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「徒然草」を訳してみた。

タイトル通りである。
去年一年間かかって、「徒然草」の本文を訳しながら読んでみた。
元々、島内裕子先生の素晴らしい訳が読める↓の徒然草を読んでいた。

章段ごとに、
本文 訳 註釈 が書かれ、実に読みやすくて、その段が書かれた背景についても思いを巡らすことができる。素晴らしい一冊だと思う。
だけれども、どうにもこの本で徒然草を読んでいると、一陣の風が耳をすり抜けていったような感覚だけが取り残されて、徒然草と本当には向き合えていないような気持ちが残ってしまった(これはもちろん受け手である私の問題です)。

もっと「徒然草」を感じてみたい。
「徒然草」の余韻を自分の中に残してみたい。
そう思いついて、私は古語辞典を引っ張り出し、
「徒然草」の本文を全段訳してみることを決めた。
「徒然草」は全部で二百四十三段。
あまり長くないのだけれど、大学の勉強を優先するため数ヶ月放置したりと色々あって、全部訳すのに一年もかかってしまった。
しかし、その一年の間、私は「徒然草」と向き合い、自分の語彙力の少ない引き出しを全部開けながら、本文に見合う言葉を引き摺り出し、自分なりに納得のできる訳をできたように思う。
苦しく、楽しい作業だった。
少し落ち着いたら今度は「枕草子」を訳してみたい。
そしていつかは「源氏物語」を、などと途方もないことを夢見ている。

さて、「徒然草」だけれど、これはおそらく序段にもあるように誰に読ませるつもりもなく、兼好が思いついたままを書き連ねた文章の集積なのだろうなと感じた。
「徒然草」はよく矛盾点を指摘される。例えば、序盤で和歌の素晴らしさを讃えた後、中盤では詩歌を巧みに詠むことなど、不要な才能だと言ったり、そういった箇所は確かに多々見受けられる。
しかし、それはいわゆる「矛盾」とは少し違って、兼好がその時その時に思ったことをただ書いているだけなのではないか、と感じた。
人の気持ちは移り変わるし、それこそが「人間」である。読み手を意識せずに書かれた文章の中にそういった兼好の意思を読み取った気がする。
そして、その自由な人の目を気にしない語り口こそが「徒然草」の魅力なのだ。


出来れば、私の書いた訳を読んでもらいたいと思って、どれを載せようか色々考えたのだけれど、やはりどうしても徒然草の中でも一番有名な百三十七段が一番好きなので、これを載せようと思う。
「花は盛りに、月は隈無きをのみ見る物かは」ではじまる章段である。
島内先生も、「徒然草の全体を通して、最大・最高の章段である」と評された通り、兼好の世の中を鳥瞰したような視点が次々と移り変わっていく様など、本当に素晴らしく、兼好の文章の良さが凝縮したような段だと思う。
ただいかんせんとても長い段なので、本文は載せず、訳文だけを載せてみます。お暇な時にでも読んでもらえると嬉しいです。 

ここの訳ちょっと変だよと思ったら、コメント欄で指摘してもらえると助かります。
ではでは。



 第百三十七段

 花は満開の頃を、月は曇りなく輝いている時だけが見るに値するものだろうか。いや、そうではない。
 雨に向かって月を恋しく思ったり、部屋の中に閉じこもって、春がやってきたことにも気づかず、待ち望んでいた桜が散ってしまったりすることは、一層情緒が深いものである。今しも咲こうとしている梢、庭に散ってしまった花が萎れている様こそ、見所も多いものだ。和歌の詞書にも、「花見に参りましたが、すでに散ってしまっていました」とか「障りがありましたので、花見には行けませんでした」などと書いてあるのは、「花見をして」ということに劣っているだろうか。花の散り際、月が欠けていくところを慕う習慣は、当たり前のことだが、ものの情緒を解さない人に限って、「この枝もあの枝も散ってしまった。もう見るべきところもない」などと言う。

 全てのことは、その始めと終わりこそ素晴らしいのだ。男と女の関係も、ただ二人で逢って過ごすことだけが全てではない。逢うことが出来ず、やむことのない悲しみの中にいたり、いい加減な関係を嘆いたり、長い夜を一人で明かして、遠い雲の向こうに思いを馳せたり、荒れ果てた古い家を見て、昔を偲んだりすることこそ、恋愛の情緒を解した人だといえるだろう。

