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絵がありゃいいってもんでもない

とあるミステリ小説のコミカライズを読んでいて、あまりにも内容がアタマに入ってこなくて困った。

このわかりにくさはグラフィック・レコーディングでも同じだよなーと思ったので、そのあたりを少し書いてみたいと思う。

「名探偵コナン」のわかりやすさ

名指しで「このマンガのこんなところがわかりにくい」と言うのもアレなので、わかりやすいものからアプローチしてみよう。小学生にも大人気の「名探偵コナン」ならきっとわかりやすいに違いない。

というわけで、以下は「FILE.3 仲間はずれの名探偵」から実際の1シーンを描き写したもの。(スクリーンショットを載っけると著作権的にどうかと思うので、雑に描いてみた。)

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そして、わかりにくかったマンガ風に描き直したのがコチラ。

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こんな風に話している人たちの絵が延々とつづき、状況を説明する絵が一切ない。
これ以上にセリフ密度の濃いものが数ページにわたって続くのだ。

「名探偵コナン」は元々マンガ原作だからなのか、状況の描写がとてもわかりやすい。犯人役の全身黒タイツさんもいるしね。小学生でも読みやすい。(多分。実は「名探偵コナン」をそんなに読んだことない。ミステリ小説原作のコミカライズだと「虚構推理」というマンガが読みやすいよ。)

絵を描くことの嬉しさ

グラフィック・レコーディングでも同様に、絵から得られる情報が「誰が話したか?」のみで「何を話したか?」はテキストからしか読み解けないものは多い。

可視化の嬉しさはあっても絵があることの嬉しさが感じられるものは少ない。

せっかくグラフィック・レコーディングを描くなら、絵があることの嬉しさを感じさせられるものを描きたい。絵があることの必然性をちゃんと言語化したい。

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