和也に握手を求めた。和也は快く握手し、続いて千晶とも握手を交わした。
「今日は優喜に頼まれて千晶ちゃんに手を貸しにきたんだ。こんな俺で良ければ何でも聞いてくれ」
美鈴が飛び上がって喜んだ。
「進藤さんに教えてもらう機会なんてあんまないよ。横のバカ男に教えてもらうより絶対ためになるけん」
「なんだと!」
優喜は美鈴に詰め寄ったが美鈴も負けじと、自慢の巨乳で押しのけた。和也が優喜に小声で言った。
「噂以上に千晶ちゃん、かわいいな。びっくりしたよ」
「だろ!でも千晶はダメやからな」
「何が?どういう意味だ」
優喜は和也の方をポンポンと叩いてそっぽを向いた。訳の分からない行動だった。ただ、顔が赤くなっているのに和也は気づいていた。
「あたしはどうですか?」
 美鈴は茶髪を軽く掻き上げながら大きな目で和也に問いかけた。
「あぁ千晶ちゃんに負けず劣らず、かわいいね」その言葉を聞いて優喜が
「かわいい訳ないやん。自慢はその巨乳だけだろ」
その瞬間、美鈴は優喜のおでこをグーで殴った。そして美鈴は和也に
「ごめんなさい。進藤さん。変なとこ見せちゃって」
「いやいいけど。とりあえず何をしようか」 
「私と一緒に走ってもらえませんか?トップの男子レーサーと走ったことないし、私の走りも見て欲しいから」
と千晶は意欲を見せた。
「やっと、やる気スイッチが入ったな。がんばれ千晶」
優喜は不機嫌そうに「俺は何すりゃいいと?」と聞いた。
「あんたは二人が着替えている間、進藤さんのエンジンをボートに取り付けて点検でもしとけばいいと。千晶のはあたしがやるけん」
「ここに呼んでおいてそれかよ。俺も千晶と一緒に走りたいやんか」 
「いちいち、うるさい男やね。早く行くよ」
美鈴は優喜の手を引っ張ってスタートピットへ練習用ボートの準備に行った。
「それじゃあ僕らは着替えてこようか」
「はい」千晶と和也は更衣室へと向かった。

その様子をじっと遠目から見ている女子レーサーがいた。
進藤和也と同じく東京支部の桐原結菜だ。
たまたま来週、福岡で開催される一般競争に出場するため、練習がてらここに来ていた。千晶とはいつも美人女子レーサーランキングで上位を争っている。
「何、中原千晶のやつ、なんで和也と一緒にいんのよ!むかつく!」
そのままブツブツと何かを喋りながら、桐原結菜は奥の控室へと消えて行った。             

 美鈴と優喜は練習用ボートの点検とセッティングをしていた。
「おい、美鈴」
「何?」
「いや。やっぱいいや」
「何なん!言いかけといて気になるやん。男ならちゃんと喋りぃよ」
優喜は少しムッとしたがすぐに下を向いた。
「いや、千晶って好きな人とか、付き合ってる人とかいるんかなぁと思って」
すぐに何かしらの返事が返ってくると思った優喜だったが次の言葉まで美鈴は少しの沈黙を作った。美鈴はエンジンをボートに取り付けながら言った。
「好きな人くらい、いるんじゃない」
「やっぱり、そうか。それって彼氏がいるってことやろ」
「彼氏はおらんよ」
「じゃあ好きな・・・」
優喜の言葉を遮るように美鈴が言った。
「気になるんなら直接、千晶に聞けばいいやん!それか告白してみれば!でもあんたの度胸じゃ無理か」
「うっるせーな!俺はいざって時にはやる男やけんな」
それから二人は会話もなく黙々と作業を続けた。そうこうしているうちに今日の主役の二人が現れた。千晶は赤のカポック、和也は黒のカポックを着用していた。
「それじゃお二人さん、よろしくお願いしまーす」
美鈴の元気な声を合図に二人はヘルメットをかぶり、ボートに乗り込むとエンジンを始動させた。そして勢いよくピットを飛び出してスタートライン手前で止まった。
和也がヘルメットのシールドを開け千晶に声をかけた。
「千晶ちゃんは、スタート感は良いらしいから、今日はその練習はなしだ」
「はい」
「今から俺が走るから俺の横を並走してくれ。1マークが近づいたら、俺の前に出てターンを見せてくれ。思いっ切りやるんだ。いいね」
「分かりました。お願いします」
二人はスタートラインを同時に駆け抜け、第一ターンマークへと向かった。

