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小2で不登校になった娘(今春より通信制サポート校に進学しました)の道のりをゆっくりと綴…

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小2で不登校になった娘(今春より通信制サポート校に進学しました)の道のりをゆっくりと綴っていきます。親一人娘一人の二人暮らしです。

最近の記事

小3 2学期 力尽きた娘

また学校へ行けなくなった8月の終わりの登校日と始業式には出席した娘。そのときは帰ってきて友達と遊んでといつも通りに見えました。 ただ始業式の日の夜、「疲れた」と風呂に入って珍しく私に「頭洗って」とねだってきたのです。それから布団にさっさともぐりこみ私のマッサージで寝付いた娘は、ひどく疲れているように見えました。 始業式の次の日から、娘は「しんどい」と学校へ行かなくなりました。 「身体を、学校行きたくないと押さえつけられてるようだ」 そういう娘に、「学校行かへんのは悪いことじ

    • 小3 不穏な夏休み

      先生、いろいろイヤなこと言うねん終業式のとき、支援学校の先生と「学校に通えることを第一にして、勉強を無理強いしないこと」と話し合いました。 夏休み中も支援学校の先生は週1回自宅にやってきます。 一度は友達と遊んでいる様子も見たいというので、友達にも来てもらいました。 娘は先生が来る日は、起きようとせず「お腹が痛い」と便意を訴えなかなか先生と会おうとしません。 前も書きましたが、訪問指導中は私は一緒にいてはいけないので様子を見ることはできませんでした。勉強していたらしいという

      • 特別支援学校の先生と私のやりとり

        私ってダメな母親ですか?試験登校が始まってから、もっとゆっくり家で勉強をみてもらえると思っていた私は、正直不満と不安でいっぱいでした。 そんな気持ちを見抜いたのか、先生は「お母さんのほうが心配だわ」「戸惑ってます?」というので、「85%戸惑ってます」と答えました。 試験登校が始まってすぐくらいに、娘の主治医に今しんどいこと、不安なことを話すと、 ・娘はもう背中を押していい時期にある ・私だけが我慢しないで、子どもと一緒に頑張ろうという感じでトレーニングジムに行ったりするよ

        • 試験登校~夏休みまで

          休みながらもなんとか終業式を迎えて7月4日。授業の途中でお腹が痛くなり、保健室までお迎えに。 帰って来てから友達の家に遊びに行きました。 どうもこの辺りから「お腹が痛い」「しんどい」という不調がまた頻繁に出るようになっていました。 話は違いますが、小3の7月にしてついに娘に「りさも3年やし、ビッグになったし、別々の方がママも楽やろ?」と風呂別々宣言を出されました。いや、なんかせつないものですね。 それから火~木までは最後まで学校に行ったものの、木曜日から宿題が出るようにな

        小3 2学期 力尽きた娘

          試験登校が始まったけれど

          試験登校って何?これって耳慣れない言葉ですよね。試験登校とは、特別支援学校に籍を置いたまま、試験的に元々通っていた学校(原籍校)に登校することで、主導権は特別支援学校にあります。原籍校と特別支援学校の間では書類も交わすのだとか。 まぁ、ようするに元の学校に戻るための練習って感じですね。 娘には学校に行くにあたっていくつかの心配事がありました。 1.「学校を休んでいる間何してたの?」「どうして学校に行かないの?」と聞かれること 2.ストレスがお腹にくるようになっていたので、

          試験登校が始まったけれど

          小3 5月 病院で訪問指導を受ける

          さっそくの違和感週明けに病院に戻ると、訪問指導がある日の行動が「しんどい、学校に行きたくない」と登校を渋る態度そのものになっていきました。実際に微熱が出たり、湿疹が出たりもしていました。 宿題もやろうとしません。 授業には親の付き添いは禁止されているので、あとで聞いたのですが、先生が来る前、娘はトイレにこもり、授業中も30分トイレにこもっていたそうです。 先生と話し合い、「遊びながら勉強もちょこちょこする」という方針になりました。宿題は娘が「いや」といったのでなしに。 だけ

          小3 5月 病院で訪問指導を受ける

          小3 5月 特別支援学校に転籍する

          もう疲れた小2の9月ごろから本格化してきた不登校、1月からは完全不登校、学校とのやり取りや周りの目、市の教育サポートセンターといった支援機関の対応などに傷つき、ボロボロになった私は、我が子との二人っきりの生活を続けていくうちにどんどん病んでいきました。 生きがいになるはずだった仕事はクビになり、仕事を探すこともできないというのもこたえましたね。 元々、不安神経症、強迫神経症、うつ傾向(あとで発達障害の2次障害と判明)を持ち20代前半からずっと通院している私。普通の人でさえ

          小3 5月 特別支援学校に転籍する

          小3になって

          楽しかった春休み小3が終わった春休み、娘は2つの親子キャンプに参加しました。 片方は海のキャンプ。指導員のお兄さん、お姉さんがいて、海で貝殻の観察をしたり、ワカメを採ったり、手で採った牡蠣をその場で食べさせてもらったり。 みんなともすぐに打ち解けて楽しそうに過ごしていました。 もう一つはクリスチャン系のキャンプ。うちは無宗教なのですが誘われて参加しました。聖書の一節の劇をしたりというのもありましたがそれはそれで面白く。娘も特に抵抗感はなかったようです。 あとは、野草でいろい

