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CHAPTER3: 復興から未来へ。まちの希望をつくるプレイヤーから学ぶ[東松島市オフサイト研修]

自然電力が主催する、環境問題をビジネスで解決できる地域プロデューサーを育てる実践型ビジネススクール&オーディション「GREEN BUSINESS PRODUCERS(GBP)」。この記事は、フィールドワーク先として訪れた宮城県東松島市でのオフサイト研修のレポートです。

「GREEN BUSINESS PRODUCERS(GBP)」は、気候変動というグローバルな問題をローカルに落とし込み、ビジネスの力で解決する”グローカルリーダー”を目指す約3ヶ月のプログラム。

フィールドワークを通じた実践的な研修のため訪れた「宮城県東松島市」

CHAPTER1、2では、震災当時、復興に向け最前線で戦っていた東松島市の現役職員と、元職員のお二人によるトークセッションからスタート。その後、震災復興伝承館や集団移転先に新設された宮野森小学校など、主に行政が関わった復興にまつわる場所を視察しました。

CHAPTER3では、東松島市の未来への飛躍、そして市民の取り組みを視察した様子をレポートします。


あらたな取り組みが広がる、東松島市の未来を学ぶ

CHAPTER1 トークセッションの最後、実は、元東松島市役所職員の高橋さんと現役の東松島市役所職員の石垣さんのお二人から受講生にメッセージをいただいていました。

いまも市役所職員として活躍される石垣さんは
「自分の個人のプロジェクトは、hop step jumpで出来るが、世の中を変える取り組みでそれはない。仲間を集めて、賛同者を集めて、階段を一歩ずつあがっていくしかない。これは、復興のプロセスの中で学んだこと。30-40年かかっていい。諦めることなく、ゴールに向けて一歩ずつ進んでほしい。その中で、東松島にご縁があると嬉しい」
と話してくださいました。

高橋さんからは
「自分の息子に逃げ足が早い子がいる。大学時代、箱根駅伝の選手だった。彼がいうには『箱根を走るときには歩道から、左耳がキーンとなるくらいの声援が聞こえてくる。それが、自分の持っている以上の力を引き出してくれる』。皆さんもお友達がいっぱいいると思う。仲間を作って、応援する、応援される人生を歩んでほしい
というエールをいただきました。

市の復興計画をたてるために、2000人を超える市民とコミュニケーションを交わした東松島市役所。

高橋さん、石垣さんからのエールを胸に、GBP一期生たちは、この地でローカルビジネス実践者たちの現場へと向かいます。

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「東松島市の人・暮らし・産業の活性化を担う、未来の希望へ」一般社団法人HOPE

続いては、東松島市の未来であり希望である、一般社団法人 東松島みらいとし機構(HOPE)の渥美裕介代表理事にプレゼンテーションしていただきました。

HOPEは、東松島未来都市機構 Higashimatsushima Organization of Progress and Economy, Education, Energyの略称。

「震災前よりももっといい街を作ろう」という東松島市の復興ビジョン実現のための産学官民の中間支援組織として、2012年に立ち上がりました。

電力サービスや移住コーディネート、ふるさと納税の窓口業務、公営住宅の管理業務などを担っている他、行政や地域にある課題やニーズに応えるために、市民と企業や大学、NPOとの間に立ち事業を進めています。

写真右、プレゼンテーションをする渥美裕介代表

HOPE設立当初は、市から予算が出ていましたが、収益事業を行い自走していけるようにと言われていたそうです。

収益事業のうちの1つが電力事業。ほかにも、東松島市のふるさと納税の窓口業務、定住促進のための婚活パーティの開催なども実施。以前は宮城県に委託していた災害公営住宅の管理も、窓口業務を担うとともに、管理部分は市内の工務店に委託。コストカットとサービスのスピードアップを図るなど、工夫してきました。

移住や災害公営住宅の管理に加え、新電力として電力小売事業も行っているHOPE。東松島市の人々の暮らしに密接に関わっていることが伺えますが、それだけでなく、新たな産業づくりにも乗り出しています。

アサヒビールから全面的に支援してもらい、被災地で麦(希望の大麦)を育て、クリアアサヒの原材料に使ってもらっています。そして東松島市のクラフトビール「Grand Hope」を造り、HOPEが運営しているビールバーも職員が日替わりで店番をしているそうです。

希望の大麦プロジェクトと呼ばれるこのプロジェクトは、年々作付面積の拡大を続け、農業生産法人の売上も増えるように。同時に、麦を作ってほしいとの依頼も増えているそうで、現在では、約20haまで作付けが広がっています。

