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「最期を看取る」ことの大切さ。

今日は父の命日。父が亡くなって、まる2年。先週末に三回忌の法要を終えた。

久しぶりのnote。父のコトを何か記しておこうかな、と思って。そういえば、と思い出したのは、昨年出版された、ある本のこと。

旧知の編集者が出版した本に、ぼくも微力ながら寄稿したことを思い出した。いつかは訪れる、大切な人との別れ。それまでに何をしておけばよかったのか。「後悔」をもとにした100人以上からの体験的アドバイスを収録した本書に、そのひとりとして寄稿した。

大切な人が亡くなってからーー「聞けばよかった」「話せばよかった」「やってあげればよかった」等々。後悔の念は、きっと無数に溢れ出てくると思う。それでも「最期を看取る」ことさえできれば、少しは薄めてくれるのではないかーーぼくは、自身の経験から、そう思ったりします。

以下、その寄稿の転載になります。
(まる出版のジュンジさん、本の紹介と合わせて、お借りしますね)

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2019年9月。父親が77歳で他界した。

大手電機メーカーで主に半導体の研究開発に従事していた父は、“高度経済成長期のサラリーマン”そして“研究職”という言葉のイメージどおり、仕事第一、家では寡黙な人だった。それでも幼少の頃は休暇のたびに家族旅行に連れて行くなど、できる限りの家族サービスは欠かさない人だった。ただ、幼少期を含め、亡くなるその日までーー父との会話は、量的なことでいうと、それほど多くはなかったのだと思う。

お酒が大好きな父だった。いや、“好き”という嗜好的な言葉ではない。お酒を飲むために毎日を生きていた、のほうが適切か。

亡くなる1年半ほど前に原発不明癌が見つかった。主治医いわく、ただでさえ原発巣がわからない厄介な癌にもかかわらず、父のそれは、過去に症例がないほどの難解で稀有な癌だった。

抗癌剤治療を幾度か受けながらも、根本的な糸口は見つからず、担当医も為す術がなかった。父の意思と家族の総意があり、延命治療は行なわないことにサインし、父の「お酒が飲めるうちは飲み続けたい」という、たっての希望を尊重した。

最期は緩和ケア病棟で迎えた。たとえば、いつ終わるともわからない手術と治療の繰り返し。長期にわたる入院生活。あるいは、認知症の介護など …… 私たち家族に、そのような負担をかけることは一切なかった。安らかに、“眠るように”という言葉のお手本であるような、誰にも迷惑をかけることのない、本当に静かな最期だった。

亡くなる1週間ほど前。病状が悪化し、ケア医から「あと数日、長くても一週間くらい」と告げられた際の帰路で。ひとりクルマを運転しながら、それまでにも何度か思うことはあったが、そのときになって、痛切に思った。「一緒にお酒を酌み交わす時間をもっと持てばよかった」と。具体的に聞きたかったこと、話したかったことが、これといってあったわけではないけれど。とりとめのない会話をしながら、もっと一緒にお酒を飲む時間を作ればよかった、と。些細な、でも深い後悔の念だった。

ケア医の告知から8日後の夜23時過ぎ、父は息を引き取った。

その1時間ほど前に病室にいた母親から「看護師さんから、いよいよダメかもしれないって言われた」という電話を受け、すぐに病院へ向かった。クルマで30分ほどの距離。その日の夕方に見舞ったときは意識がはっきりしていたこともあり、いったん自宅に戻っていたのだが、その後に急変したようだった。22時40分頃に病室に着いたとき、夕方の父の姿とはあきらかに異なっていた。静かに、弱々しく息をしている姿は、素人目にも、あとわずかな命なのだろうと感じた。母は連日の看病で疲れがたまっており、同室に用意されていた仮眠ベッドで横になっていた。母に「来たよ。横になってていいよ」という合図を目で送り、私は父が眠るベッドの横に座った。父の手を握った。少し苦しそうに息をする父を見ていると、涙がこぼれた。しばらくすると、数回息をして、5秒ほど息が止まり、また息をする、という呼吸を繰り返し、息が止まる時間が5秒から10秒、10秒から15秒と長くなっていった。そして、何度目かの後。20秒、30秒、40秒 …… いくら待っても息が戻らない。「お父さん、お父さん」と動揺しながら声をかける。掛け布団をはぎ、父の心臓あたりに手をやる。動いているのか? よくわからない。横になっている母に声をかける。「お父さん、息してないみたい」。父の胸を軽く叩きながら「お父さん、お父さん」と声をかける。息は戻らない。母は「えっ、えっ」と小さな声を出し、呆然とした様子で父と私を見ている。私は病室を出て看護師のいる受付へ。「父が息をしてないみたいなんです」。看護師を連れて病室に戻る。看護師は父の脈に手をあて、父の鼻元に耳をあて、父の寝姿をじっくりと俯瞰で見た後、言った。「そうですね、息、してないですね …… 」。母と私は、互いに目を合わせ、不思議と安堵に近いような、深いため息をついた。

その後の、葬儀、納骨、いろいろなこと。亡くなる1週間ほど前に感じた、深い後悔の念。完全に消えたわけではないけれど、清々しいほどに、薄れていた。その理由は、あきらかだった。「最期を看取ることができた」からである。父の手を握りながら、父の最期の姿を目に焼きつけることができたからである。天国の父から「本当ならもっと一緒に酒を飲みたかったぞ」と言われるかもしれないけれど。「それは許してよ」と笑って言い返せるくらいの、一方的な、でも、そう思えるくらいの、強い気持ちを芽生えさせてくれたのである。

現実的には、物理的に難しいことや、結果的に立ち会えない局面が、おそらく多いのだと思う。が、「最期を看取る」ことさえできれば、「聞けばよかった」「話せばよかった」「やってあげればよかった」…… 等々の無数に溢れ出る後悔の念を、少しは薄めてくれるのではないかーー経験者は、そう思う。

なぜならーー

2019年の年末。11年飼っていた愛犬=チクワが旅立った。急だったこともあり、最期を看取ることができなかった。
犬に聞く術はなかったけれど。「うちに来て、うちで飼われて、果たして幸せだったのだろうか?」と。チクワに対する後悔の念は、じつのところ、父に対するその気持ちより、大きく残っている。


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