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「この割れきった世界の片隅で」を読んで わたしのふつうとは

この割れ切った世界の片隅で|鈴 #note #ゆたかさって何だろう



上の記事を読んだことをきっかけに、私のふつうとはどのように形成されてきたのかを振り返る。

 私の家族は転勤族で、幼稚園卒業までは、東京の杉並区に住んでいた。父は長期出張が多く、私が5歳か6歳の頃まではずっと中国にいた。

小学生低学年
 横浜の旭区の公立小学校に通った。兄弟の影響で地元のサッカーチームに入った。
 サッカーの試合が終わった後、自分の家まで車で送ってもらうことが嫌だった。なぜなら、自分の家がボロいため、友だちに見られたり、貧乏だと思われるのが嫌だったからだ。築三十年以上で、塗装も剥げているところがあった。しかし、一軒家で、庭や、家とは別に物置小屋などがあり、大きい家であった。
 よくサッカーのシューズや雑誌を親に買ってもらった。友だちに「もう新しいシューズに変えたの?」と言われ、後ろめたい気持ちになることもあった。また、地元の集まりで、子どもが発表する催しがあり、私はそこで発表したあと、緊張のためか泣いてしまった。ご褒美として、サッカーの雑誌を貰ったが嬉しくなかった。それは、となりの子どもが、発表したあとも淡々としており、ご褒美貰わなくて当たり前の表情をしていたためだった。
 ピアノを習ったり、通信教材での勉強をしたり、日記を書くこともしていた。親が褒めてくれたり、日記にコメントを返してくれたりするのが嬉しくて続けていた。

小学校高学年
 4年生から、東京の世田谷区に引っ越し公立の小学校に通った。
 地元のサッカーチームに入った。以前の横浜では、ほとんどが地元のサッカーチームに所属していた。しかし、私の通った世田谷のところは、同じ小学校の中でも、地元のサッカーチームに入っているひとと外部の様々なクラブチームに入っているひとが同じくらいいた。プロのコーチがいたり、良い施設を使えるためか分からないが、クラブチームの方が強いチームが多かった。そのため、学校の中のヒエラルキーもクラブチームにいる人のほうが上、地元のチームにいる人のほうが下という雰囲気がなんとなくあった。私は、それが悔しくて、6年生のころから、クラブチームにも所属した。しかし、技術的についていけなかったり、それが原因か人間関係がうまくいかなくなったりしてサッカーを嫌になった。
 また、5年生のころから、中学受験のために、チームを抜ける人が増えていった。半分以上減っていき、最後の方は、11人に足りないくらいの人数になっていった。なぜ中学受験するのか聞いたら、「強いサッカー部がある学校に行きたいから」と言っていた。

中学
 また引っ越しがあって、東京多摩地域の公立中学校へ通った。
 吹奏楽部に入った。平日は毎日で、土曜日は一日中練習といった感じで、部活動に多くの時間を割いていた。上下関係や挨拶、吹奏楽部流の根性みたいなものを教わった。また、外部からの指導者もおり、音楽について様々なことを教わった。コンクール金賞至上主義といった感じで、選抜があったりした。
 団地に住んでいる人同士で、独特の関係があったが、私には、それがいったいどういうものかよく分からなかった。中学を卒業して7.8年経つが、そういった関係はまだ続いているようだ。それは、参照した記事のようなものかもしれないし、僕の知らない、知ることのできなかった世界なのだろう。
 体育の時間に腕を骨折して、病院で治してもらったことをきっかけに、医学の道に興味を持ち始めた。塾には、中2か中3くらいから週1か2回くらい通っていた。


高校
 偏差値60くらいの中高一貫の都立高校に入学した。中学から入学した人と高校から入学した人では、学力の幅や雰囲気で差があった。
 中学のときにオーケストラを聞いたことをきっかけに、オーケストラ部に入った。楽器も買ってもらった。都内のジュニアオーケストラにも所属した。大学で音楽を勉強している人や、プロで活躍している人などと演奏できる機会が多くあり、これ以上ない恵まれた環境だった。
 医学部に入りたいと思いから、医学部の人の話が聞ける講演会のようなものに行った。どういう塾に行ったか、どういう勉強をしたか、などを聞いた。その後、塾に通いたいことや、医学部に行きたいことを親に言った。学費が非常に高いな私立も可能か聞いた。すべて、大丈夫と言ってくれた。私は、自分の家庭が普通と貧乏の間くらいと思っていたが、違った。塾にも通わせてくれる、私立の医学部にも通っていいと言ってくれる、裕福な家庭だった。通った塾には、名門と言われる私立中学の人が多くいた。心から尊敬できる先生もそこにはいた。

大学(現在)
 一浪の後、都内私立医学部に入学した。ほとんどが、私立中学出身だった。入学した理由も、親が医者で医者になれと言われたからや医者になるのが当たり前と思っていたから、偏差値が高かったから、などがあった。
 勉強量も多く、実習も大変である。また、部活動も盛んであったりする。それらをこなせるのがふつうだ。バイトもしている人はいるが、私はしていない。他の大学の人に話すと驚かれたりして、少し後ろめたく思う。
 短期間であるが、IFMSAという団体を通じて留学をした。日本と留学先での、医師と看護師など医療関係者の人間の違い、他者への敬意の払い方の違い、意見の主張の仕方の違いなどを学んだ
 一生懸命勉強して、良い成績をとり、進級や卒業をして、国家試験に合格し、研修医になり、専門医になるというのが、医学部に在席する多くの人のふつうの目標だ。
 

 これが私のふつうである。
 私はたまたま偶然に、いまの環境にいる。父が世界各国に出張したりすること、サッカーや楽器を演奏するための健康な身体や設備が十分にあったこと、様々な習い事ができたこと、行きたい塾に通えたこと、医学部の人の話を聞ける講演会に行けたこと、私立の医学部に通えていること、勉強に集中できる環境にいること、人を好きになったりできること、様々な目標のために努力できること。そういった自分に後ろめたさを感じるときもある。しかし、偶然、裕福であったりうまくいったりするなら、偶然、貧しかったり失敗した人のために行動すればよいと強く思っている。そして、私はまだまだその後者について知らない。もちろん、病人も後者に含まれるだろう。しかし、それだけではないのだ。記事にあるように、〈自分の見ている世界を疑い、謙虚になること。常に相手の背景を受け入れようとすること。自分が生んだ成果はすべて自分の努力のお陰だなんて思わないこと。〉ということを、自分は、「世界の中心だと勘違いされている超少数」という認識を持つことが大切なのだ。

2020/08/14 一部訂正

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