HOPEは、市民と企業との交流作りにも一役買っています。

代表の渥美さんは「アサヒグループとの縁はつながり、アサヒ飲料の新入社員研修を10日間開催しました。“企業がどのように地域の課題に向き合い、どのようなことができるか”というお題で、HOPEが市民や行政、移住者に協力してもらい、フィールドワークを実施したんです。地域の人にも『若い人と話ができて良かった』と喜んでもらえました」と話してくれました。

この後は、HOPEが現在管理業務を担っている、東松島市スマート防災エコタウンの視察へと向かいます。


「災害に強く、環境に優しい」を象徴する東松島市スマート防災エコタウン

東日本大震災当時、長期の停電により十分な医療サービスを受けられなかった方々がいました。

エネルギーが命と隣り合わせであることを実感した大震災で得た「市民の命を守るためには、災害時のエネルギー確保が不可欠」という教訓。

この教訓を活かし「災害に強い分散型の自立エネルギーシステムの構築」を具現化したのが、東松島市スマート防災エコタウンです。

当時このような仕組みは東北電力管内でも前例がなかったそうです。市とHOPEの二人三脚で、電力会社をたずねたり、経済産業局に相談したりして、何が正解かも分からず手探りで進めることになりました。都市計画とも絡んできます。周囲には大きな病院や公共施設があるため、避難所になりうるなど、投資をしていくという考え方が必要だったそうです。

もともと農地だった場所を災害公営住宅の用地として造成をし、85戸の公営住宅が建てられました。敷地内には、発電設備と蓄電池、非常用発電設備を置き、発電した電力は災害公営住宅で利用しています。

周辺にあった医療機関にも独自の送電線でつなぎ送電網を構築するなど、将来の自然災害を想定した、画期的な取り組みだと感じました。

エコタウン敷地内に設置されている蓄電池

スマート防災エコタウンは独自のグリッドで独立していて、停電や災害が起きても、エリアの中で最低3日分の電気が使用可能。太陽光発電と蓄電池を組み合わせることで、最低限の電気を安心して使えます。非常に人気があり、空きが出れば募集をかける抽選制ですが、常に満室の状況だそうです。

このエコタウンの運営管理の他、HOPEは新電力として電力小売事業も手掛けています。ただ、安さを訴求するだけでなく、渥美さん達HOPEの皆さんの思いが込められています。

代表の渥美さんは「HOPEで電気を提案するときに、安くなりますよと営業すれば、もっと安い電力が出てきた時に変えられてしまいます。HOPEの電気と契約することで、まちづくりに参加することになるから協力してほしいと話してまわりました。そうして契約頂いた方はご縁が続いています。これからも電気を売るのではなく、『HOPEがあって良かった。応援したい』と言っていただける価値を作っていきたい。電気は色がない商品だからこそ、そういう価値を作っていきたいと考えています」と話してくれました。

エコタウンに建設された太陽光発電施設

エリア内で電力を地産地消できる仕組みは、近年災害が頻発する日本において自分たちの命を守るための有効な選択肢の1つと考えられます。

未曽有の災害の経験者である東松島市が実現したスマート防災エコタウン。エネルギーは身近なものでありながら、その仕組みは実はよくわからないものでもあります。この場所を訪れたことで、暮らしの中のエネルギーの重要性に気づくことができました。

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このあと、グリーンビジネスを展開する企業にも訪問しました。再エネ開発及びメロンの水耕栽培を行うセラウェーブ、廃タイヤをリサイクルし、石炭、石油に代わる燃料として販売する東部環境にお邪魔しました。

セラウェーブ、メロンの水耕栽培がおこなわれているハウス。糖度が高い甘いメロンとして、宮城県内はじめ人気。ハウスのシステムを販売し、農福連携に活かすことを検討中。
東部環境、廃タイヤを細かく粉砕し、石油や石炭などの化石燃料に変わる燃料として、東北圏内の製紙工場等に販売している。


その後、海苔養殖のアイザワ水産 相澤太さんにお話を聞きました。

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負けず嫌いが生んだ付加価値と、水産業の課題解決と描く未来・アイザワ水産 相澤太さん

相澤水産代表の相澤太さんは、海苔養殖に携わって20年以上。

高校卒業後、半年間、海苔の資材メーカーで海苔の修行を積んだ後、自信満々で父親の元で働き始めますが、自分の経験や知識の無さに打ちのめされます。試行錯誤を繰り返し、宮城県の海苔の品評会で、23歳で準優勝、28歳で優勝。これは現在も破られていない最年少記録です。

