母のフィルターと自分の闇を認めたら、人との交流が楽しくなった話。

私は人混みや人間がキライだと思って生きてきたが、最近、そ~でもないと氣付けた。
そのきっかけは、
・母からもらったフィルターが外せてきたこと
・私の闇を受容でき、他人の闇も怖くなくなってきたこと

他県から閉鎖的な田舎に嫁いだ母は、近所や父の親戚がキライだった。
母は、おとなしい私に愚痴りやすかったのだろう。
最近、傾聴カウンセリングを受けていたら、私は母の負の感情のゴミ箱になっていたのかもしれないと氣付けた。
周りの大人が信じられない、というフィルターを通してみていた世界は安心できず、不安定なものだった。愛想のよい挨拶をしなけらばならない縛りも持っていた。
私は、大人の怖い、汚い部分を聞き育った。だから他人が信用できず、人と距離を取りながら生きてきた。

ここ1年の間、素の私で自分を表現するうちに、人との交流が楽しいし、ありがたく思えてきた。
例えば、私は自治会の子ども会の役員をしている。
今夜は自治会の忘年会。以前なら面倒だとぼやいていたはずだし、参加すらしなかった。なのに、「寿司をだすかもしれません♪」なんて言われると、面白そう、晩御飯作らなくて済むからと、「子どもと参加します~。〇〇ちゃんもいかない?」と他の人まで誘っているのだ。
自治会は付き合いにくい人はいなくて。積極的に自治会を運営してある年配の方と交流したりお話しするもの面白い。
この前は、自治会のバスハイクに子どもと3人で初参加して、楽しかった。

あれ、人間が怖くなくなっている。😳
そもそも私は人の話を聴くことが好きで、その方の面白いと感じている世界観や価値観を知ることが好きなんだ😊。

母のフィルターから見ていた私にとって、人間には2面性があって、裏の顔を見るのが怖かった。表面では愛想よくしているのに、陰口をいうタイプが苦手だった。
けれど最近、私の闇にも対峙する機会があり、受け入れるようになってきたから他人の闇も怖くなくなってきた。

無意識に受け取っていた母のフィルターに氣付き手放せたら、本当の自分が出てきて。
子ども会も運営しているうちに、近所の方たちとの交流も増えて。
なんだか、楽しい🤭💓。


カウンセリング、傾聴って受けたところで何になるの?と思われる方もおられるかもしれない。
ジャッジなく、善悪なく、正しいもなく、自分の時間としてゆっりく話を聴いてもらえる時間って、とっても自由で気持ちが楽になれるもの。
幼い頃の自分も出てきて、声をかけてあげられて、今の自分も癒せたり。
自分では怖くて対峙できなかったことにも目を向けられる。ほどいていくと、楽になり、そんな怖がることもなかったなと後で思えたり。
もっともっとあなたを開放してあげましょう。
あなたは元々無限の力があり、自由で愛に溢れた存在だから、解放してあげるだけで元気になれるんです。😊💓💓

今日はまとまりがない文面だったけれど、お付き合いいただきありがとうございます😊💓





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