見出し画像

第一回「ごーやー荘の誕生秘話−不思議な巡り合わせが生み出した古民家民宿」

沖縄本島のど真ん中。生活に観光に便利な街 沖縄市。そんな街の中心部にほど近い場所に佇む瓦屋根の古民家。
開業から15年、地域に根ざした宿として時を刻む「ごーやー荘」は、これまで延べ1万8千人近くの国内・海外のお客様にご宿泊頂きました。

オーナーは皆から「秀」(ひで)と呼ばれる私 野下秀広。長崎県出身。というと「民宿をやりたくて移住した島ナイチャー」というイメージを持たれることもしばしばですが、1987年から4年間大学時代を沖縄で過ごし沖縄の人と結婚した「ウチナームークー」(県外出身の婿さん)です。

ごーやー荘についてどんな古民家民宿なのか、詳しくは過去のノートをご覧頂きたいと思います。
https://note.mu/goyahso_okinawa/n/n3941ddbf751f

これからのシリーズでは、民宿・ゲストハウスなどのいわゆる簡易宿泊所を将来やりたい方の開業の参考になればいいと思いますし、沖縄のスローライフに興味津々な方の読み物としても書き綴れたらいいなと思います。

まず第一回は古民家民宿の誕生秘話的なもの。でもそのお話って色々な巡り合わせが重なって開業に至った、ちょっと不思議なお話、でもあります。
開業を目指して沖縄を走り回っていたあの頃はそんな不思議な巡り合わせがどんどん起きていたなと、今でも思い返します。

ゲストハウスデビュー

ごーやー荘は2003年4月オープンですが、その1年ほど前に私は沖縄でゲストハウスデビューしました。

当時はサラリーマンで東京暮らし。営業企画のような仕事をしていていくつもの製品を扱っていましたが、やりがいもある一方で忙殺の状態に、社内で同僚に怒鳴り散らすこともありましたし夜の街でうっぷんを晴らすこともしばしば。いつか自分が壊れるんじゃないかという恐怖を感じることもありました。

そんなある時に沖縄でお世話になった教授の退官記念パーティーに参加。その時の宿泊先は妻から「こんなところもいいんじゃない?」と紹介された那覇のゲストハウスでした。

それまで出張などでホテルしか利用したことのなかった私にとって1000円前後の料金で泊まれるゲストハウスが怪しさ満点で、それでも「違う世界を知って、自分を取り戻してほしい」という妻の思いに応えたかったのだと思います。個室希望で予約したのですが空いてるのはドミトリーしかない、ということで人生初ゲストハウスでドミトリー体験でした。

10代後半から50代くらいまで幅広い年齢の人が宿泊し、肩書も分け隔てなく語り合う。その空間がただただ新鮮でした。
自由という言葉を描いたような空間で過ごした経験。(ところが、その夜は緊張であまり眠れず、、でしたが)
それからというもの、この時の体験が忘れられず、いずれはゲストハウスをやりたい、新しい発見や人との出会いの場を作りたいと思うようになっていったのです。

不思議な引き合わせ

そんな憧れから「いずれは」という思いがどんどん膨らみ、それから半年ほどする頃には場所や物件などを探し始めていました。
月イチで沖縄に通うようになり、レンタカーで雰囲気の良さそうなところを走っていたある日。
とあるおしゃれなコンテナハウスを利用した木工ショップがありました。

お店に入りショップオーナーと話してみると、、なんとこの方が以前私が初めて泊まったゲストハウスの内装なども手がけたとのこと。
そこから話は一気に盛り上がり、私が「ゲストハウスを始めようと思っても、土地とか建物とか。。。数千万は必要だからやっぱり厳しいかなと思って」という悩みを話したら、
「なんで建てるの?みんな物件を借りてやってるよ」
とそのショップオーナー。

そう。
民宿やゲストハウスなどをやるのに別に持ち物件じゃなくてもいいんですよね。
実際調べてみると、旅館業法では物件の建築基準確認書と賃貸物件の場合は簡易宿泊所として利用できるという契約になっていればOK。

これで開業のハードルが一気に数千万から数百万に下がりました。
ふらっと立ち寄った先のオーナーが、私に開業のきっかけを与えてくれたゲストハウスに関わっていたり、開業に関わる情報を得られたのも不思議な巡り合わせでした。

