三川さくら

94年生まれ。ふだんは小説の編集をしています。上流と下流、若者と中高年、文系と理系の間…

三川さくら

94年生まれ。ふだんは小説の編集をしています。上流と下流、若者と中高年、文系と理系の間にいたい。 社会/哲学/デザイン/日本語

最近の記事

「何者か」になることへのリミット

先日、アマゾンプライムでウォッチリストに入れたまま積ん読ならぬ積ん観していた映画の中から、なんとなく『SCOOP!』(2016年)を観た。 福山雅治演じる中年カメラマンがあるシーンで、二階堂ふみ演じる新人記者に「俺、きっと何者かになりたかったんだろうなー」みたいなことを言っていた。 その後、彼はある意味「何者か」にはなれたのだけど――。 正しく言えば、誰かにとっての、「何者か」。 社会にとっての「何者か」でいつづけることはできなかった。 時がたてば、社会からは忘れ去られ

    • 書くのがこわい

      昔から「認められない」ことがとてもこわいです。 幼少期は転勤族でした。新しく入った学校に馴染めないことは子供にとっての「死」を意味します。 だから、どうにかして、認めてもらいたかった。 平均点くらいでは見てもらえない。どの分野でもトップを張る勢いでなければ。 おかげで、変に頑張るクセがつきました。 ブログも1年くらい前に開設したのに一記事も書ききれていません。 あー、この人こんなレベルなんだ、と思われたくなくて。 完璧主義で、正直、傲慢だと思います。 でも、今

    「何者か」になることへのリミット