それからプールを三周して美鈴たちのいるピットへと戻ってきた。和也はボートから降りるとヘルメットを脱いで一息ついた。少し長めのストレートの髪が風に揺れると、モデル並みの雰囲気を醸し出していた。
そして和也が千晶に優しく助言した。
「エンジン整備やペラ調整をしてないから、なんとも言えないけどやっぱり体重が軽い分、直線のスピードは速いね。ただターンに自信がないのか回った後の伸びがない。だからそのスピードを活かしきれていないと思う」
和也は、その後も身振り手振りを織り交ぜて熱心に指導した。千晶は真剣な目で和也の言葉に耳を傾けていた。美鈴と優喜はあまりにも的確な助言に驚いて押し黙っていた。その後も二人は水面に出て何度もターンの練習を繰り返した。飲み込みは早い方ではない千晶だが、美鈴の目には回を増すごとに上達しているように映っていた。
練習を終えると最後に和也は告げた。
「技術面は体に覚えこませるのに時間がかかる。その点メンタル面に関しては考え方さえ変えれば早く向上する可能性があると思う。ただ俺ではまだ、どう説明していいか分からないし役不足のような気がする」
その言葉を聞いて美鈴は目を輝かせていた。
「それなら、うってつけの人物にもう頼んでいます」
そう言って美鈴は観客席下のフェンスに目をやった。
「あの人です。フェンス越しにこちらを見てる三人のおじさんがいるでしょう」
「あのヘンテコな双眼鏡でこっちば見よう、デブのおっさんかぁ」
「違うわよ!」
「走っていて気になってはいたんだけど、あのスーツでビデオを回してる人だろ?」
「だから違うって!」
「あの真ん中にいる背の高い優しそうな方です。何故だかとても親近感があって信頼できそうな人なんです」
千晶は歳三を見ながらそう答えた。
「そうか。じゃぁ僕は千晶ちゃんの技術面を向上させる手伝いに専念するよ」
「ありがとうございます。あたしも頑張ります」
「千晶、なんだか期待できるようになってきたね。絶対G1で一緒に走ろ」
そう言って美鈴は千晶の手を取った。その時、美鈴が目にしたのは千晶の瞳に少しだけ溢れていたものだ。
「あれ、もしかして泣いてんの?」
「ごめん。泣いてちゃダメだよね。でもこんなに私の回りに人が集まってくれて、協力してくれるのなんて初めてだから嬉しくって」
そんな千晶を見て優喜がそっと肩を抱こうとしたが、その前に美鈴の蹴りをお尻に食らい悶絶した。
「とりあえず今日は、これくらいでいいかな。また時間を作るから」
倒れている優喜をよそに和也はクールだった。
「ありがとうございます。次も頑張ります」
「千晶ちゃん、同い年なんだし敬語はやめないか。気楽にいこうよ」
「はい、そうですね」
千晶は口を手の平で隠し、間をおいて苦笑いした。
「もうすぐ次の練習組がくるから、僕たちは着替えてきていいかな」
「いいよ。行ってらっしゃい。あたし達は片付け終わったら控室で待っとくけん」
 美鈴は言われるまでもなく、すでにタメ口で喋っていた。そしてやっと起き上がった優喜が
「いや、俺も着替えに行く。和也、お前だけなんかずるいぞ!」
「あんたは着替える必要ないやろ!それに何がずるいのよ。あんたはなんもしてないんやから早く行くよ」
美鈴は優喜の手を無理やり引っ張り、ボートの片付けに行った。

千晶は更衣室で着替えをしながら考えていた。
(最近、急に忙しくなったなぁ。でもみんな一生懸命だから私も頑張らなくちゃ)
千晶はいろんな人との出会いに感謝をしていた。
(それにしても今日は優喜くんに久しぶりに会えて嬉しかったな)
そんなことを思いながら、グレーのパーカーとジーンズに着替えた。ロッカーに付属している備え付けの鏡で髪を直そうとした。その時、鏡に白い紙が、折りたたんで貼ってあるのに気付いた。最初に更衣室で着替えた時にはなかったものだ。千晶はそれを手に取り中身を確認してみた。そこには殴り書きでこう書いてあった。
《いい気になるな!》
千晶は心臓が止まるくらいドキッとした。それは赤文字で書かれていて不気味だったからだ。千晶は気を落ち着かせ、とりあえずバックにそれをしまった。
(誰だろう?なんか怖い。後で美鈴に相談しよう)

