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家業を継いだ僕に飛び込んできた、父のたくさんのエピソード

「いつかは事業承継するんだろうな」。そんな気持ちでいるあなたにも、事業承継する日はいきなりやってくるのかもしれません。今回インタビューするのは、徳野新太郎さん。最近家業の代表取締役に就任されたばかりです。お話を聞きました。

お話を聞いた徳野新太郎さん

”地元のちょっとした有名人”の家に生まれて

幼い頃、お父様と。貴重な一枚だそう。

──まずは家業について教えてください。どんな家業をお持ちなのでしょうか。

ヨシオ工業という、金属加工を行う事業が僕の家業です。金属を削ったり穴を開けたりする加工を請け負う工場と、その事業を転換して、工作機械や他社の設備などを組み立てる事業もやっています。

──ヨシオという名前の由来は何なのでしょうか?

祖父の名前が徳野與四男(とくの・よしお)と言うんですよ。60年前に祖父が創業したので、この名前がつきました。祖父はこれ以外にもいろいろな事業をしていて、苗字をとった社名もありましたが、父が継いだ会社がこの社名だったのです。

──いろいろな事業。すごいですね。

ありがとうございます。父は政治家もやっていて、家業以外にもいろいろなことをやっていたんです。

──面白いですね。子供の頃の思い出も、選挙にまつわるものがあるのですか?

ありますよ。ひいおじいちゃんの代から選挙に出る家系で、小学校の周りを選挙カーが走っていたのを覚えています。町議会議員などを務める地元のちょっとした有名人で、祖父が亡くなった後も、地元の人がその人柄を教えてくれることが何度もありました。

──家業そのものの思い出はいかがですか?

僕が小さい頃は、メーカーとしても頑張っていたので、父は営業に出張に出かけることが多かったのを覚えています。夜も取引先に会うために出かけていくので、幼い僕は「うちって貧乏なの?」と母親に聞いていたらしいです。

──お父様、お忙しくされていたんですね。事業承継については何か言われていたことはあったのですか?

大学に入る時も、卒業する時も何も言われませんでした。でも20代後半になる頃、家業を継がないかという話が出始めました。同じく家業を持っている友人が事業承継したこともあり、地元に戻ろうかという気持ちが出てきて。東京は好きでしたが、すべてリセットして帰ってきました。そして2018年4月、家業に社員として入ったのです。

──社員として家業や、お父様が働くところをご覧になってみて、驚いたことなどはありましたか?

父が僕が思っていた以上に会社や仕事を愛していたことです。家ではあまり会社の話をしなかったので、どんな思いを持っているのかわからなかったのですが、朝出社するとゆっくりと工場を一周するという日課があることを知りました。体調が悪くてもどんな時でもかかさず一周して、社員とコミュニケーションをとるんです。これが慕われている理由なのだとわかりました。

突然の事業承継と、たくさんのエピソード

──このヨシオ工業を徳野さんが最近事業承継されたと聞きました。

はい、父が亡くなって僕が継ぐことになりました。父は僕に社長をさせたいという考えを持っていたので、まわりも「次は当然お前だろう」という感じで。

──そうだったんですね。徳野さんに最初にお会いした時には、「まだ継ぐかわからないけど」とおっしゃっていましたよね。

そうなんです。そうは言っても、心のどこかでは自分が会社をみていくだろうと思っていたので、そのタイミングが思ったよりも早く、わかりやすく来たな、と言う感じでした。

──お父様のこと、お悔やみ申し上げます。この取材を受けてくださったのも、正直驚きました。

取材のお話を以前からいただいていたので、このタイミングでお話ししたいと思ったんです。父が亡くなって家業への思いもかわりましたし、新たに気づいたこともありました。

──どんなことに気づかれたのでしょうか?

社葬にしたのですが、その時に会社をしめて従業員の方がきてくださったり、夜勤の方まできてくださったのを見て、あらためて父がどれだけ慕われていたかわかりました。それだけではなく、僕のことをつかまえては「お父さんはね、こんな人でね」とたくさんの方が父のエピソードを教えてくれるんです。社員だけではなく、その家族の就職先を斡旋したり、身内にご不幸があれば手伝ったりと会社にいる間だけではなく、その人の人生まで面倒をみるような父だったことがわかりました。

──たくさんの方に声をかけてもらえたんですね。

はい。親戚にも頼むぞ、とか、改めて頼むな、と言ってもらえて。事業承継をしたことも喜んでもらえました。

事業承継をしてみて

──社長に就任されて、何か行ったことはありますか?

1ヶ月半ほどかけて、100件以上の挨拶まわりをしました。そこでも、また父の話を聞かせていただけるんですよね。ご挨拶にいくと「座れ、座れ」と言われて、父の話が繰り出される。ありがたい時間でした。

これからのヨシオ工業と、まわりの人と

──あらためて今、事業に対して持っていらっしゃるお気持ちはどんなものでしょうか。

まず、せっかくヨシオ工業で働いてくださっている社員のみなさんの市場価値を少しでも上げられるお手伝いができればと思っています。工場での仕事は、どうしてもずっと同じ機械を扱うことが多かったり似たような作業が多くなってしまうので、異動を積極的に行ったりしながらさまざまなことを経験できるような会社でありたいと思っています。また、ヨシオ工業だけではなく、業界として、石川県として、自分のまわりを盛り上げる活動もしたいと思っています。製造業はどうしてもクローズドなところがありますが、家業エイドを活用していろいろな人と関わっていきたいなと思っています。

──では、家業を持っている人とも交流したいというお気持ちがあるんですね。

もちろんです。家業の話は、僕が聞ける話なら聞きますし、役に立てたらいいなと思っています。「社長は孤独」とよく言いますが、いろんな人に支えられて、関わっていただいて経営者としてやっていけるのだと思っています。だから、家業を持っている人はぜひ僕に連絡してほしいですね。

(写真:徳野さまよりご提供 / 文:出川 光)


最後までご覧いただきありがとうございます😊

本記事の内容・表現は、取材当時の"瞬間"を『家業エイド』視点で切り取らせていただいた、あくまで家業を通して皆様が紡いでいる物語の過程です。皆様にとっての「家業」そして「家業との関係性」は日々変わりゆくもの。だからこそ、かけがえのない一人一人の物語がそれを必要とする誰かに届くことを切に願っております。

運営チーム一同より

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