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ラブソングがグッとくるのは愛や恋に意味がないからだ。

ラブソングがグッとくるのは愛や恋に意味がないからだ。

「感情ってなんだろう」と考えた日から数日経って、どこからが気持ちで、想いで、どうなったらエゴや押し付けになるんだろうというのが自分の中でくっきりしてきた。

今までは感情も想いもエゴも全部ひっくるめて「気持ち」と呼ぶことを疑わなかったけど、いざ考えてみるとそれぞれまったく違った基準が僕の中にあったことに気がついた。

その上でいい曲だなあと思っていた歌詞を読み返してみると「エゴ」が全然ないことが確認できた。もっと言えば「意味」さえあまりないものも多かった。

逆に最近の僕の歌詞のほとんどは「意味」を書いているものが多かった。簡単に言うと「いいことを言っている」ものが多かった。「答えを出している」ものもあった。


いいことを言うのは何か役に立つことをしているようで気持ちがいい。でも僕の曲でも人の力になれていたものは「意味のあまりないもの」だと今考えればわかる。

一時期のメインだったカメレオンという曲は「人に合わせてしまってどんどん言えないことが増えていくなあ」というだけの曲だしマッドハンド「完璧じゃなくたって大丈夫だからそんなに落ち込まないでよ」という個人的な気持ちを歌ったものだ。

ラブソングなんてそれの最たるで「好きでたまらん!」「振られてめっちゃ悲しいんですけど…」しか言っていないのだ。でもそれが一番胸を打つ。

なぜなら意味を込めすぎると感情が入る余白がなくなってしまうからだ。

最近は特に意味が濃く反映されていてちょっと説教くさい歌になっていたのかなと思う。意味は自分の中に持っていればいい。ライブのMCとかブログなんかで補足として話せばいい。作品は「想い」より先に行ってしまわないことが大切なのだろう。

だから今回はできる限り「意味のないことを書こう」という自分なりのチャレンジをしながら歌詞を書いてみた。

「しゃべりすぎてしまうのは寂しいからなんだなあ」というだけの歌だ。きっと「しゃべりすぎて後悔しないためには感情に反応しないことだ」なんて歌うより胸に引っかかってくれると思う。

こんなに書いてしまうとしっかりハードルが上がった気がして怖いけど、最後に歌詞を載せてみる。あなたの感情のどこかに引っかかったならうれしい。


しゃべりすぎてしまったのは
ちょっと寂しかったから
君がどんな顔で相槌うってたのか
思い出せない

今年の空梅雨に降り損ねて
溜まった水蒸気が
今さら街を濡らすのを
窓越しに見ていた

どんなに上手に頷いてくれても
ひとりぼっちな気がしたのは
誰でもよかったからなのかなあ


しゃべりすぎてしまったのは
ずっと不安だったから
君の中にちゃんと存在していたくて
必死だった

親指を立てて道で待つ人を乗せて走った
でも感謝を聞くのも疲れて
ひとりになりたかった

のんびり公園のベンチに座ったら
何にもいいことしなくても
ここにいていいと言われた気がした


どんなに上手に頷いてくれても
ひとりぼっちな気がしたのは
自分のことばかりだったから

どうでもいいことでお腹を抱えたり
まじめな顔でばかみたいに
夢を語っていたいな君と

読んでくれてありがとうございます:-D

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