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霊山登拝、雲の鏡

山の麓にいる。眼前には、切り立った崖があり、その手前に、何棟か、神社仏閣のような建築物が建っている。それは、見た事のないもので、日本で言えば神仏習合色が濃いが、海外の要素も入っている。実際、その建物の扁額には、「朝鮮○○○」と書かれている。○の部分は何と書いてあったか覚えていない。

その建物は、少し黒くくすんだような、赤い屋根の建物で、その下の壁は黒っぽい色であった。その下に、真っ白の基礎があり、いわゆる竜宮城のような趣だ。周りにある建物も、白い基礎はなかったが、同じく赤い屋根と黒い壁だった。白い基礎の建物は、これらの建物の中で、ひときわ高いものだった。

これらの建物は、有名な霊山の麓に建っているもので、巡礼の人々は、ここで参拝してから、霊山に登る。私もこれからグループで霊山に登拝するところだった。そのグループの中には、母方の伯父がいた。伯父は、山伏の格好をして、火渡り等を行っている人であるから、霊山に登るという事も、珍しくはないだろう。

そうして連れ立って、森の中を登って行き、中腹のお堂に着いた。お堂は、お土産物屋なども兼ねている。

そこで、連れ立って登っている一行のメンバーの一人と思われる、若い男性と話した。この男性は、私が皇學館大學神道学専攻科に一年通っていた頃、祭式研究部に所属していたが、その部の委員長を務めておられた方で、大変お世話になった方だ。

その方のところに、同行している女性からメールが送られて来たようだ。私のところにも転送して貰って、その画像を見た。冬山登山のような、スキーのような恰好をしている若い女性だったが、私の知らない人物だ。ここで、自分のメールを見るのに、少々システム上の支障があった。

それからまた、いくらか登って行き、山頂なのか、何なのか、よく分からないが、とにかく、大きな鏡の前に座った。その上端は、正座した私の頭よりも高い位置にある程、大きなものだった。いや、それは鏡型の大きな石、「鏡石」だったかもしれない。とにかく鏡は白い靄に覆われていて、むしろ鏡型の白い雲のようにさえ思えた。その白い鏡が、私に何事か語りかけたのだが、それがどういう内容であったのかは覚えていない。

その後、私は鏡の前で寝てしまったのか、母方の祖母と思われる人に、「おいおい、おーい」と肩を叩かれた。そこでハッと目覚めたのだが、それと同時に、現実に目を覚ました。ただ、起きたばかりで寝ぼけていたから、祖母が夢の中で私を起こしたはずなのに、私が現実に起きてしまったのか、それとも本当に現実に目をさせさせる為に起こしたのか、どうなのか、などと考えていたら、また眠くなって来て、寝てしまった。

実は、この夢は、非常に長い時間、二十時間くらい寝ている間に、何度か目だけは覚まして、また眠るということを繰り返している中、続きらしい夢を何度も見たもので、これまで書いて来たシーンにも、実は断絶があるし、忘れてしまったシーンもある。どこでどう、何回断絶したのかも覚えていない。最初の登る前のシーンと、中腹のお堂のシーンとの間に断絶があるのは確かだ、という覚えがある。ただ、本当にそうなのかも、あるいは祖母に起こされた時に、本当に現実に目を覚ましたのかすらも、この文章を書いている今となっては、定かではない。本当は、一度も目覚めなかった可能性もなくはない。

ともかく、この夢にはまだ続きがある。今度は、展望台のようなところに出た。鏡が山頂で、それより下って来たのかどうか、定かではないが、そんな気がする。

感覚としては、地中の中を、トンネルのように、しかもそれが垂直方向に登り降りするような感じで、その展望台に至ったような気がする。だから、展望台から外に出た時は、外があるのかと驚いた。それは東京タワーの展望台から、外に出てみたら、実は高原だったというような驚きだ。

展望台の外は、高原で、木は少なく、草が生えており、耳元をゴウゴウと強風が吹く音が聴こえた。空は曇っていた。それは先の鏡が靄で覆われていたことと関係あるような気がした。そのような気がしたのは、目覚めてからのことかもしれないが。

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夢は以上。非常に長大な睡眠の中で、非常に長大な夢を断続的に見たという感覚があるのだが、それだけに、はっきりとしたメモが残せず、メモを元に再現出来るのはこれくらいが限度である。

上の記述の中で、「伯父は、山伏の格好をして、火渡り等を行っている人であるから、霊山に登るという事も、珍しくはないだろう」という一文、これは、夢の中で思った事ではなくて、この文を書いている今、私が入れた補足である。つまり、現実にそうだということだ。

母方の家は、少々特殊な信仰を持っていて、何代か前、大正時代の頃、若くして亡くなった、どうも霊感あるらしい女性を、家に訪ねてきた行者の助言で、名古屋市郊外、春日井市の山の中腹に祀っており、その供養の為、毎年七月頃、山伏と共に、親族一同で登るという儀式を行っている。その女性は師女龍神という神号を持っており、その神号を書いた奉納旗を布に書いて、登る各家々が奉納する。

そこには先祖の墓が何基か建ち、銅の屋根を載せた祠もある。山伏が、恐らくその師女龍神の墓の前の、最前列で護摩を焚いて、祈祷を行った。私はそのすぐ後ろに座って、読経に合わせて金剛鈴や拍子木を鳴らした事がある。そういう時には、隣に兄が座って、同じように鳴らしていた。

こうしたことを毎年行っていたのは、私が子供の頃だけで、私が中学生になる頃には、もう登らなくなって、伯父の家だけで行っていた。伯父の家は、女の子しかいないが、長女の夫が、今も引き継いでやっているような話を聞くが、どうなっているのか、よく分からない。

ともかく、伯父が山伏の格好で火渡りをしたりしている背景には、このような特殊な家庭事情がある。私も「霊山登拝」をこうして子供の頃から行っていたので、その光景は非常に深く心に焼き付いている。一族では、この行為を「お山に登る」と称している。

私は団地で生まれ育ったので、日本の伝統的宗教行事に触れる機会は、全般的に少なかったのだが、一方で、こうした特殊な事情により、同時代の一般家庭よりも、濃厚に触れるところもあった。夢に出て来た祖母は、この文を書いている、約一年前に亡くなっている。

その祖母が、「お山」に登る途中にある、地蔵像に、持参の菓子を供え、儀式が終わって、山を下りる時には、回収していた事もよく覚えている。祖母は、私に菓子を持たせて、供えさせるということも多く、そうした事を通じて、団地生活者の私も、神仏が少なからず身近な感覚を得た。この夢では、そうした事も思い出した。

私がその後一時期神職として神社に勤めたのも、こうした経験の影響が大きいだろう。皇學館大學神道学専攻科在籍時代にお世話になった、祭式研究部の委員長が、この夢に登場して来たところからして、そうだろう。なお、私はその人と、もう二十年近く会っていないので、もう若い男性ではないが。

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上の写真は山口県下関市、関門海峡に面して建つ赤間神宮である。赤間神宮はこの夢のような山岳に建つ神社ではないが、白い基礎の上に建ち、赤い屋根を持つ竜宮城のような建物、ということで、ヘッダー画像に用いた。屋根の色と建物の色が逆ではあるが。

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