千晶が更衣室を出て控え室へ向かおうとした時、後ろから声がした。
「千晶ちゃん」
「あっ和也君。今日はありがとね」
「お礼はいいよ。それより今日、晩飯でも食べに行かない?奢るから」
「えっ」
千晶は少し驚いた。初対面の人に、食事に誘われたのは初めてだったからだ。
「でも、今日は美鈴と用事があるから」
「美鈴ちゃんとは、いつでも会えるじゃないか。それに俺は来週、平和島開催のG1に出場するんだ。だから明日の便で東京に行かなくちゃならない。その前に千晶ちゃんに教えたいこともいっぱいあるからさ」
千晶はなんとなく断りづらかった。時間を割いて練習にもつきあってもらったし、和也からもっと学びたいことも沢山あったからだ。
千晶はあまり乗り気ではなかったがOKすることにした。
「いいよ。でもお金は割り勘ね」
「OKしてくれて良かった。ただ他のやつには内緒だよ」
「えっ何で」
「何でって、ただ飯を食うだけなのに変な誤解されても困るだろ。特に優喜の奴は」
千晶は優喜の顔を思い浮かべた。確かに優喜は変な誤解するような気がした。
「十七時に博多駅でどう?」
「いいよ」
「着いたら連絡するから電話番号教えてくれる」
「あっ番号ね。080××××××」
そんなやりとりがあったので、千晶はさっきの紙切れのことは忘れてしまっていた。
千晶が控え室に行くと美鈴と優喜が将棋を指しながら待っていた。
「遅いやん。暇やったけん優喜と二回も将棋を指してしまったやん」
「どっちが勝ったの?」
「あたしに決っとるやろ。こんなバカ男に負ける訳ないやん」
優喜は放心状態でジュースを二本、奢らされているようだった。
「今日はどこ行く?あたしキャナルシティに行きたいんよんね。洋服買ってその後食事しよ」
その言葉を聞いて優喜が放心状態から復活した。
「俺も行く!絶対行く!」
「なんであんたも一緒なんよ。早く帰ってAVでも見よけば!」
そんなデリカシーもくそもない美鈴に優喜は声を張り上げた。
「お前は黙ってろ!俺は千晶と一緒に行くったい!」
この時、千晶は優喜や美鈴と一緒の時間を過ごしたかった。しかし和也との約束を守るため断る理由を考えていた。
「ごめん。今日は中学の同窓会があって出席するって言ちゃたんだ」    
美鈴がびっくりしたような顔で問いかけた。
「へぇそうなの?でもあんた、そんなこと言ってなかったやん」
「ここ何日かいろいろあったじゃん。だから忘れてて。さっき友達からのメール見て思い出したんだ」
「そう・・・。それなら仕方ないけど、そのメールは女友達?」
「いや、男子の同級生」
美鈴はにやりと笑って優喜に言った。
「だって」
千晶は嘘をついている自分に嫌悪感を感じていた。それと同時に男子の同級生なんて優喜にまずいことを言ってしまったかなと少し後悔もしながら、ゆっくり優喜の方を見た。
優喜は千晶という太陽を失った萎れたひまわりのようになっていた。
「ごめん。この埋め合わせはするから」
千晶がそう言うと、今度は太陽を浴びた、ひまわりのように優喜はシャンと背筋を伸ばした。
「それってデートの誘い?」
美鈴が頭を後ろから叩く。
「そんな訳なかろうもん。バーカ」
「美鈴、ちょっと言い過ぎよ。優喜君ごめんね、今度三人で食事に行こう」
「マジでっ。分かった。そん時はこの巨乳娘を早く酔い潰してゆっくり飲もう」
「うん」
「(うん)って笑顔でなに言いてんのよ、千晶!」
「あっごめん」
美鈴は少し剥れていた。
「まっいいけど。それより、あんた千晶に感謝しぃよ。あたしと飲めるなんて滅多にないんやけんね」
「はぁ~どっちかって言うと美鈴の方がお邪魔虫なんやけど!」
二人のやりとりを遮るように
「じゃあ、私は行くね」
「気を付けんのよ。あんたは酔うと大変なことになるんやから」
「分かってるって。帰りはまた、美鈴の家に行ってもいい?」
「もちろん。帰る前に電話して」
「分かった」
そう言うと千晶は控室を出て出口へと向かった。
「千晶が泊まりに来るんなら、俺も行っていい?美鈴さん」
「バカ!いいわけないやろ!」
優喜はまた、美鈴の蹴りを食らい悶絶していた。

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