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ドサクサ日記 5/2-8 2022

2日。
文章の恐ろしいところは、どこに書こうが読み手によって内容が取り出されることだと思う。ちょっとした仲間内の会話のはずが、読み手にとっては関係性など知る由もなく、好き勝手な語気で再生することが可能だ。「馬鹿」みたいな言葉も、本人の音では「大好き」という意味だったりする。しかし、それを書くならば、そうした発語のニュアンスは消えてしまう。話し言葉を書いて伝えるのは難しい。

3日。
中村君の作品展のトークイベントで山口県の防府へ。中村君の際どい質問の数々にヒヤヒヤしたけれど、とても楽しいイベントになったと思う。イベントの後は、ビートさとしのスタジオを訪問した。東京で借りたら月に5万円以上の家賃がかかる。天井の高さも望めない。録音の現場は地方に活路を見出してもいいはずなのだけど、相変わらず東京の案件が多い。その割に、技術が伝統として張り付いたスタジオをあっさり潰したりする。音楽がTV芸能や何らかの産業と従属関係を結ぶ限り、東京への一極化には抗えないとも感じる。もちろん、そうしたビジネスの一極化には背を向けて、自由や厳しさや豊かさと共に地方へと分散する人たちもある。繋がりをキープする術は嫌というほどあるのだ。この日は天気がとても良かった。スタジオ前の庭でBBQをご馳走になった。「東京」に縛られない方法を考えたい。

4日。
ステージ上での飲酒問題でSNSが燃え上がっているなか、空気も読まずに音楽とお酒に関連するイベントを企画してしまった。福島県は南相馬市、新進気鋭のクラフト酒の酒造、haccobaとコラボレーションすることになった。一時と呼ぶには長い月日にわたって避難を余儀なくされた地の、そのお米を使って作られるお酒。じっとりと根を張る文化。人と微生物の営み。学ぶこと、考えることがたくさんある。僕たちは復興しなければならない。大震災から、パンデミックから。ただ、復帰を目指せば、そこにあるのは大震災やパンデミック以前の構造だろう。復興とは何かということを問うこと。もちろん、答えはす直ぐに出ない。問いの中に身を浸し続けることが、その唯一の道筋かもしれない。そうしたムードを共有したい。一緒に揺れて、発酵を疑似体験したい。神田でゆるやかに、未明の何かをシェアしたい。

D - composition
https://d-dcomposition.peatix.com/
2022.5.22.SUN OPEN16:30 / START 17:30 - CLOSE 21:00 (予定)
at. KANDA SQUARE ( https://goo.gl/maps/e8WqGaTVr1ma4UvLA )
TICKET : ¥4,500 - Paetix ( https://peatix.com/event/3226797/ )

主催:D
共催:haccoba -Craft Sake Brewery- / 協賛:STANDARD WORKS
出演:Utena Kobayashi / Gotch / 佐藤優介 / Subtle Control / 高田政義 + Jiro Endo(LJ) / 永井玲衣 / 古川日出男 / Miru Shinoda / Eucademix (本田ゆか) / rokapenis(VJ)

D2021 Twitterより。

5日。
ホテルのビュッフェで食べるものがあまりなく、どう考えても代金が割に合わない状態、それを俺は「ビュッフェ負け」と呼んでいる。もともと少食なのだから、世界の三大珍味が食べ放題みたいな機会でもない限り、漏れなくビュッフェでは負ける。せめて幸福度を上げようとカレーに精神を集中する。そのカレーがココナッツのカレーだったとき、完膚なきまでのビュッフェ負けが確定する。無念。

6日。
怒涛のアウトプット期間を経て、やっとインプットの季節が巡ってきた。基本的には、インもアウトも日常的に行っている。しかし、音楽はその性質上、アウトプットのときにもインプットの回路が必要になる。自分のつくった音を耳で聴かなければ作品が完成しないからだ。ゆえに、作っている時間は丸っと耳が塞がってしまう。聴覚に意識を集中しているときは、単純なゲームくらいしかできない。

7日。
ROTH BART BARONの神奈川芸術劇場公演に参加した。立体音響のなかでの演奏はとても不思議な感じだった。最近は詩の朗読がとても面白いと感じている。詩は自由なところがいい。文法が間違っていてもいい。意味が伝わるかどうかも、詩の美しさとは関係ない。すると、人間の意図に使役させられずに済む。感動したとか、元気になったとか、そういうことから音楽や言葉が逃れる時間は豊かだ。

8日。
「XXXは古い」みたいな言葉を、自分の年代からの視座、固定された場所から語っている人は、もはや現在の「新しい」とか「古い」にもリーチできていないように感じることがあった。文脈が半ば根こそぎになって、すべてがフラットに近づき、当時に新しかったことや古かったことは形骸化して、無作為に取り出される。時間の連なりから、テクスチャーの新しさや古さが解放されているとも言える。

Photo by Tetsuya Yamakawa