僕とあなたの関係

 人と人の関係を表す言葉はいくつかある。友達、家族、彼氏彼女、知人、同僚などだ。その意味が比較的分かりやすいものもあれば、分かりにくいものもある。よく議論されるテーマには、友達の定義がある。また互いが恋人同士であるかどうかもよく議論されるテーマかもしれない。今回は、人と人の関係を表す言葉について少し考えたい。

 私が児童養護施設でボランティアをしていたとき、担当していた児童が
「一緒に住んでいるやつを表す言葉がない」
と言っていた。ここで言及されている一緒に住んでいるやつというのは、その児童と同様に児童養護施設に、それぞれの理由で生活している人のことだ。つまり、血の繋がった家族でもなければ、仲間という言葉で表される関係でもないということだ。それぞれの関係がある。一緒にカードゲームをしたり、くだらない話をする関係もある。ご飯も一緒に食べることもある。会話の数が0に等しい関係もある。年の差だって10歳以上離れている場合もある。それぞれのタイミングで入所してくるため、それぞれが共有した時間の長さも異なれば、もちろん仲の良い時期とそうでない時期がある。それはやはり、生物学的な意味で家族でもなく、学校で時間を共有する仲間/友人とも異なる。それを的確に表せるような言葉はないのだ。それは、児童養護施設という環境が理由の一つであるかもしれないし、18歳以下である児童たちがまだ知識的にも経験的にも発展途上の段階であるからかもしれない。
 しかし、当然の話であるが、友達という関係だって、全くもって様々ではないか。それは他の、家族や恋人だって同じだ。それはその定義の曖昧さが原因なのかもしれない。やはり、人と人の関係を正確に表せるのは、「その人とその人の関係」以上はないのかもしれない。

 では、人と人の関係を表す言葉は必要ないのか。
 人と人の関係を表す言葉が必要とされる場面の多くは、それを第三者に説明するときであるだろう。そして、その説明は第三者にきちんと納得し、承認される必要がある。なぜならば、第三者からの承認なしに、当事者同士の関係はなかなかうまくはいかない。もちろん例外はあるだろう。しかし、彼氏彼女であるならそうであると、友人ならそうであると、第三者から承認される必要がある。加えて、第三者の関心と理解度は、その関係が友人や彼女、家族といった抽象度で十分である。当事者同士のことを深く理解するるほどに関心はない。つまり簡単に理解できるもでなければならないという矛盾がある。
 そのため、やはり、人と人の関係を表す言葉が必要なのだ。

 このように考えれば、「友達が欲しい」とか「彼氏/彼女が欲しい」と言った言葉がいかに曖昧で抽象度の高い言葉かが分かり、それがうまくいかない理由も分かる。

 人と人の関係を表す言葉は必要である。しかし、どうやってもその関係を正確に表すことはできない。だからと言って、それを考えることを放棄していいわけでもないのだ。

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