小3不穏な夏休み

小3 不穏な夏休み

先生、いろいろイヤなこと言うねん

終業式のとき、支援学校の先生と「学校に通えることを第一にして、勉強を無理強いしないこと」と話し合いました。
夏休み中も支援学校の先生は週1回自宅にやってきます。
一度は友達と遊んでいる様子も見たいというので、友達にも来てもらいました。

娘は先生が来る日は、起きようとせず「お腹が痛い」と便意を訴えなかなか先生と会おうとしません。
前も書きましたが、訪問指導中は私は一緒にいてはいけないので様子を見ることはできませんでした。勉強していたらしいということはわかったけれど、二人がどんな会話を交わしているのか、娘はどんな顔をしているのか、こんなにデリケートな状態のときに確かめることができないのはつらかったです。

気になる言葉を娘から聞いたのは夏休みの終わりのこと。
ある先生が来る日、娘は頭からタオルケットをかぶって嫌がってました。
そして先生が帰ってから私に「先生、いろいろイヤなことを言うねん」と訴えてきたのです。
でも私はどうしてだったのかそのとき詳しく話を聞いて上げなかったのです。あとでそのことを深く後悔することになるのに。

アクティブに過ごしてはいるけれど

先生が来ない日、この夏休みは親子してアクティブに過ごしました。
市が主催する「地域の祭りに密着して準備段階から見学してレポートにまとめる」という3日くらいあるセミナーに親子で参加したり、友達と遊んだり、海での親子キャンプに参加したり、地元の少年団の夏合宿に参加したり(私もボランティアで参加)、また別の親子キャンプに参加したり…。
でも全部私と一緒です。私と離れていられるのは大好きな友達の家で遊ぶときくらい。

そして気になることがありました。
とても人懐っこく、知らない大人とも子どもともすぐに打ち解けて、イキイキと過ごすことができるのが娘のいいところでした。
だけど、この夏休みは何となく元気がなく、大人とはあまり打ち解けていないような感じがしたのです。
同年代の子やお兄さん、お姉さん世代の人とは打ち解けて楽しそうにしているのに。

それととても疲れやすくなっていて、キャンプなどでも途中でばてて半日部屋で私と休んだり、全日程は参加できないようになっていました。なんていうか、「パワーが落ちてきている」という感じ。
母子分離も難しく、夜子どもたちだけでテントで寝るときは泣いていたそうです。

あと、病院に行くことも嫌がるようになっていきました。
セラピーの途中でトイレにこもってしまうようになり、そのときも「ママ、側にいて」とトイレの中で待たせるのです。
主治医は、「雲がいつか晴れるように、時々は雲の中に入るけど、以前の状態には戻ることなくやっていけると思いますよ」「お母さんは押さずに支援学校の先生に任せて下さい」と言ってましたが、それは全く見込み違いだったと後に知ることになります。

父が末期がんに

悪いことは重なるもので、私の父がステージⅣの末期がんで骨転移を起こしていることが分かりました。そして一時的に認知症がひどくなり、夜中に家の中を歩き回ったり、奇妙な言動をするようになったので、娘を連れて実家に泊まりに行くことも増えていきました。

娘はインターホンを異様に怖がる、私の機嫌が悪くなることを恐れるなど神経質になっているし、自宅でも気の休まることはありませんでした。

おかげで体調は最悪で、胃腸炎かひどい頭痛かという状態が続き、だけど娘には付き合わなければならない、実家のことも手伝わないといけないという状況の中で、私は心も体もまたズタズタになりつつありました。

そんな状態で迎えた新学期。
娘は力尽きるように学校へ行けなくなったのです。
<つづく>
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