見出し画像

【note再始動】 新卒1年目の頃のはなし

たいです。
2020年春、コロナで緊急事態宣言が出た時に、始めたのがnoteでした。
当時は「なにか自分の体験や考え方が誰かの+αになったらいいなぁ」と、
いま思えばなんだかちょっと偉そうな(?)理由で自分の経験を書き殴っていました。

トータル5~6記事書いたあたりで(少ない)、
書きたいネタがなくなったことや、リモートから出社に切り替わって業績改善に向け本業が忙しくなったことが重なり、
いつしかnoteの存在自体を忘れるまで至ってました。

なぜnote再始動か

いくつか大きめなイベントが片付いたのと同時に、
次自分がやりたい事が明確な一方、軌道に乗るまで少々時間を要しそうだからです。
社会人5年目が過ぎようとする今、備忘として自分が経験したことを整理すると同時に、これから始める事業を立ち上げるまでを書き綴るのもいいかな、と思い立ちました。

新入社員時代、大手出向、転職、同棲、結婚、新婚旅行、ざっとこれまでのイベントを振り返ります。
まずは新入社員時代から。

絶望の新入社員時代

新卒で入社した会社は、知名度こそまず無いものの、業界では「老舗」と言われるような、創業後半世紀以上も経つ商業施設運営の会社でした。
第一志望ではなかったけれど、"まちづくり"の考え方に惹かれて入社。
初期配属は某ショッピングセンターで販促施策を企画→実施する仕事でした。
入社年が施設の"開業◯周年イベント"がてんこ盛りな年で、すでに決まった施策ばかり。1年目の自分のミッションは、周年イベントとは関係ない「〇〇キャンペーン」みたいな恒例施策でした。最初は企画するの最高!くらいに考えていましたが、実態はとにかく保守的に前年踏襲の売上施策を淡々とこなすものでした。
当時ひたすら尖り散らかしてた僕は

「もっとこうすればいいじゃん!?
 なぜ新しい施策にチャレンジしようとしない!?」」

などと遠慮なく周囲に言いまくり、結果、伝え方が悪かったのか上司との関係が悪化。日系中小企業らしく噂は広まりだんだん居づらくなり、毎日のように(いつか転職。絶対転職。)と考えながら働いてたのを覚えています。

そんなフラストレーション渦中の1年目に起きた、恥ずかしい出来事を2つ紹介します。

ネットワークビジネスの勧誘を受ける

大学4年間続けたバイト仲間からの誘いでした。
1年目の夏、「一緒に仕事がしたい」と持ちかけられました。所詮1年目の立場ながら、サラリーマンの働き方に違和感を持っていたこともあり(いま思えば単に下っ端の立場が嫌だっただけかも)、興味が湧いて2~3回会いました。
彼が言うには、

「金持ち父さん貧乏父さんを読もう。CFクワドラントも読もう。」
「従業員ではなく経営者として働くことこそが正しい道」
「自分が本当にやりたいことはなにか・叶えたい目標はなにか明確にするのが大事」

などといった、胡散臭いながらも常に前向きな内容。正直、会う度に心踊らされてました。
一方で、友人に何度も「どんな事業なのか・ジャンルは・ビジネスモデルは」と質問攻めしていましたが、答えてくれる様子はありませんでした。

当時撮った丸の内の写真

ある日「今度、有名な経営者の人と会えそうだ」と誘われ、丸の内の丸ビルに呼び出されました。その経営者は忙しい人だとか貴重な時間をお前のために時間を割いてくれたんだとか言われてるうち「お、着いたみたいだ」と案内された先は路駐された白いベンツ。気前のいい中国人の30代後半の男性と車内で15分程話しました。中国人からは最後に「一緒に頑張ろう」と、(半ば無理矢理)握手を交わさせられて別れました。
以後、友人からの誘いは断り、しばらく会うことはありませんでした。なんだかよくわからない大人と、なんだかよくわからない世界に引き摺り込まれそうになる状況下に耐えきれなかったからです。
半年以上経った頃、また友人と会いました。疲れ切った様子で、「マルチ界隈とは縁を切った。真っ当に働き始める」との話を聞きました。
のめり込まなくて本当に良かったと感じたのを覚えています。

振り返ると、学びになったことはいくつかあって、マルチの世界で本気になる大人が一定数いることや、何かしら目標を掲げて前に進むといった本質論は間違ってないこと。何より自分としては「金持ち父さん貧乏父さん」の書籍は、非常に理に叶った内容であり大変モチベートされる文章なので2,3回は読み直しています。

プルデンシャル生命保険の営業を受け、契約する

年が明けた社会人1年目の1月。大学時代のバイト先の先輩と久々会った時のこと。
もうとにかく仕事への不満が溜まってた僕は「自分の実力で頑張りたい」「もっと成果を上げ続けたい」など向上心に満ち溢れる姿勢を全力で語ってしまっていました。
その先輩は転職したばかりで、どうやら「給料が営業成績によって青天井に決まってくる」との話も聞き、当時の自分は魅力的に感じていました。プルデンシャルという社名も、実は父親がプルで生保の契約をしており、実家で見覚えがあり抵抗がありませんでした。
後日、「将来のライフプランやお金のことを考えないか」と持ちかけられ、(先輩の本業の営業かな?話だけ聞いてみるかな)とナメた気持ちで会うことに。
当日、先輩はバチバチの青光りしたスーツで登場し、隣にラグビー部顔負けなゴリゴリ体型の30代男が登場。プルデンシャル生命保険の営業マンが2人がかりで、本気で営業してきたんだなと悟った瞬間です。

そこからはずっと保険の話。恥ずかしながら当時の自分はマネーリテラシーがゼロで、保険が何なのかイマイチわからないのはもちろん、"高額療養費制度"など初見の専門用語を片っ端から浴びせられパニック状態でした。
一旦持ち帰り、一人になってからようやく「生命保険は自分が死んだ時誰かを助けるもの」「プルの生命保険はドル建だから数十年後に複利で膨らむ」と、少しずつ理解。
結果、月10,000円で生命保険を契約しました。「貯金代わりになる、せっかくの縁、親と同じとこ、ちょうど誕生日前」というしょうもない理由で納得してました。(自分は3月下旬が誕生日で、1つ歳を取ると運用年数が減る、という理屈を聞いていた)

後日談ですが、社会人4年目に転職するまで続けたものの、生保に1万もかける必要ないことや、そもそも資産運用目的ならドル建保険よりもっと良い金融商品があることに気づき、現在は解約して他社の掛捨に変えています。
(そして先輩も気づいたら会社を辞めてて転職していました。)

学びとして、マネーリテラシーはちゃんと身につけた上で、自分視点で考える必要性を身にしみて感じた一連の出来事でした。2人がかりで営業したのも、おそらく自分のやる気溢れる発言があったことで、営業マンとしての採用も兼ねていたんだと思います。お金の知識がなさすぎて初回NGくらったのが結果的に良かったのかもしれません・・・笑

社会人1年目まとめ

こうして、社会人1年目が終わると同時にコロナ突入。
前職の会社は2月末が人事異動で、関係が悪かった上司2人がたまたま異動になり、新たな上司2人がやってきました。
バタバタな状況の中、リモートワークが始まっていき、1年目からは想像もできなかったくらい、状況が好転していくのでした・・・。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?