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少女に気軽な一人旅が届くまで問題2

今回は明治の鉄道についての話題です。
……と、いきなり言ってもいくつか説明しておかないと理解不能になってしまうので、少し並べておきます。
今回はこんなのあるなーという程度で読み飛ばしてOKです。自習のためにウィキペディア首っ引き状態です。後で解らなくなった人は読み返してください。詳しい人は「あ、門外漢がアンチョコペーパー作ってるな」とあたたかい眼で見守ってやってください。何しろ高校で日本史取ってないレベルなので詳しくなさがすごいです。

注意 2以降のこの記事は鉄道情報が足りていません。追記の告知をせずゴンゴン書き足します。申し訳ありません。

まず1868年。慶応4年が明治元年になりました。西暦の1868年10月23日が慶応4年9月8日です。そして明治元年9月8日……なのですが、公式にはこの慶応4年分も遡って明治にするとか訳の解らんことになっていますが、面倒なので慶応4年分は慶応4年で考えておきましょう。
ただでさえ旧暦での日付と西暦の日付が違って果てしなく面倒な状況があと数年続くので、あんまり考えないでおきましょう。
一応暦の話だけまず終えておきます。
明治6年1月1日から新暦、グレゴリオ暦になるんですが、これもまた面倒です。何しろ旧暦の明治5年12月2日の後にいきなり新暦で明治6年1月1日を持ってくる方式です。とりあえず暦終了。今後はみんなグレゴリオ暦です。日付を併記したり「この日付どっち!?」と悩まずに済みます。

新暦になる前に廃藩置県があります。明治4年7月14日(1871年8月29日)です。その前には府藩県三治制とかカオスなことになっているんですが、明治2年6月17日(1869年7月25日)にまずは版籍奉還で土地と人民を朝廷に返した2年後に藩は取りやめ、府と県のみになります。
府は東京府、京都府、大阪府の三府、県は大量にある上にどんどん整理、統合されて名前が変わったりあれこれしててカオスです。なので東京、京都、大阪もこの時点では範囲が違います。
全く見たこともないような県名や、なまじ今の名前と同じなので範囲に戸惑う県名てんこ盛りです。

で、本題に入ります。今回はほぼ説明の回です。
頑張ってウィキペディアをひたすら見ます。

1872年10月14日(明治5年9月12日)に、新橋駅──横浜駅間に正式に開業した日です。10月14日は鉄道の日だそうです。ただしその前から品川駅──横浜駅間で仮営業が行われていました。(この新橋駅は汐留の旧新橋停車所、横浜駅は現JR桜木町駅あたりだそうです)
京阪間も1874(明治7)年5月11日に大阪駅──神戸駅での開通の後、1877(明治10)年に京都駅──神戸駅が開通。(もう新暦だけで大丈夫です。明治と書いてあって日付が違うとかはありません。紛らわしさが減りました)
北海道でも1880(明治13)年、手宮駅──札幌駅間が開通。

このへんまではいい感じに開通していますが、西南戦争でお金がなくなったせいで国の鉄道の開通計画がかなり滞っています。

他にも路面電車の前身となった馬車鉄道が現れます。その名の通り馬が車両を引きます。ある程度近距離をフォローする電車ですね。
1880(明治13)年、東京馬車鉄道が設立された後、全国であちこちに馬車鉄道が登場します。ただし、割と早めになくなってしまいます。何しろ馬を使うので糞尿がすごいことになって大問題になったせいです。
ほとんどが馬を使わない電力、蒸気を使用した路面電車に切り替わったり、廃止されたりしました。馬を動力に使った軌道などは後ほど別の形で出てきますが、この記事の続きで扱うかどうかはまだ解りません。

ただしこれだけでは全国を網羅するインフラとして全く足りず、1881(明治14)年、半官半民の会社、日本鉄道が設立されます。これでめちゃくちゃあちこちに開通しています。

日本鉄道と、北海道炭礦鉄道、関西鉄道、山陽鉄道、九州鉄道の五社を明治の五大私鉄というそうです……もう既に気力が尽きてきました。
他にも私鉄がかなり設立され、日本のあちこちに鉄道ができていきます。どんどん便利になっていきます。

