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絆の森の管理人さんと

連日あたたかな日が続いており、桜もいっきに咲きそうな陽気ですね~

(遠くにお出かけしたい~!けど明日までに確認書を送らなくてはいけない件があるし・・・)ちょこっと外に出れば海が見れるし、海はどこまでも世界につながっているし~なんて思うと今日は松島にいて仕事してていいじゃん!そんな気持ちになれた昨日でした😊

午後、車の流れが落ち着いたところでゴミ拾いに出ました。ごみ拾いイベントでは安全面を考えると拾えない場所があって、そこのゴミを拾ってきました。

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ごみの回収は松島町役場にご協力をいただいています。ありがとうございます!

仕分けを始めたらなんと絆の森の管理人(勝手にそう呼んでいる)Sさんが車で通りかかりました。Sさんは現在利府に住んでいますが、ご実家のある松島に戻っては絆の森はじめ近隣の山の整備や草刈りなどしています。絆の森の道案内板はSさんがボランティアで作ったものでSさんのおかげで絆の森が復活しました。昨日も作業だったそうです。

Sさん「鈴木さんはほんとにすごいなぁ~!よく一人で山に入れるね~。私もあと何年かわからないけどできる範囲で草をかったり整備をしたりするけど、私がいなくなったらあとはどうなるか。。。」

私「いつもありがとうございます!いやいや~お孫さんの成長も見なくちゃいけないから長生きしてください~。私はこの活動を通じて次に続く人を見つけます。また活動を通じてこんな妄想してるんです。

1つめは歩きや走りの文化が広がって櫃ヶ浦に歩道を作る動きが出てくる。

2つめは松島や松島の松のために力を尽くした方々への尊敬や感謝の念をもって活動する中、歴史や景観を学びたいという個人や会社さんと出会い、松の保全活動に発展していく。きっとそれは石油王かもしれないです。(笑って聞き流してください。)

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画像は小川澄夫先生の松島物語より高祖父の兄・十一代目清八郎さんが住んでいた寒風沢のおうちの写真。場所は湊地区の元公民館のあった場所です。

むかしむかし宮戸と浦戸が密接な関係があったように、浦戸と松島も交流が盛んでした。戊辰戦争末期には、本土から浦戸へご飯炊きに通っていた人も多かったと言われています。いつか松島桟橋から浦戸行きなんていう船が出るようになったら江戸時代再来かもしれません。

今しているこの活動ってマラソンとおんなじでコツコツと距離を延ばすように、コツコツと思いを伝えて5年、10年くらいには次世代と一緒に形にすることができたらなぁ~なんて思っています。気が遠くなる人もいるかもしれませんが、5年10年ってあっという間な気がします。

最後までお読みいただきありがとうございました!桜パトロール行ってきます🌸

ゴシュランこと鈴木

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