「何者か」になることへのリミット
先日、アマゾンプライムでウォッチリストに入れたまま積ん読ならぬ積ん観していた映画の中から、なんとなく『SCOOP!』(2016年)を観た。
福山雅治演じる中年カメラマンがあるシーンで、二階堂ふみ演じる新人記者に「俺、きっと何者かになりたかったんだろうなー」みたいなことを言っていた。
その後、彼はある意味「何者か」にはなれたのだけど――。
正しく言えば、誰かにとっての、「何者か」。
社会にとっての「何者か」でいつづけることはできなかった。
時がたてば、社会からは忘れ去られ