見出し画像

【覚書】第六回文学フリマ京都

第六回文学フリマ京都に参加してきました。
次回こういった場に参加するときのために、自分用の個人的な覚書をしたためておきます。

2021年の第五回が中止になってしまったので、京都会場にしか参加していないわたしにとっては2年ぶりの出店でした。
新刊を予定通り携え、感染症対策や非接触のために自分なりの工夫をこらして臨みました。

文学フリマ京都は、今のわたしにとっては年に一度の晴れ舞台なのですが、この2年間というもの、こうした大きなコミュニティから離れてしまっていたせいか、ふらふらしたり、ちょっとしたことでぐらぐらしたりしていました。同業との個人的なやりとり(文通や電子メールが主な交流です)にはずいぶん救われていましたが、基本的には文学ではない表現方法を好む友人たちに交わり、自分にはできない表現を浴びながら、「誰に読まれなくても顧みられなくてもわたしは書き続けられる、たとえ一人でも好きなことをし続けられる」と信じていました。

かつて文芸同人に所属しながら、一人名義でも活動できるようになりたいと思って申し込みをした第一回文学フリマ京都。第三回まではいわゆるコピー本をスペースに並べていました。その文芸同人「しんきろう」は活動しなくなって久しくなりましたが、第四回ではきちんと印刷製本所に出した作品(『竹の子』)が並びました。大陸で例のウイルスが噂される数週間前のことです。製本された作品を見て、だいぶ格好がつくようになったなと思ったのを覚えています。
第四回参加以降、自粛期間中は、出られるイベントもないのに立て続けに、旧作のリメイクを含めて印刷製本に出しました。そういうわけで、今回のスペースでは、割に格好のついた本を6種類も並べることができました。さらに気がついてみると、人見知りにもかかわらず、文フリをきっかけに知り合った同業とも、再会の喜びをもって挨拶を交わせるくらいにまでなっていました。

「しんきろう」が活動しなくなってから、同人仲間たちは家庭を持ったり、遠くへお嫁へ行ったり、子育てに奮闘したり、京都を離れたり、海外に基盤を持ったり、はたまた自らの舞台で活躍したりしていました。全員が、自らの舞台できちんと役割を果たし、活躍していました。書き、つくり続けている人もいます。音信不通になってしまった者を除いて、それぞれが息災でいることに安心し、彼らが選んだ道に納得し、また寿ぎながら、わたしは他の同人に入るべきかわからないまま、プライベートでは自分とは違う表現をする人たちと進んで交わり、そのコミュニティのほうで日々刺激を受けるようになっていました。

けれど今回、久しぶりの文学フリマに参加する意義として、もっと同業の人と知り合いたい、平たく言えば友だちになりたい、と強く思って臨みました。なにしろ年に一回の機会で、去年はその機会すらなかったのです。SNSで事前にモーションをかけてくれた方に、勇気を出して挨拶に行きました。付き合いで作品を買い合いっこするのは抵抗があるのですが、今回は、「ゴタンダクニオあるいはその作品」に興味を示してくれた人とその作品に純粋に興味が湧いたのでした。

やや緊張しながら臨んだ当日、嬉しいことがたくさんありましたので、主なものを以下にまとめておきます。

・「紙の家 築二年」さんとの交流
まずは最初にご挨拶させていただいたお隣さん。年齢が倍ほど違う年上の方でしたが、とてもよくしていただきました。わたしの歌集をじっくり読んでいただき、その中の一首が石川啄木の短歌を想起させてとてもおもしろい、と感想までいただきました。

「大切なものが両手からこぼれてく世界はなんて美しいのだ」(月波)
石川啄木
・「頬につたふなみだのごわず一握の砂を示しし人を忘れず」
・「いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ」

他にも、最近の短歌や、歌壇や、短歌会のことについて意見を交わしあいました。世代を問わず、こういう共通言語があることでとても新鮮な気持ちになれました。

・「白線」さんとの交流
空スペースを挟んだお隣さんからは、ご挨拶にいただいた連作短歌のフリーペーパーに書かれていた短歌に一目惚れして、その後改めて同人誌「笛吹き」を買わせていただきました。フリーペーパーは歌人三名によるものでしたが、そのどなたの感性にも親近感を覚えたのがとても不思議でした。また、同人では短歌だけではなく、漫画や詩やエッセイも混じって活動されているのは、普段は短編小説も書いているけれど新刊がたまたま歌集だっただけで詩歌のスペースに申し込んだわたしとしても、とても親しみを覚えました。それにかつての「しんきろう」もそんなかんじでした。