このあたりで1889(明治22)年に東京市が設立されています。麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区の15区です。

初の路面電車の登場は1895(明治28)年。東洞院塩小路下ル──伏見下油掛間を開業し、その後も路線は延びていきます。近距離移動で鉄道を使用することができるインフラが整っていきます。

そして同年、新橋から神戸までを繋ぐ東海道線がに開通しました。しかも同年、私鉄の山陽鉄道への直通運転が開始され、神戸──下関間へも行けるようになっています。かなり遠距離まで来られるようになりました。

明治28年にはもうひとつ重要なことが起こります。
明治27年に勃発した日清戦争で日本が勝利し、台湾が日本の統治下に入りました。台湾は国内として移動できることになります。この時点で日本軍が台湾にある鉄道を接収し、工事を開始します。

1896(明治29)年、新橋──神戸間には急行列車も走り、時間短縮されます。

初めての馬車鉄道だった東京馬車鉄道は、鉄道他社二社との合併して、1900(明治33)年に動力変更の許可を受けて、東京電車鉄道と名称を変更しました。東京市電の前身です。

同年、山陽鉄道で寝台車が導入されたり、翌年1901(明治34)年には同じ山陽鉄道で食堂車が導入されたりしています。リッチです。

1903(明治36)年、大阪市営鉄道が花園橋──築港桟橋間が開通し、どんどん延びていきます。
1904(明治37)年、土佐電気鉄道が堀詰──乗出(本町線)、梅ノ辻──桟橋間(潮江線)が開通。

その後めちゃくちゃたくさんの路面電車が日本全国で開通しています。馬車鉄道も減ったとはいえまだまだあります。

1905(明治38)年、日露戦争で勝利した日本に南樺太が割譲されます。ポツダム宣言まで樺太も内地になりました。

同年、鉄道以外にも広島市の横川──可部間にバス路線も開通します。明治の終わりにはもう近距離の公共交通機関はかなり充実しているようです。バスは大正になるとゴンゴン増えます。

日本の各地で私鉄が設立されましたが、経済的に厳しくて破綻しそうな会社とそうでない会社が出てきて混迷の最中、1906(明治39)年、鉄道国有法公布時に国に買収されます。

買収されたのは北海道炭礦鉄道、甲武鉄道、日本鉄道、岩越鉄道、山陽鉄道、西成鉄道、九州鉄道、北海道鉄道、京都鉄道、阪鶴鉄道、北越鉄道、総武鉄道、房総鉄道、七尾鉄道、徳島鉄道、関西鉄道、参宮鉄道。これでかなりの範囲を網羅していると思います。
同年、急行よりもっと速い最急行が登場し、相当いろんなところに電車で行けるようになっています。

1908(明治41)年、台湾の基隆──打狗(高雄)を繋ぐ縦貫線が全通し、台湾の長距離移動が便利になります。

そして1910(明治43)年8月29日、韓国併合ニ関スル条約に基づき、日韓併合が行われます。ポツダム宣言で朝鮮半島の領有を終了することになるまで朝鮮は日本に領有されることになります。

1912(明治45)年には最急行が特別急行に変更されました。特急列車登場です。かなり今と近いところまで来たように思えます。
トラベルミステリは充分成り立ちそうなくらい交通インフラは発展しています。女性を主人公にしても近距離だったり、男性と同行していれば無理なく展開していけそうです。

ざっと眼を通していて「あれ? 東京駅ってないやん?」と気付いて確認してみました。東京駅の開業は1914(大正3)年12月20日。明治にはまだ東京駅はないんですね。明治のターミナル駅は新橋駅です。

でも、東京駅が建造される間の仮駅として、1910(明治43)年、呉服橋駅という駅が四年間だけ存在していました。

明治は多くの交通の変化があり、ざっくり飛ばすと意味不明になってしまうので、門外漢ではありますが、まる一回明治に充てました。大正以降あと二回くらいは続く予定です。

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