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傷つきすぎることは相手を加害者にする

「なんであの人はこうしてくれないんだ。」
以前の僕はいつもそう思っていました。

とにかく全てのうまくいかないことや自分の意見から外れる行為に腹を立てて人のせいにしていました。今考えると自分が変わることは自分を否定することだと思い込んでいたり、対話(確認)することで間違いがあらわになるのが恥ずかしかったのかもしれません。事実を見る勇気がなかった。


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人の感じ方はさまざま。何気ないことにも自分が傷つけられたと感じてしまう人がいます。相手がどういうつもりであろうがその人が傷ついたのならそれは傷なんでしょう。

かくいう僕もすぐに傷つくタイプの人間でした。いや、今でも意識をしていないとそう感じてしまいます。だからこそ分かるようになったことがあります。

むやみに傷つくというのは最初の1回目はともかくそのあとは自分でカサブタを剥がしたりわざと転んだりして自傷行為をしている。

それを相手に見せて「自分は被害者」「あなたは加害者」というレッテルを貼っている。


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少し前に「〇〇のライブに行くからその日は行けない」って言われるのが嫌だという発信をした時に「そうしてたかもしれません、ごめんなさい。」とDMを送ってきてくれた人が何人かいました。その全員が「ごめんなさい」のあとに「傷つきました。」というニュアンスの文面をつけていたのです。

その時は僕も傷つけるつもりはなかったのにと落ち込んで数日引きずったまま過ごしました。友達のミュージシャンにも話を聞いてもらったりしました。
DMの返信は「僕もごめんなさい」と言いました。

だけど今考えたら(無意識であろうと)嫌なことをしてきた人に「やめて」と言ったら「傷つきました」って言われたってことですよね。
あれ?なんで僕が謝ってるんだろう?


言い方がきつく感じたのならそれに関してはごめんなさいですけど
僕はこれをされたら嫌ですよという提示をしただけなんですよ。
「次から気をつけます。」でいいじゃないですか。
それをわざわざ「あなたは加害者です」という文面を付け加えたのは
僕が「ただ嫌だ」と言ったことを「お前はひどいやつだ、間違っている」という風に捉えたということですよね。

でも人の文面の感じ方って自分が自分に思ってることの鏡なんですよ。だから「お前はひどいやつだ、間違っている」という言葉は僕ではなくてその人がその人自身に言っている言葉なんですよね。

そして僕も「傷つきました」と言われたことに関して「人を傷つけるお前はダメなやつだ」という言葉を自分で自分にいい続けてしまっていました。

つまりむやみに傷つきやすい人というのは「僕が、私がこんなに自分のことを傷つけるのはあなたのせいだ」という考えが前提にあるんだと思います。


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誰がどう見ても相手側が悪いこともあります。どうしても納得いかないこともあると思います。心を折られ続けると立ち向かう勇気どころか逃げる気力さえ奪われてしまうこともあると思います。

それでも自分がそこで傷つき続けるか、傷を癒しに行くのか、傷つきにくい方法を探すのかを選べるのは自分しかいないんです。
できたら苦労しないと思うかもしれないけど人のせいにしている時点で心は折れ続けるんです。


立ち向かうだけが頑張ることじゃありません。
逃げることも、やめることも、離れることも、時間をとってゆっくり考える余裕を持ちに行くことも、それをどうやったらできるようになるか考えることも、休むことだって頑張ることなんです。


僕のこの意見は鬱になったことがない人にしか届かないのかもしれません。
傷がある一定ラインを超えると心は壊れてしまうと聞いたことがあります。
僕にはその人たちの力にはなれません。経験がないからわからない。

そういう人はそういう自分を癒せる場所を探すのを頑張るしかないと思います。
そこまでたどり着くまでに支えてくれる人が周りにいるかも大事だと思います。


だけどもどんな状況であろうと「誰かのせいで傷つき続ける」という選択をした時点で僕もあなたも「被害者という名の加害者」になってしまう可能性があるのです。


世界は変えれない。他人も変えれない。自分さえもなかなか変わらない。
だけど環境を変えれば環境にそって少しずつ自分は変わっていきます。
自分がいいなと思う環境を探すことが第一歩なのかなと思います。


自分を傷つけすぎなくていいんですよ。



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