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第三回−「三線とエイサーが取り持つ輪」

三線とエイサー。どちらも沖縄の伝統芸能です。
三線は言わずと知れた沖縄の伝統楽器。ニシキヘビの革が見た目にも特徴的な楽器ですが、この音に「癒やされる」「沖縄に来た気分になる」といろんなお客様に言われます。
そしてエイサー。旧盆に踊られる沖縄の先祖崇拝の伝統芸能。三線の音に合わせて太鼓をたたきながら踊る勇壮な芸能です。
この2つはごーやー荘の代名詞と言ってもいいかも知れません。

三線の輪

私の三線経歴はごーやー荘の歴史と同じ年数。初めて演奏した曲は「てぃんさぐぬ花」という沖縄民謡。

てぃんさぐぬ花や 爪先に染みり 親の寄し事や 肝に染みり
(ホウセンカの花の色は 爪の先に染めなさい 親の言った言葉は 心に染めなさい)

大好きな沖縄民謡です。スローテンポの曲なのですぐに弾けるようになると思いましたが弾くのに2週間、歌いながら弾けるようになるのに2ヶ月かかりました。
「お客様サービスで弾いて聴かせられたらいいな」と、そんな調子で始めた三線。
お客様や地元の人からは「十分上手いさー」と言われたりしますがやればやるほど奥深い。特に沖縄民謡の言葉の意味や背景や節回しは私なんか永遠に習得できないかも知れません。

オープンから数年は沖縄ブームもあり三線もまた然り。県外からのお客様でも三線ケースを抱えてお越しになるお客様がたくさんいらっしゃいました。
割合的には月5~6人くらいはいらっしゃったと思います。そんな三線愛好家がご宿泊される月で一番多いのは6月。
何故かというと、6月に民謡協会のコンクール(昇段試験)があるのですが、中部地方の三線教室の生徒の皆さんがコンクールの会場に便利ということもあってたくさんご利用されるのです。長い方はごーやー荘開業と同じ頃から三線を始められて足かけ15年近く受験や同行も兼ねていらっしゃってます。

私なんぞは独学でやってたものですから、ある程度弾けはしても、それ以上、にはなれていませんが、こちらの教室で長く続けられている方の中には師範免許も取得される方も。一緒に弾いても歴然の差があります。
でもそんな皆さんとこれまでの懐かしい話に花を咲かせながら、普段は皆さんもお稽古での緊張した三線から、沖縄の夜に奏でるおおらかな三線を楽しまれています。

中部地方三線教室の皆さん(2007年撮影)

そんな場をこれからも提供できたら私も宿オーナー冥利に尽きる、というものです

エイサーの輪

そしてもう一つの代名詞、エイサー
(エイサーについてはこちらもご覧ください)
https://note.mu/goyahso_okinawa/n/n98837db7ab46

このエイサーもごーやー荘を始めてから私が好きになった伝統芸能です。沖縄最大のお祭りである沖縄全島エイサーまつりが開催され盛り上がりますが、やはり圧巻は旧盆の3日間に行われる「道ジュネー」です。夕方くらいから深夜0時まで5~6時間地域の路地を太鼓を叩いて踊りながら練り歩きます。
実はごーやー荘のある場所というのがこの地域の青年会の古くから道ジュネーのコースで休憩場所だったんですね。それを知ったのは開業の年でしたが、翌年からはおにぎりや沖縄そばなどを差し入れするようにしました。
するとそれが定着して、毎年いらっしゃるエイサー好きのお客様には「おにぎりを握るため」と理由をつけて予約される方も現れるようになりましたし、青年会が休憩している時におにぎりや沖縄そばを配るのをテキパキと手伝ってくれたりします。宿の目の前で初めて地元エイサーを見た宿泊の方も、特等席での迫力あるエイサーに喜んで頂きました。

そんなエイサー大好きマスター秀(ひで)が始めたお客様サービスが沖縄全島エイサーまつりでの場所取り。開門と同時にスタートダッシュしてグラウンド席の良い場所をキープ!「ごーやー荘スペシャルシート」としてご宿泊のお客様に最前列でエイサーを楽しんでもらってます。これもいつからか、リピーターのお客様も一緒に場所取りから楽しんでいらっしゃいます。

こんな風に、沖縄の伝統芸能を「観光客にも伝えたい」という気持ちから、気が付けばいつの間にかお客様も巻き込んで一緒に楽しむようになっていました。
古民家と伝統芸能の親和性が高いということもありますが、敷居が高いと感じずに気軽に触れて楽しんでもらうように、気持ちを忘れずにこれからも続けていきたいと思います。

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