・早高叶さんとの再会
信じられないような出会いがありました。スペースに立ち寄ってくださった方が、「詩はありませんか?」と尋ねられたので、不思議に思ったところ、「ずいぶん前に恵文社一乗寺店でゴタンダさんの詩の朗読をお聴きしたのを今でも覚えています。夜行バスの。」と仰ったのです!
わたしはかつて短い間だけ詩を書いていた期間があり、今までに二度、人前で朗読をしました。その二度のうちの一度は、たしかにわが同人「しんきろう」が恵文社一乗寺店で主催した即売会&朗読会「恵文社文芸部」でのことでした。詩のことなど、言われるまで忘れていたくらいですが、指を折って数えてみると6年前にもさかのぼります(後で調べてみると、おそらく2016年1月17日開催の第7回恵文社文芸部。なんというタイミングでしょう!)。早高さんは当時同人で出店してくださった方でした。
自分でも忘れていたことを、今日この日まで覚えていてくれた人がいる。ゴタンダクニオの名前をカタログか何かで見つけてくださったのでしょう。さらに、たった一度の朗読の内容を忘れずにいてくださり、こうしてスペースまで訪ねてきてくださったこと、そのうえ、京都の出店はあまりないことだとお話くださったので、もはや奇跡でした。
もっとお話してみたくて、その後スペースに立ち寄らせていただきました。幻想小説を書いておられたので、尾崎翠の話を少ししました。作品を買わせていただいたので、読むのがとても楽しみです。

・文愛会の女性との交流
お話がとっても盛り上がったのが、文愛会の同人の方でした。わたしの作品『竹の子』のキャプションを見て、マンドリンを弾かれるんですか?と尋ねてくださったのです。
わたしは学生のころサークルに所属していたこともあって唯一マンドリンだけは弾けるのですが、『竹の子』は同じようにマンドリンオーケストラに所属している女子高生が主人公。その方もやはりマンオケで弾いておられるとのことで、さらにパートも同じ、2ndパートでした。
そのうえ、海外ファンタジーや村上春樹など、今まで歩んできた道というか、摂取してきたものがとても近く、まるで若い自分を見つめているようでした。今回文愛会で参加されているとのことでしたが、まだ作品を書いたことがないと仰ったので、いつか作品を書かれたらぜひ拝見したいと強く思いました。SNSをされていないとのことで、連絡先を聞くのをためらったことを少し後悔しています。SNSのない時代ならむしろ尋ねていたでしょうし、意気投合したのであれば、連絡先を交換するハードルは今よりも低かったような、そんなもどかしさを感じました。
いつか必ずこういう場所で再会することを願って、文愛会の同人誌を買わせていただきました。


ほかにも、知人がやっているバーでよく出会う女性が出店側におられて仰天したり、二人連れのお客様で、おふたりとも歌集を買ってくださったり(あとで読ませて!とかシェアしてくださるのでもこちらは全然構わないのに、これはすごいことです!)、詩歌のスペースにもかかわらず、物語系の既刊にも興味を持ってくださったり、挨拶を返してくださったばかりか、既刊をほとんどお迎えくださった作家さんもいらっしゃいました。そんななかでなんと、在庫僅少だった『竹の子』がこの度完売となりました。

さらに驚いたのが、新刊歌集を置いていた見本紙コーナーからまっすぐに着てくださった方が一定数いらしたことでした。
(新刊歌集についてはこちら→『歌集 架空の臓器』刊行によせて

歌集をお迎えいただいたお客様は3種類いらして、①他の出店者様やご関係者様・出店仲間、②一般参加者でたまたま立ち寄ってくださった方、③一般参加で見本誌コーナーから来られた方、に分けられます。知人が新刊の存在を知って買い求めてくれるのももちろん嬉しいのですが、それ以外でわたしが想定できていたことがあるとすれば、店頭で気になる見本をいくつかパラパラと試し読みをして、お好みのものをお買い上げいただくというものです。新刊は歌集ですが、既刊はファンタジーや児童文学、恋愛小説もあり、どこかに興味を持っていただける可能性はあります。

しかし、スペースにお立ち寄りいただいた方のうち、試し読みされるそぶりなく、開口一番「『歌集 架空の臓器』をください」と仰った方がいらっしゃって面食らいました。Webカタログを活用しきれていなかったので、フォロワーのいまだ少ないSNSでしか新刊の告知をしていなかったからです。
さりげなく伺ってみて、見本誌コーナーから来てくださったということがわかりました。おそらくはそうした方が、なんと6名もいらっしゃいました。これは予想外の喜びでした!
なぜなら、あの数多ある見本誌のなかから、この歌集を手にとってくださったということは、まず表紙の見た目およびタイトルに興味を持たれたのではないかと予想されます。そして中身を読んだうえで、「買いたい」と思ってくださり、スペース番号やタイトルをメモして実際足を運んでくださった、ということです。これはほとんど奇跡に近いことなのです。

