極北の地から旅を知った。
日が昇る前の朝は、もう寒さを感じる。
寒さを感じ始めて、本格的な冬になるまでの期間は想像以上に短い。
この季節はキャンプをするのにうってつけだから、行ってみたい場所をピックアップする時間が楽しい。この季節を今年は存分に味わうぞ、と目論んでいる。
キャンプには必ず本を持って行くけれど、旅のお供としてこれはいい!と思える本と最近出会えた。
このタイトルを目にしたことは今まで何度かあったけど、手に取るきっかけがなかった。実際読んでみて、あぁもっと早く読むべきだったと思う反面、いま出会えたからよかったとも思う。
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アラスカに魅せられた写真家、星野道夫さんが書き綴ったエッセイ集。
恥ずかしながら私は今まで作品に触れる機会がなかった。
星野さんは26歳でアラスカに渡り、数々の野生動物や大自然を写真におさめている。
そんな人が書く本は、どんな冒険記なのだろうとワクワクしながら本を開いた。
冒頭の文章から、早速そんな期待を裏切られる。
初夏が近づいているアラスカ。その変わりゆく季節を、風や動物たちで感じている星野さんの心象が語られる。
この文章を目にしたとき悟った。これは、冒険記ではない。
非日常感を味わうことを期待した自分をも忘れてしまうくらいに、最初の語り口から、私はスルスルと引き込まれていく。
アラスカに根を下ろし15年を過ごした星野さんが、昔の日記帳を見つけて懐かしんだという最初のエピソードは、「新しい旅」と題されている。
そこには、移ろいゆく時の流れや心の揺れが淡々と綴られていた。
読みながら、私はすでに遠い土地であるアラスカの風景が、ぼんやりと繊細さを帯びてきている感覚がした。
この旅を共に味わう準備が、私の中でも静かに整ってゆくような、そんなはじまりだった。
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16歳で初めてアメリカへの旅を決行したという星野さん。
自分とはまるで別次元に存在しているかのような行動力だ。こんなパッション溢れる人の話についていけるのか最初は少し不安だった。
でも読み進めていくと、不思議と共感できる部分も多かった。
例えば、「今この瞬間」という平等に与えられた時間を、皆が同時に体験しているという不思議さが語られている部分。
頭では理解しつつも、心はそれに追いついていないような、処理しきれずにいる感覚。わかるなぁ。
つい先日の事で言うなら、何万人という人々が同時に空を見上げるという面白い現象が起きていた。
私もその、『皆既月食』を目にした中のひとりだ。
その瞬間を、今か今かと待ちわびていた人。
たまたま目にした人。
家族と一緒に眺めた人。
ひとりぼんやり見た人。
目にすることなく働いていた人。
眠っていた人。
私には、それらをふと想像してしまう出来事だった。
それを見た見てないの話しというより、同じ月の下で暮らしている人々がそれぞれの場所でそれぞれの時間を過ごしている…という当たり前のことを、あらためて再認識した夜だった。
上記の一節を含んだ「もうひとつの時間」という章が、私はとくに好きだ。
その中で、友人である女性編集者とクジラ撮影の旅に出ていた時、ザトウクジラの群れに出会ったというエピソードがある。
突然、一頭のクジラが海面から飛び上がり、それに目を奪われたという。
後に語られる友人の言葉が印象的だ。
まったく別の世界で生きる誰かへの思いを募らせることができる。それって、なんて無意味で素敵なことだろう。
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読み進めると、ときおりグッと引き込まれるような一節にも出会う。
朽ちたトーテムポールの傍らに、かつて生活していたハイダ族の住居跡を見つけたときの心境を、星野さんは上記のように書いている。
心象を淡々と、だけどこれだけ的確に表現できるところに、読書家であったというのも頷ける。
アラスカという土地を表現するときに、これが星野さんの一番伝えたかったことじゃないだろうか、と私は思う。
『それ自身の存在のための自然』
これ以上でもこれ以下でも、もはやそんな次元で語る必要のない存在ということだろう。あるがままに、誰のためにという意味を持たない自然の逞しさが、羨ましかったのかもしれない。
星野さんの文体はとても穏やかだけど、動じない強さという感じとは少し違う。
あらゆるものの機微を捉えようとする写真家の持つ気概だろうか。私が感じたのは、湧き立つ何かを抑えながら、その対象を懸命に捉えようとする真摯な眼差しだった。
この本では、人との関係性とか、その土地の歴史的な出来事とか、そういう説明的な部分はあくまで最小限だ。誰かと共にした時間そのものを描くことに大きく振っている。
それは人だけじゃない。一匹のオオカミだったり、一本のトウヒの木であったりする。
だから今考えると、私はなんだかずっと写真を眺めているような気分だった。
星野さんの見たその時の光景が頭の中に自然と流れ込んできて、ときにはそこに描かれていない景色や時間をも想像してしまう。
決してドラマチックな物語として語られるものばかりではなかった。
でも、むしろそれが刹那的な空気感をいっそう強めているように思う。
この瞬間ヒュッと風が吹いてきそうな、香りが漂ってきそうな、白い吐息が見えてきそうな、そんな不思議な世界観がある。
この本の何に魅かれるのだろうか。
それを言い表そうとすると難しい。
でも強いて言うなら、見えないものに思いを馳せることのできる豊かさであると思う。
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星野さんは想像する。
一本の足跡から、オオカミがここまで辿ってきた道のりを。
腰かけた岩場から、はるか昔の住人が自分と同じように眺めた夕暮れの海を。
電車から見える、決して自分と出会うことのない人々の生活を。
出会うことと、出会わないことの可笑しさを本書では随所に語られている。当たり前のことを当たり前に思えないことは、私にもある。
そんな風に、ふと訪れる当たり前への不思議さに、ペースを落としながらゆらゆら考えてみるのもたまにはいい。
世界の端々にいるどこかの誰かに、これから一生出会うことはなくても、何かの拍子にふと頭をよぎることがあるなら、それが豊かさへの出発点なのかもしれない。
当初はこの本を読み終えたとき、きっとアラスカの大自然のことや極北の厳しさ、脅かされる生態系の現状などを主軸とした感想を持つだろうと思っていた。
でも読み終えると、刺激的で自分とは切り離された遠い土地を思わせるお話ではなかった。
むしろ「今ここ」に向ける日々の眼差しや、「今ここにないもの」への想像力など、日々の暮らしに根付かせたいヒントがいくつも散りばめられていた。
多様性に富んだこの世界をより面白く生きるには、変化や移ろいゆくものを噛みしめてすすむ旅のような、そんな感覚を胸に抱くことなのかもしれない。
アラスカにいつか行ってみたいなぁ。
今の生活では到底現実味を帯びない話だけど、旅のきっかけは案外そんなものだ。
遠い地に存在している自然や人々の生活を、もうひとつの時間として、
私のなかにも持ち続けていたい。
そんなことを、感じさせてくれる本だった。
ここまで読んでいただいたこと、とても嬉しく思います。