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失敗は怒られるべきか

僕らは失敗を経て成長をするものだけれど、果たしてそこに必要以上の「痛い目」や「恐怖」は必要だろうか。

噛み砕くと「失敗は怒られるべきか」ということだ。


同じことを繰り返さないためにはどうしてそうなったのか原因を追求して、ひとつずつ改善していくことだと思う。

その前に直さないといけないな、ここを直したいなと思うためには「胸に残るきっかけ」が必要になる。それは時に「痛い目」だったりもするのだけれど胸の中に刻まれるのであれば痛みでなくてもよいのではないだろうか。

原因を見つけたり、改善に向かってチャレンジしていく時にも痛みや恐怖がきっかけになると目的が「傷つかないため」になってしまう。そういうものが原点になると、きっと縮こまって本当の力が発揮できない。集中もできない。

僕は怒ること以外にも失敗へのアプローチがあるように思えてならないのだ。


たとえば「かっこいい」はとてもいい理由になると思う。

ミスなく迷惑をかけずに仕事をやりきることができたらかっこいいから、この部分をどうすればいいか考えてみよう。なんてきっかけは子どもみたいかもしれないけれど、恐怖なんかよりずっとキラキラして挑戦しようと思えるはずだ。


たぶん怒りしか持っていない人はまだ自分だけが大切なのだと思う。誰かの失敗を責めてしまうのは「悲しい思いをさせられた」と感じているからで、それは独りよがりな考え方なのだ。

僕自身がずっとそうだった、いや今だってそういう部分がたくさんあって、周りを見る意識をしたいと思いながら暮らしているだけ。

少しずつましになれているような気もしているけど、余裕がないときは怒りに持っていかれてしまう。


大切なのは問題がちゃんと解決して同じ失敗を繰り返さないことだ。怒りに飲み込まれて大切を自分にすりかえるのは違う。

人にきっかけを与える時に選択肢をなるべくたくさん持っておきたい。失敗をごまかさず、最後まで投げ出さず解決することがちゃんと本人の目標になるように。

本当に大切なものを無くさないために。








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