既刊はモノクロ印刷ですが、色用紙のおかげでカラフルで可愛らしいと言ってもらえる当スペース。足を留めてくださる方はいらっしゃいますが、中には、目の前で悩んでしまったからには買わねばという心理が働くかもしれません。それに比べて、見本誌コーナーから来てくださった方たちは、それまでに購入を吟味してからいらっしゃたものと思われます。若い方ばかりと見受けられ、それも非常な嬉しさだったのですが、1冊千円という値段は、造り手の事情やコスト(カラー印刷だとか、紙はどんなのを使ったから値段が張ったとか)はさておき、リトルプレス界隈の中央値を眺めてみると安くはないのではないでしょうか。

今までモノクロ印刷の、背幅も薄い作品を数百円で出していたので、わたしの既刊の中でも新刊の価格設定は抜きん出ていました。カラー表紙や巻頭カラーは今回新たな試みで、データはデザインから制作まで素人ながらすべて自分で取り組みました。そこが購入に繋がった(評価された)のが嬉しいのはもちろんです。さらに、「知らない人たちの数多あるリトルプレスの中から、まずは手にとってもらうための表紙やタイトル」の重要性と、さらにそれをクリアした上で「手元に置きたい」と思ってもらえる中身づくりの真意を、わたしはこのとき初めて本当の意味で認識したのでした。

冒頭に書いたとおり、今までは「誰に読まれなくても顧みられなくてもわたしは書き続けられる、たとえ一人でも好きなことをし続けられる」と信じていました。同人で活動しなくなった今、自分の世界観にしか興味が持てないところもありました。けれど、創作意欲というのは自分が思っている以上に環境に左右されるようです。環境とは、わたしの場合は周りの人々の存在が大きいのでしょう。他人に対して、自分から興味を持つだとか、気になる人には自分から声をかけるとか、そういうことから基盤(環境)をつくらないと、ぐらついたときに耐えるのが難しいということがだんだんわかってきました。
さらに、わたし自身がまず作り続け、活動し続けないと、この日出会った仲間たちと同じ場所で再会することができません。それに、文学フリマに出て、自分と同じ人種を会場いっぱいに目の当たりにするということは、それだけで大きな刺激になります。

なぜなら、わたしたちは変わり者集団です。頭の中で考えたお話を、アウトプットして形をととのえるばかりか、人に見てほしいばかりに多大な苦労をする。入稿日は地獄ですし、納本までは気が休まりません。思ったより売れないことももちろんあります。感想なんてもらえることのほうが稀です。なんでこんなことしてるんだろうって思うときもあります。一人ですべてをやっているとなおさら。だからこそ、そんな人たちばかりが集まるイベントは、同類がいる安心感と楽しさ、自分よりすごいと思えた人を見つけたときの言いようのない情動と、自分がやっていることの意義を再確認できる場なのです。

インターネットが発達した現代でさえ、そのうえコロナ禍においてはなおさら、基本的にひとりでこそこそ書き物なんぞをしている人間が、日常生活でこのような機会を得られることはありません。ならばと、今年の大阪開催の申込みも前向きに検討することにしました。その頃には感染状況も収まっていることを願いつつ。

文学フリマを運営してくださる方々には、感謝してもしきれません。
今回はかなりぎりぎりな開催判断だったと思います。参加者側としては引き続き体調管理を怠ることなく、今後も油断なく感染症対策をしていく所存です。
そして次の制作にむけて、研鑽するのみです。

最後に、早高さんが覚えてくれていた詩を下に転載しておきます。

  夜行バス
想像力にあてられただれかが
カーテンを何度も開け閉めする
ハイウェイのながれる光が
まぶたのうえを横切っていく
手元が見えない暗がりで
詩を書いています
想像力にあてられて
一番後ろのシートから
同行の寝息を負っている
サービスエリアは
宇宙ステーションかもしれないし
カーテンを開けたら
銀河を見下ろせるかもしれない
到着するのは月面で
月の砂漠を踏みしめる
ことになるのかもしれない
勤め人をしていたころは
するかもわからない結婚のために
貯金をしないといけないような
気がしていた
恋人が
同僚の女性を孕ませた職場を離れた今
アルバイトで稼いだお金のぜんぶ
使い切っていいことになっている
映画館に通うでもなく
カフェにも足を運ばず
逃げ去るようにあわただしく引っ越したひとりの部屋
真新しいシングルベッドの上から
日が昇り青い空があせて暮れていく窓を
何日も何十日も見送ったあと
ようやく起き出して始めたアルバイト
最初のお給料で
カメラと一緒に買ったチケットの旅。

※こちらはしんきろう第9号(2015年)に掲載した「客中行」という連作のうちの一つです。近々四篇とも公開しようかなと考えています。

1/24 公開しました→【詩】客中行 四編

この記事が参加している募集

文学フリマ

よろしければサポートをお願いします。いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。