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場面緘黙の少女がオバサンになったら

noteをなるべく投稿し続けたいと思っていたのに、前の投稿からだいぶ日が経ってしまった。「書きたいこと」がたくさんあるのに、その前に「書かなくてはいけないこと」が怒涛のようにありすぎて、書く時間とエネルギーがすっかり枯渇していた。

私は今、地域委員をしている。娘の通う小学校と住んでいる地域をつなぐパイプのような役員で、最近は私の住んでいる地域の子供会のグループラインに連絡事項を送ったり、役員同士で意見の交換をしたりと、とにかくライン、ライン、ライン、電話、電話、電話の日々だった。

大変だった中でも希望の光が見えた瞬間があった。
ある事について子供会のお母さん方からの意見が四方八方から私に寄せられ、もうパンク状態になった時、私は他の役員や話しやすそうなお母さんに助言を求めた。
まずラインで連絡→電話で直接話す→ついに直接対面して話すという段階を踏んで、もやもやを解消させることができたのだ。

当たり前のことにも思えるかもしれない。でも小学生だった30年前の私には想像もつかないような大進歩だ。

幼少期から小学生の頃の私には場面緘黙(ばめんかんもく)の症状があった。場面緘黙の人は声帯には問題ないが、ある特定の場所にいるときは声が出なくなってしまう。
私は家では元気にしゃべるのに、学校に行くとたちまち貝のように黙りこくっていた。転んでも、驚かされても、なぜかちっとも声が出なかった。

そんな子が40歳になり、PTA役員となって人前に立って司会をつとめたり、初めて話す人と少しずつ距離を縮めるため、必死で自分からコミュニケーションをとろうとしている。それは奇跡的なことだ。

今でも周りの人よりも、人と話すとき緊張している自分がいるなと思うことがある。でもしゃべらなかった歳月、私はなんにも考えてなかったわけではなくて、人々の人間模様をじっと観察していた。
だからこそ今、細やかなコミュニケーションをとることができるのかもしれない。そう思うと自分が誇らしく思えるのだった。

教科書を読むよう先生から言われても無言で棒立ちするのみの小学校時代、今は大勢の人の前でも堂々と話せます。でも内心とっても緊張しているんですけどね・・・



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