 雲のかかっていない満月が、遥か彼方まで照らすのを眺めるよりも、夜明け近くなってようやく待ち侘びていた月が顔を出し、心に染み入るように、青みを帯びた光が、深い山の杉の梢に見える様子や、木々の間から月の光が漏れている様子、時雨れる叢雲に月が隠れてしまう様子などに、心を動かされてしまう。椎柴や白樫の木が、濡れたように葉の上を月の光に照らされている様子を見ると、心切なくなって、同じように情緒を解する友がいればと、都を恋しく思う。
 月や花だけでなく、全てのものは目で見て楽しむだけのものであろうか。
 春は、家を出て花見へ行かなくても、月の夜、寝床から出ていかなくても、月のことを思い描いていると、その美しさが期待されて、趣深いものだ。
 すぐれた人は好きなものへの態度もあっさりとしていて、興味を持つ様もどことなく等閑なものだ。片田舎の人に限って、しつこく何にでも興味を持って面白がる。満開の桜の木の元に、にじり寄り、立ち寄り、よそ見をせずにじっと見つめ、酒を飲み、連歌を詠み、果ては、大きな枝を心無いことに折り取ったりする。美しい泉があれば、手足を浸し、真っ白な雪が降り積もれば、降り立って足跡をつける。全てのものを遠くから離れて見るということが出来ないのだ。
 そういう人が祭り見物をする様は、まったく驚くばかりだ。「なんでこんなに行列が遅いんだ。待っている間は桟敷にいなくてもいいな」とか言って、奥の店に入って、酒を飲んで、食い、囲碁や双六などをして遊び、桟敷には誰か人を置いておいて、「行列が渡ってきましたよ」という声に、肝が潰れるように争い合って走って昇ってきて、落ちそうになりながら、簾を張って、押し合いつつ、一つも見逃さないとばかりに見守って、「ああだこうだ」と行列の一つ一つについて話し、行列が行ってしまうと、「また渡ってきたら」と言って下へ降りてゆく。こういう人はただ行列の表面のみを見ようとしているに過ぎない。 都の立派な人は、眠っているような様子で、行列などちっとも見ていない。まだ若く身分の低い人たちは、自分より身分の高い人たちのお世話をしているし、人々の後ろで雑務をしている人たちも、みっともなく身を乗り出したりしないので、分別なく見物するような人はいない。

 賀茂祭の頃、何気なく葵の葉が懸けてあるのは優雅なことである。夜がすっかり明ける前から、目立たないようにあちらこちらから牛車が寄せてくる。乗っている人を知りたくて、「あの方だろうか」「それとも、あの方だろうか」などと思い描いていると、牛飼いや従者に見覚えのある人がいたりする。祭りが始まると、面白く、また光り輝く様が美しい様々な様子の行列が行き交って行く。見るだけで、ちっとも退屈しない。日が暮れると、あんなに並んでいた牛車も、所狭く並んでいた見物人も、すっかりいなくなってしまう。一体どこへ消えてしまったのだろう。程なく誰もいなくなって、車たちの騒々しい音も聴こえなくなり、簾や畳も取り払われ、目の前でみるみる寂しくなっていく景色に、この世の無常を思い知らされる。こうやって大路を見ることこそ、本当に祭りを見ているといえるのだろう。

 あの桟敷の前を行き交う人々の中に、見知った顔が多々あることに気づいた。世の中の人の数というのは、そんなに多いわけではないのではないか。ここにいる人たちがみんな死んでしまった後に、自分が死ぬと定まっていたとしても、程なくその機会は廻ってくるだろう。大きな器に水を入れて、細い穴を開けると、滴る水の量は少なくても、ずっと漏れ続ければ、やがて器の中の水は全て無くなってしまうのだ。都にはたくさんの人が住んでいるが、一人も人が死なない日というのは無い。一日に一人や二人は死ぬだろう。鳥部野・船岡やその辺りの野山に送る数が多い日はあっても、一人も送らぬという日は無い。ならば、棺を売る人はそれを作り置くことはないだろう。その人の若さに限らず、強さに限らず、死期は思いがけずやってくる。今日までそれから逃れることが出来ていたのは、有り難い不思議といえる。ほんのわずかな間でも、この世をのどかに過ごそうなどと思えるものか。
 継子立というものを双六の石で作って、立てて並べる時は、どの石が取られるかわからないけれど、数え当てて一つを取ってしまうと、その他の石は取られることなく逃げ切ったと思うが、また数えれば、取られていって、そうこうしているうちに、どの石も逃れることが出来なくなる。死というものもこれに似ている。武士は、戦に出る時は死が近いことを知って、家を忘れ、自分自身のことも忘れる。隠遁して、ひっそりと草庵で水石を弄び、死を余所事のように思うのは、とても哀れなことだ。静かな山奥にいても、死という無常の敵は、先を争ってやってくるだろう。その死に臨むことは、戦の陣に進むことと同じことなのだ。



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