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私にとっての譜面の意味

曲を弾けるようになるまで



目的が、気に入った曲を弾くことだとする

下記の手順を行うことになる。

1.弾きたい曲を耳でコピー

2.譜面に記録する

3.記録した譜面を見て練習する

譜面は必須。
2.の表記法が、3の時間に影響する。

譜面は、記憶できない音の出し方を外部に記録しておくためのもの
次にその記録を見て再生するのは、人間。

人間が、記号を見て、音に再生できればよい。

練習の際に、一貫性が保てていれば、思い出すきっかけのための情報が譜面上にあれば、事足りる。

それ以上の情報は、リアルタイムで行うべき再生時にノイズになる。

より速い曲は、情報のインプットからアウトプットまでのレイテンシーが問題になるので、認識を邪魔する情報はない方がよい。


レイテンシを小さくする(先読み時間の短縮)


和音の場合を考える。

人間の記憶としては、構成するための一つ一つの音ではなく、和音から感じる響きのイメージとして覚えている。

そこで、コードという概念が有効になる。
コード進行にはパターンがありそのパターンをあらかじめインプットしておけば、一つ一つの音の積み重ね方(ボイシング)は違っても、それほどイメージを外さないことになる。

また、このコードを構成する音を脳や指で覚えていれば、レイテンシーは格段に小さくなる。(初見のコード譜でも弾けたりする)

練習を積み重ねることによって、これを実現するのだが
そこに到達するまでの時間を短縮するために
この曲が何調であるのか、また、どんな展開であるのかの記憶のガイドとして譜面にコードが記載されていると役に立つ。

暗譜で弾けるようになるまでの過程でのガイドとして
実際に再生(鍵盤を指でたたく)際に、その情報を読むか否かは習得レベルで異なる。練習を重ねると、細かな情報はだんだん不要になってくる。



しかし、
実は、ボイシングの違いはやはり重要で、和音のbottomの音やtopの音が何であるのかが、曲の流れのイメージを変えてしまう。

和音を分散して弾くアルペジオは顕著である。
コードを意識せずに、ひとつ一つの音の積み重ねで認識して再生可能な状態まで練習するのと
コードを意識しての練習するのでは、後者が短期間で済むと考えられる。

視覚による認識は、同じタイミングで3つの音を同時に弾くことを同時に認識できる必要がある。
ここで、コードをC#ととるかD♭ととるかが影響することになる。

まず、
曲の展開を大きく認識するうえでのコード進行(exⅠ-Ⅳ-Ⅴ-Ⅰ )
これが認識しずらいということである。

次に
コード表記は、コードのルールに基づいた音の重なりを表す。なので、理論に基づいてコードから構成する個別の音を導く場合、音符に表すと#にすべきか♭にすべきかは一意に決まるものである。

ルールに反しての表記は、再生時に読み取りに時間がかかる、あるいは誤認識する可能性が発生する。

記憶のベースにある曲の調(五線の左端に#や♭がいくつならんでいるのか)デフォルトの半音上がる(下がる)を踏まえたうえで、曲中にでてくる音符表記がどの鍵盤であるかのマッピングを判断して指で弾くまでの時間をいかに短くできるか。

ここに、表記問題が関わってくることになる。


しかしながら、よくよく考えると

曲の調でデフォルトで左端にかかれた#や♭
装飾しないのであれば、楽譜の中に、#や♭または♮などの記号は登場しないはず。
最初に曲を作った人が半音上げることを意識したのか、半音下げることを意識したかなんて、どうでもいい話ではないか?

つまり、
最初に練習した譜面と二度目に練習に使おうとした表記に同じ音を別の表記を使っていた時に限って、混乱が生じるだけではないだろうか。

練習の際は同じ譜面を使い続ける事のみが大事である。








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