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2023立夏日記

王家衛の「若き仕立て屋の恋」を観るために帰洛。今までに見たことのある王家衛作品の中で一番色っぽい気がする。「牯嶺街少年殺人事件」が印象深いので、張震を観るたびに「大きくなって……」と感心する。
連休の旅のお土産にコーヒーが二種類。そぞろ書房さんで買った小窓舎さんの浅煎りと、GASSで買ったドリップパック。GASS店内で飲んだシトロンアイスラテがめちゃくちゃ美味しかったので、家でも似たような感じで再現できるように研究したいところ。

伯母からもらった苺

バスケの試合をしている夢を頻繁に見る。SLAM DUNKの映画を観るよりももっと前から、記憶している夢の10回に1度くらいの割合で見る。ここ5、6年で頻度が上がった。中学生のとき、バスケ部員だった。だからチームは見知った部員たちの面影が見て取れた。今になっても、かつての仲間たちとバスケをする夢を見続ける理由ってなんだろう。今やフリースローさえジャンプしないと届かせる自信がないのに。

連休空け、少しだけ調子を崩したが、すぐに取り戻して真面目に働き、生活している。東京行きでお金を使いすぎたので、実家からもらったたっぷりの野菜に助けられた。畑で取れたアスパラ、にんにくの芽、きぬさや、新玉。持たせてもらったイカナゴの釘煮と河内晩柑。しばらくはこれを中心として献立を考えればよかった。

河内晩柑は朝ごはんに食べたあと、その夜に皮だけのママレードをこしらえた。
①皮を細切りにする(※1)
②①を揉み洗いする
③キッチンにスツールと本を持ち込み、チューハイのプルタブを開ける
④②をやわらかくなるまで水煮する
⑤④を流水にさらし、水を切る
⑥⑤を鍋に入れ、ひたひたよりやや多めの水、⑤と同量の砂糖と適量のレモン果汁(※2)を加えて強火で炊く。灰汁が出るので適宜取る
⑦水分が適度に飛んだら完成
※1:白い部分をどうするかいろんなレシピがあったが、嵩が減ってしまうため全部入れた
※2:クエン酸がなかったためポッカレモンで代用

④の時点では大丈夫か?と思うくらい苦かったが、最終的にはとても美味しくなった。
③は工程としては無視してもいいのだけれど、ちびちび酒を飲みながら本を読むあいまくらいに様子を見る程度の適当さでも大丈夫、くらいの意味合いです。
トーストに塗るだけじゃなく、シンプルなチョコレートアイスのアクセントにしてもよさそう。

家にいるときくらいはサマータイムを導入したいとずっと思っていて、早い時間に起きられた日はジムに行ってから一日を始めるようにしている。さらに毎食それなりに用意しているとリズムがついてくる。退勤後に冷蔵庫の中身を思い出しながらスーパーで買い出し、献立を考え、手を動かせばそれでいい、余った時間で眠たくなるまで本でも読むか……という毎日は気楽なものだった。
インプットの旅から戻ったばかりですぐにアウトプットできるわけじゃないから、時機が来るまではそういうふうに過ごすしかない。燃え尽きたり五月病になったりしないための、あるいはそうなってしまったときのための、処世術というか……。
そんななか久しぶりに、読みかけの『街とその不確かな壁』を開いてみると、まさしくそういうところが出てきてちょっとげんなりした。規則正しいメンタルマッチョな生活こそが創作の柱になるようなことを、以前村上春樹のインタビューで読んだことがある。
『街とその不確かな壁』の第一部を読み了ったとき、誰かを長い間じっと待っているときにこれを読むのはちょっと堪えるかもしれないな、と思った。それでも、他者の文章を通して整理をつけられることもあるのかもしれない。わからない。村上春樹作品に共感を覚えたのは初めてだったからちょっと狼狽えた。それでも、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で描かれた部分をなぞり終えたのであれば、ここから先こそを読むべきだろうと思い、気持ちが入りなおすのを感じる。

花粉も梅雨も日焼けもないわずかな季節を今のうちに噛みしめるべく、暇を見つけたら散歩するようにしている。そういうときにも単行本を持参する。小さな川が流れる緑の多い場所にカフェオレとサンドイッチ持って行き、腰を据えて読む。読書において人がどれくらい重要視しているかわからないけれど、読む場所を変えるのは良い方法のように思う。
本を読むのに飽きた夜は手ぶらで歩く。雨がふらなかったある夜に小川沿いを歩いていると、目の錯覚かと思ったけれど、それは気の早すぎる蛍だった。当分の楽しみになりそうだと思うあたり、ジジイっぽくなってきたな。歩いていると話のネタが浮かんだので、簡単なメモだけ取って頭の中に転がしておく。登場人物たちの会話を聞きながら散歩を続けさせてもらう。

何も予定を入れなかった雨予報の週末、そのようにして『街とその不確かな壁』を読み了えると、また体調を崩した。次はメンタルもやられた。淡々とジムに通い、仕事をこなし、一人分の食事の用意をし、誰とも会おうとせず、村上春樹を読み続けていると人はある程度おかしくなってくるのだ。健康ではあったかもしれないが、不健全極まりない。村上春樹は元気なときにちょっと馬鹿にしながら読むくらいじゃないとだめだなと思った。傾倒するには危険すぎる。(そしてもうこういう文章しか書けなくなってしまう。)
『街とその不確かな壁』を読んでいる人が周りにおらず、語り合う人もなく、ネットで読める知らない人の感想はくだらなく、かといって他の本に手を伸ばすわけにもいかず……などと悶々とする状況は一日しかもたなかった。村上春樹・ロスってあるんだ。観念して、次は長いこと読みかけの状態にあった『ねじまき鳥クロニクル』に手を伸ばした。

仕事はInDesignでの単調な作業に入っていて、手を動かしてさえいればやりすごせた。言うなれば「ひとつのドブの水を別のドブに移す」ような感じだ(『1973年のピンボール』)。情報量のある分厚い本だからすぐに終わるような心配もない。仕事を終えて帰ったら早めに夕食を済ませ、本を読みはじめ、少し迷ってハイボール缶を開ける。途中何度かスマホを開いたが、何かしらの有意義な思考を要するのが無理すぎてすぐに放り出した。こういうときは本を読み続ける方が楽に決まっている。1時間後、少し迷って2本目のハイボールを開ける。ハイボールはスーパーで安くなっていた。チョコレートと抱き合わせで入れられたラッピング袋はくたびれていて、バレンタインかなにかの余りが叩き売られていたのだ。しかもチョコレートはリンツのリンドール。これならハイボールがいまいちでもいいやと思って買ってみたら、組み合わせが驚くほどよく合った。ほどなくしてそれも空く。『ねじまき鳥クロニクル』は気づけば2巻の途中まで進んでいた。読書量に応じて酒量が増えつつある。読み終わるのが怖い気がする。読み終わったら自分はいったいどうなっちゃうんだろう? またロスになるだろうか? まあ未読の村上春樹はまだいくらかあるにはある。本屋に駆け込めばたいていあるだろう。それにしても……。17歳で初期3部作を読んでこじらせるのは、取り返しがつかないといえばそうだが、まだ若気の至りだった。それが30代になって村上春樹を再び猛烈に読むというのはいったいどうなっているんだと思う。ちっとも成長していないし、そういう30代ってやっかいだなと思う。別に、一人で生きていく分にはいいんですけどね。

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