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人のために生きなくていい

ウルフルズの「暴れ出す」という曲が大好きだ。

あぁ 神様オレは 何様ですか
どうしていつも まちがえるのか

なんて繊細でインパクトのある歌い出しだろうか。
やっぱりトータス松本は天才だ。

と前までは思っていたけれど改めて思う。
トータス松本は人間だ。

得体も知れない大きな存在(神様)が出てくることで
自分はただのちっぽけな人間だということが書かれている。
その人間の中のさらにちっぽけな悩みや迷いに苦しむスケールの小さい、
だけど心の奥にゆっくりと大きく広がっていく曲だと思う。

この曲を初めて聴いたときのことは覚えていないけど
いつ聴いてもボロボロと泣いてしまうからたぶんその時も泣いていたと思う。

Youtubeで聴くと自動リンクで「ええねん」「笑えれば」と続く。
ラスボスをやっと倒したかと思ったら
「ククク。今までは第一形態…遊びは終わりだ」
とかいって変身してまたバトルがはじまる。
そんな感じで完全に泣かせに来られるから気をつけてほしい。

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トータス松本さんのブログを読み漁っている時期があった。
それまで明るくパワフルなイメージだったのが一変した。

些細なことを気にして、誰にでもあるようなことでグチって
僕と変わらない普通の男がそこにはいた。

僕はトータスさんが好きになった。
そして曲がもっと好きになった。
ウルフルズのライブも行った。

誰が歌ってもいい曲というのは存在する。
歌い継がれている名曲はそういうものだろう。

だけどどんな名曲でも誰が歌っているかはやっぱり大事だ。
その人が歌う意味を誰もが無意識に求めている。

名曲を生み出すのも人ならば
名曲に聴かせるのも人なのである。


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「暴れ出す」の一節にこんなものがある。

人のために出来ることはあっても
人のために生きることができない

だれかとぶつかったり、傷つけてしまった時
あの頃の僕はこれを聴きながら涙が止まらなくなっていた。

だけど今はこう思う。

人のために生きなくていい
人のためにできることがあればいい

このフレーズを聴きながら泣いていた僕も
自分なりの答えを見つけてちゃんと進んでいるんだな。

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どうしてこの歌を今思い出したのか、それには理由がある。

今僕はツイッターを真剣にやっている。
ちゃんと影響力のある人になりたくてツイートのしかたを調べたり模索したりしている。

その中でいつの間にか「人のために生きよう」としてしまっている自分がいた。
相手を主語にしたツイートを頑張っていたんだけどどこか違和感があるなあと思っていたところにふと自分のプロフィールが目に入った。


僕は僕を好きでいるために弱虫な一瞬を強がりたい。
そんな毎日のなかで見つけた【強がれ弱虫】を発信します。


あ、そうか。

僕は僕の人生や哲学を切り取ってそれに共感してくれる人の心が動くのを見たいんだ。

その人たちを見ていると「お前の歩いてきた道は間違いじゃないよ」って
言ってもらえてる気がするんだ。

それなら後藤大は後藤大のフィルターを通して発信しないとダメだよな。

そう思って書いたつぶやきにはちゃんと反応がもらえた。


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自分の人生を生きよう。

思ったこと、感じたこと、経験したこと、
失敗したこと、今も上手にできないこと、

人のために生きようとしたらそれは苦しむ材料になってしまうけど
それを人のためにできることに変えることはできる。

トータスさんのちっぽけな男の悩みだって
歌ってくれたら僕はこんなに救われた。

そんな「僕」が何人もいたらそれは仕事になったりする。
仕事になるっていうのは求められてるってこと。

「後藤大の仕事は 強がれ弱虫 です。」と胸を張って言えるように
そんな僕ができることがどんどん大きくなるように影響力を持った人になりたい。


あなたにも あなただからできることを見つけてほしい。

そのために僕ができることは
僕ができることが見つかって嬉しかったから!
って心から発信していくことなんだろうな。

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