「海苔は、1年に1回しか種付けができない。つまり、20年のキャリアがあっても、20回しか種付けの経験はできない。周りの先輩に追いつき、追い越すために、先輩5人の仕事も見て、5年分の経験を1年で積めるように考えた」と相澤さん。

人の倍以上努力することで、品評会で高い評価を得られるようになった相澤さん。しかし、その先に待ち受けていたのは、安く大量に買えるものを求める時代と社会経験のなさ、そして震災でした。

左が相澤太さん。漁業の課題と描く未来を熱く語る。

当時の相澤さんは、茶髪にロン毛、ピアス、ジーンズにサンダル姿。敬語も使えず、社会も知らない…そう痛感し、ビジネス書を読み漁り、飛び込みで営業を始めます。

ある時、大手百貨店で催事のチャンスがめぐり、勉強がてら大手海苔屋の接客を見る機会がありました。そこにあったのは、ブランドに引き寄せられるお客さんと、商品を指さしお金を渡して商品を受け取るだけの無機質なやりとり…

相澤さんは「これで海苔の何が伝わるのかと思った。それから、お客さん1人1人に自分のこと、海苔への思いを伝えるようになった。自分は漁師で、朝海に入って今海苔売っていますと。1人のお客さんが『相澤さん、あなたのお話が一番のお土産になるよ』と言ってくれたことが衝撃だった」と言います。

相澤さんが「自分にしかない付加価値」に気づいた瞬間です。

海苔には、1番摘みから10番摘みまであり、成長段階の違いで食感や風味が異なるそう。用途も異なり、繊維が細かく柔らかい1番摘みは、巻いてすぐに提供されるお寿司屋さんの手巻きずしに合い、3番や4番摘みはおにぎりが、5番や6番は刻みのりや味付け海苔に適しているそうです。

相澤さんの主力の海苔製品の1つ”厳選”は、1番摘みや0番摘みを使用しており、歯触りが柔らかく、香りも豊か。相澤さんの考えで、塩分、つまり海のミネラルそのものを、一般の指南品よりも多めに残しているそうです。なるほど、美味しい。相澤さんのこだわり、お寿司屋さんで人気なのには頷けます。

相澤さんは31歳の時、東日本大震災に遭います。資材は全て流されたものの、「まだ自分の中での最高の海苔はできていない。右肩下がりの業界を盛り上げて、次の世代につなぐこともできていない」と、海苔漁師を続けることにしました。

海苔業界は漁師が減少しています。自然環境が変わり、毎年のように「過去最悪の大不作」が更新されているそうです。

「海苔漁師は現在、2000人しかいない。私が働き始めた時は10000人はいた。競争だとか言っていられない。他の生産者に卸先やお客さんを紹介することもあるし、海苔漁師をやりたい人にはアドバイスも送る。それはお互いさま。小学校の授業に呼ばれるときには、他の人がやらない仕事、つまり漁師は”儲かる職業”だということを伝えている」と相澤さんは話してくれました。

相澤さんが危惧する後継者問題の先にあるのは、輸入に頼る日本の食糧問題。自分たちの子供や孫の世代も、ナチュラルなものが食べられるように。漁業に携わる人が増えるように、漁業に関心を持ってもらえるようにと、講演に呼ばれたときには自分の思いを伝えているそうです。

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廃校に新たな命を宿す、最先端の農業ビジネス・東松島ファーム

日没後に訪れたのは、東日本大震災で被災した旧浜市小学校舎で葉物野菜の水耕栽培をし、スーパーなどに出荷している「東松島ファーム」。旧校舎の窓からは赤と青が混じり合った紫に近いピンク色の光が漏れ出ています。

「収穫までは種を撒いてから35日程度で、この工場からは、1日最大4,000株、1株100g換算で約400kgのレタスとベビーリーフが出荷されています。無人化された工場としては、宮城県の中では一番大きい施設。自動化の設備はオリジナルで構築しており、世界的に見ても初めてのことをしています。優位性の部分で事業展開を進めていきたい」と話すのは、東松島ファーム代表・阿部基教さん。

周囲には広大な土地にレタス畑が広がっているわけではありません。東日本大震災で被災した旧浜市小学校で、葉物野菜が水耕栽培されています。

栽培工程を無人化したメインの工場は体育館内に設置、つまり、建物の中に建物があるイメージです。のぞき窓から見える赤や青の光が当てられたトレイが、縦に8段積み上げられた様子は、さながらSFの世界に迷い込んだかのような、近未来的な光景です。

