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人が人の闇を知るとき

「人は他人のことなどわからない」というのが、私のスタンスである。
しかし、私のように他者の手を借りねばならない者は、どうしても人に理解を求めなければならない。

理解してください。

なんだかとっても嫌な言葉だ。
懇願しなければならない惨めさ、結果的に理解してもらえなかったときの落胆、いずれにしてもそこにポジティブな響きは感じられない。

障害者として発する「理解してください」という言葉は、つまるところ私への理解に繋がる。
私を理解してもらうには、私を取り巻く状況や、そこで私が感じることを知ってもらわねばならない。
そこで語られる「本音」は、健常な人達にはけして耳障りが良いわけではない。
これまでそういったこと何人かに話したことはあるが、多かれ少なかれの拒否反応があるようには見えても、一旦受け止められる人はいなかったように思う。


もちろんこれは逆も言えるかもしれない。
しかし、健常者は障害者を疑似体験できるし、ひょっとしたら障害者になる可能性はあるが、私は一生健常者の立場を体験することはできない。だから、私には健常者の状況や感じていることを知ることはできない。

先日から何度か観劇しているミュージカル「ファントム」にこんなセリフがある。ネタバレになる可能性があるので、知りたくない方は飛ばしていただきたい。

ゲラール:無邪気なあの子は、君を受け止めきれなかった。
エリック(ファントム):無防備なあの子は醜さを受け止めきれなかった。

Arthur Kopit脚本 ミュージカル「ファントム」

ヒロイン・クリスティーヌはファントムの顔の造形に想いの他恐怖心を抱き、それを隠すことが出来なかった自分にいたたまれなくなってその場から逃れる。
彼の心の闇、その源となる顔の造形は彼のアイデンティティそのものであり、その「醜さ」を彼女は受け止めることができなかった。
彼女はファントムの美しい部分だけを見て愛していると言ったのだ。

私と健常者の間に起きることはファントムとクリスティーヌの間に起きたことと同じだ。
障害を持つ人だって普通の人間であり、聖人君主ではないことくらい多くの人が理解できるだろう。
しかし、その奥深くに眠る闇を知ると人は去って行く。まるで恐ろしいものを見てしまったクリスティーヌのように。

私はどちらかというとポジティブに生きている方だ。このnoteやネットを探せば、私がいろいろとやらかしていることを知っていただくことはできる。
その原動力はおそらくファントムの仮面の下のようなものだろう。
それを受け止められる人は、果たしているのだろうか。


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