          小3になって

          小2 3月 激しい自己否定感

          精神的に不安定にこのころの娘の言葉の数々。 「ママは本当は子どもも大人も嫌い」 「ママの言うことを聞かないと悪い子になる」 「勉強もしてへんし、りさは何にもできない人になる」 「休んでいる気がしない」 「ずっと布団をかぶっていたい」 「イライラする、暴れたくなる」 「自殺したらどうなるかな?」 もう心配で心配でたまりませんでした。 だけど私も精神的に不安定になり怒ってばかり。 それでよけい娘も不安定になるという悪循環にはまっていました。 主治医のアドバイスそのころ娘の主

          小2 3月 激しい自己否定感

          小2 2月 放課後登校が始まった

          放課後登校開始退院してから、娘は放課後に登校するようになりました。学校からそうするようにいわれたのと、放課後でも登校すると登校日数として認められるからです。 最初は先生もプリントを出して来て「やってみないか?」と勉強させるよう持っていこうとしていましたが、娘が「いや」と拒否し、私も「無理に勉強させないでください」といっていたのであきらめたようです。 一番嫌な勉強を強制されて、学校に完全に足を踏み入れなくなったら何にもならないと私は思っていました。それは正解だったと今でも思

          小2 2月 放課後登校が始まった

          小2 2月 初めての入院

          入院することになりました学校に完全に行けなくなってから、主治医から入院を勧められました。 目的は、「『りさちゃんは入院しているから』という大義名分を得ること、日常から離れてリラックスすること」です。 とりあえず日常から逃げ出したい気持ちは私に大いにあったので、二つ返事で入院することになりました。 小児の入院ということで、個室があてがわれ差額ベッド代もなしという恵まれた環境。付き添い用のソファーが案外寝心地がよかったので助かりました。 この入院のためにDVDプレイヤーが欲しい

          小2 2月 初めての入院

          小2 1月 学校に行かないってそんなに悪いことなのか

          始業式から行けなくなった付き添い登校をして何とか2学期を終えましたが、3学期の始業式から娘は全く学校に行けなくなってしまいました。 「しんどい」「熱がある(本当にあった)」「お腹が痛い」と毎日訴え、学校に行こうともしなくなった娘に、私はどう接したらいいのかわかりませんでした。 無理に行かすのは違う、だけどこのまま休ませていていいのだろうか?このまま学校へ行かなくなってしまうのだろうか? 私の頭は混乱し、ストレスはMAXになろうとしてました。 「不登校」という言葉が初めて現実味

          小2 1月 学校に行かないってそんなに悪いことなのか

          小2 12月 初めての付き添い登校

          ついに付き添い登校要請が12月の中頃から3日続けて休むようになった娘。先生が夕方家にきて2時間くらい娘と話していました。そして、まだ「子どもは学校に通うもの」という意識が捨てられなかった私は、自分から「付き添い登校しましょうか?」と申し出たのです。 先生ははじめからそのつもりのようで、すぐに話はまとまりました。 それからは、ネットを検索しまくって「付き添い登校」について調べました。ある方が詳しく体験を書いていて、保健室で二人で過ごしたこと、親のいたたまれない気持ち、学校での

          小2 12月 初めての付き添い登校

          小2 12月 意味のない話し合い

          そうそうたる顔ぶれでの話し合いは以前から、「娘のことで相談したい」と学校にいっていたのですが12月に入ってすぐに校長、教頭、学年主任、担任と話し合いの場を持つことになりました。 とにかく成育歴を知ってもらわなければいけないかなと思い、以上のようなことを話しました。 ・妊娠中のトラブルがあり、半年以上入院して出産したこと、 ・保育所に入ったその日にトイレを失敗して、パニック状態になり、おまるから離れられなくなったこと、 ・保育所時代から「ガラスのような神経を持った子」と先生方

          小2 12月 意味のない話し合い

          小2 2学期 毎日「休みます」の連絡は苦行以外の何物でもない

          朝の欠席連絡は精神的拷問です不登校の子を持つ親の悩みで多いのは、朝の「今日は休みます」という電話をかけること。もうそれだけで胃は痛むし、憂うつな一日の始まりという感じです。子どもへの怒りもいっそうかきたてられます。 完全に不登校になってからも、この連絡をやめさせてくれない学校もあるそうです。もはや嫌がらせ以外の何物でもありません。 私は子どもが完全に行かなくなってから、「もし行くことがあったらそのときは電話します」といって電話連絡からは解放されましたが、それまでは本当につら

          小2 2学期 毎日「休みます」の連絡は苦行以外の何物でもない

          小2 2学期 怒りの連絡帳

          「私、字が下手やから習いに行かなあかんねん」これは、ある日学校から帰った娘が習字に行くときに友達にいった言葉です。その子のお母さんが心配して私に知らせてくれました。 この日、娘は学校で「先生にクラスで一番字が汚い」とみんなの前でいわれたんですって。私はびっくりして先生に連絡帳で確かめました。 そのとき、「心身症」と診断されたこともすでに説明済みだったので、「それを知ったうえでそんなことをするのか」と炎のように怒った私はこんな連絡帳を書きました。 怒りの連絡帳(原文まま)『

          小2 2学期 怒りの連絡帳