「体育館の中にあるメリットは、広くて、四角い建物が入る空間があること。当社のシステムを導入しやすいことと、ビジネスモデル的にトレイを縦に積み上げることで、メリットが生まれます。温度や湿度、二酸化炭素の濃度等を管理する他、遠赤外線、赤と青の3色の光の強さや照射時間を品種ごとに変えるなど、管理しています」とファーム代表の阿部さん。

ここ数年の天候不順が原因で、露地栽培での収穫はハードルが上がっています。屋内で栽培され、安定した質、量の葉物野菜を供給できるのは、スーパーや飲食業にとって大きなメリットがあります。スーパーへの出荷が8-9割で、関東のスーパーにも出荷しています。

東松島ファームは、2016年設立。同社が借り受けている旧浜一小学校校舎は、東日本大震災で1階部分まで津波が押し寄せましたが、当時音楽室のあった3階は避難してきた数百人がギュウギュウ詰めで、一夜を過ごしたそうです。

その後、校舎を取り壊すのではなく、旧浜市小学校の「形を残せないか」という住民からの希望で、プロジェクトが立ち上がりました。会社紹介のために通された旧音楽室には、廃校になる前に子供たちがメッセージを書いた黒板が残されていました。

廃校になった校舎から、子供たちの声はもう聞こえることはありません。ですが、東松島ファームが地域の子供たちの目標となり、第2の東松島ファーム、そして地域の農業に従事しようと志す子どもたちが出てくることを期待するばかりです。

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再び子供や地域の住民が集まる場所に・KIBOTCHA

研修の3日間、私たちが滞在したのが、旧野蒜小学校を利活用した施設KIBOTCHAです。

廃校になった校舎を活用し、2018年7月に開業。BBQ場・グランピング施設・大浴場などを備えた、防災体験型の教育宿泊施設です。

旧野蒜小学校も東日本大震災時、津波の被害を受けました。KIBOTCHAの外壁は地上約3mまでがベージュに塗装されていますが、この高さまで津波が来たことを表しています。

旧野蒜小学校の活用については、市民からそのままの形で残してほしいと希望があったそうです。そのため、このままの形で利活用してくれる会社を市役所が募集し、事業者選定の際も、金額ではなく提案内容が重視されました。

KIBOTCHAという言葉は、「希望」「防災」「Future(未来)」を組み合わせた造語です。その名の通り、防災教育を行う拠点である他、宿泊も出来る建物です。KIBOTCHAは民間運営のため、防災教育以外のこともやっていこうと、BBQ場の他、グランピング施設も併設しています。

今回、KIBOTCHAをご案内頂いたマネージャーの千葉耕史さん。DJもしており、自身の経験をイベント運営に活かしています。

「2021年には、市民の方の希望もあり、KIBOTCHAで追悼式を開催しました。東松島市の地域おこし協力隊員でもある、サンドアーティストの保坂俊彦さんに依頼しサンドアートを作りました。市民の方に『KIBOTCHAで追悼式をしてほしい』と言われた時、とても嬉しかったことを覚えています」と話してくれたのは、マネージャーの千葉さん。

追悼式では、慈愛の像というサンドアートを製作したほか、震災で亡くなられた1133人と同じ数のキャンドルを作り、住職をお呼びしお経をあげたそうです。

防災体験型の教育施設としてアクティビティも充実しているKIBOTCHAでは、SDGsにまつわる活動も行っています。

宮城県名産の牡蠣の養殖棚に使用している竹は、廃棄にお金がかかっています。KIBOTCHAではそれを無償で引き取り、乾燥させて、竹灯籠として展示しています。竹あかりとしての使用後は専用の窯で竹炭にして、夏のBBQの燃料にしたり、運営している農園の土壌改良材として使っています。野菜を収穫した後は、BBQの材料としてお客さんに食べてもらっているそうです。

館内には屋内型の遊具も設置されています。私たちが滞在した日も、廃校になる前の野蒜小学校で聞こえていただろう、子供たちの元気に遊ぶ声が、館内に響いていました。

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膨大なインプットを頭の中で整理するGBP受講生たち。開催された懇親会も、多くが早々に切り上げました。

最終日には、「東松島市で行う事業のビジネスモデルを提案する」という課題の発表が待っています。

2日目のプログラムが終わった夜、時計の針が午前0時を超えてもなお、企画書作りに取り組み、KIBOTCHA3階の宿泊部屋の電気は点ったままでした。

【最後の章、CHAPTER4につづきます!】

【Green Business Producers第一期のマガジンはこちら】


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