それからは土地だけじゃなく賃貸も含めて物件探しを始めました。
当時人気の北谷や読谷など海の側で探していましたが、妻から「コザもいいんじゃない?」と言われたこともあり、エリアを広げて探していました。

コザというのは現在の沖縄市ができる前の町の名前。この沖縄市=コザについてもnoteに過去記事がありますのでご参照ください。
この街(コザ)のこと
https://note.mu/goyahso_okinawa/n/nff421660169d

物件との出会い

ゲストハウスをやりたい一心に駆られてて夢にまで見るようになっていた私は、夢の中で既に「ゴーヤーソウ」という名前を言ってしまうほどになっていました。

そんなある日、送られてきたFAXの不動産情報の物件を見ると、住所は沖縄市「胡屋」。
「胡屋」と「ゴーヤーソウ」、、再び不思議な巡り合わせがやって来ました。

ゴーヤーという野菜はTVドラマ「ちゅらさん」の影響で全国区になっていましたし、何より、夢にまで出て来た「ゴーヤーソウ」と「胡屋」の巡り合わせで、物件より名前を先に名前を決めてしまいました。
そしてすぐに沖縄に飛び内覧。
畳や障子戸などを変える必要はありましたが、綺麗に使われていた屋敷に一発で惚れ込みました。
(キャッチ画像の写真が開業直後のほぼいじってない状態の物件です。)

当時は「不特定多数が出入りすると家が傷むから」「内装など手を加えられるのは嫌だから」などと言った理由で、民家を宿泊施設用に貸し出すことはあまりなかったそうですが、ここの家主さんは「若い人が沖縄で頑張るんなら応援するよ」とゲストハウス開業を快諾して下さったのです。
物件としては中心市街地へのアクセスなど立地もよく、旅館業法の営業可能用途地域にも準じており、この古民家を活用させていただくこととなりました。

古民家ゆえの、、

さてこれらの不思議な巡り合わせを感じながら見つかった「ごーやー荘」となる古民家物件。後は開業の申請なのですが、、

簡易宿泊所の許可申請は地域の保健所に申請するのですが一つ問題が発生しました。古民家ならではの問題ですが、建築基準確認書がなかったのです。これ古い建物だと結構ありえる話なんです。
元の持ち主がいつの間にか紛失したとか、カビたりシロアリに喰われたりして処分したとか。。
建築会社などもわかりませんのでコピーの所在もわかりません。

ひょっとして市役所の建築課にないかと思い訪ねましたが、保管期間15年となっていますのでやはり無し。ましてやこの古民家が建築されたのは、沖縄市の以前「コザ市」の時代です。
さあどうしようかと悩んだ末に取った私の手段は、とりあえず登記簿を取って建築年月日などを調べ、「古い建物なので保管していません」といった文書を作って前述の市役所建築課に行き、担当者の印鑑をもらい、それを添付して保健所に提出しました。

そして、、見事、通りました!
保健所って地域によって違います。法律もありますし都道府県の指針のようなものもあります。
ですが地域保健所あるいは担当官レベルで「こんなのダメダメ」という人もいれば「ここはこうすればいいんじゃないですか?」という人もいたりします。
こちらも担当官の言うことをちゃんと聞いてその通りにすれば真摯に対応してもらえます。
保健所や役所などを融通が利かないお役所仕事などと考えてしまいがちですが、「コンサルタント」的に考え何度も通ってどうしたらいいか相談していたのが功を奏し、無事、申請通過となりました。
(この場合はあくまでも平成14年時の当該地域保健所でのことになります。これが現在の他地域で当てはまるわけではありません。また旅館業法の申請基準など、簡易宿泊所の営業許可にはいろんなクリアすべき項目がありますが、それらについては厚生労働省のサイトやいろんなサイトで解説されているのでそちらに譲ります)

——————————

ひょっとしたら「こんなのお前だけの特別な体験じゃないか!全く参考にならない」とお怒りになる方もいらっしゃるかもしれません。
ですが何かを成そうと思う時、誰かに尋ねたりお願いしたり、そういったことはとても大切だと思います。
私はこの古民家民宿でまだまだたくさんの不思議な巡り合わせとの出会いを感じたいと考えています。
次回から、めでたく開業できたごーやー荘が15年、どのように歩んできたかを綴っていきます。

——————————


古民家民宿をまだまだ盛り上げたい。エナジャイズ=活性化のためのクラウドファンディングをやってます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?