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その声は何処から。

今年も楽しみにしていた梅花が、年始の温かさであっという間に咲いてしまった。
その日、たまたま人に会う予定があり、お天気が許せば着物で行こうと決めていた。
少し早めに家を出ればお気に入りの公園に立ち寄って、を鑑賞する時間がある。
最近着物を少しずつ生活に取り入れ始めたばかりの私は、まだコーディネートを組むのに右往左往、時間がかかる。
それで、次にお天気がよくて「今日は着物を着よう」と思い立った時のために、常に次の一式を用意しておくようにしているのだが、
問題は、今回準備していた着物が、小梅の柄であること。

うーん。
梅の着物を着て、ちょうど盛りを迎える梅を見に行くってどうなんだろう。
あまりに張り切りすぎっていうか、江戸っ子にあるまじき無粋っていうか、
とりあえずなんか、が凄くない?
プロの着物警察に見つかったらどうしよう。

別に一人で出かけるだけなんだから、何を着て行ったって自由なのに、
ついついそんなことが頭をよぎって、自分のやりたいことのタイミングにまた水をさそうとする。

近頃は、そういう時はもう深く考えずに強制的に「腹の意見」に従うことに決めている。
腹の意見、とは一番最初に心に浮かんだインスピレーションのこと。
そこに0.1秒の俊足で、それをかき消そうとする否定的な思考が覆いかぶさって来て邪魔をする。
あれこれ浮上して来るもっともらしい意見を全て聞き入れて公平に精査し始めると、
「腹の意見」は必ず、けっちょんけっちょんに貶されて却下される。
そして、腹に従わなかった見えないストレスが、内臓に溜まっていく。
それがのちに大きな弊害になるのだ、ということをここ数年で痛いほど学んだ。
自分の腹の意見には、逆らわぬほうがいい。

ある日、何か夢中で作業をしていてふと顔を上げたらもう、夜の10時を回っている。
それなのに、小学生の娘がまだ家に帰っていない。
きっと友達と公園で遊んでいて、こんな時間になっちゃったんだ。
でもこんな時間に最寄りの駅から歩いてくるだけで危なくないだろうか。
迎えに行こう、と玄関に向かった瞬間、娘から携帯がなった。
怒られることは分かっているのか、電話の向こうでボソボソと、なぜこんな時間になってしまったのかと言い訳しているのだが、よく聞き取れない。
とにかくたった今、胸に去来した不快な「心配」という感情をどうにかしたくて、
なんでこんな時間まで、とか何とか、私は少し文句を言った。
相変わらずゴニョゴニョと何かを言って、携帯の向こうはシーンと静かになった。
このまま携帯が切れてしまったら…。
一体、今どこにいるのだろう。本当に最寄りの駅の近くまで帰ってきているのか?
もしかして今、誰かに誘拐されて捕まっていて、のっぴきならない状況だったら?
ふと、別の可能性が浮かんで、さっきの不快な怒りとは比べものにならないようなざわざわが足先からせり上がってくる。
今はベタなお説教なんかとりあえず、もっと冷静に話すべきだったのでは?
現在の娘の状況を正確に把握するようなことを聞き出し、これからこちらがどう行動するつもりなのかを伝える。もっと的確な内容を話すべきだったのでは?
私の喉は詰まってしまって、もう声が出ない。
そこでふと、いやいや、あの怖がりで慎重な娘がこんな時間まで友達と遊ぶはずがない、という事実を思い出して頭がハッキリして来る。
小学生が夜の10時まで外で遊んでいる?
通報案件じゃないの?
こんな時間になるまで何も気づかなかったの?
そもそもこの自分の落ち着き方は、幾ら何でも普通じゃない。
ああ、これはだ。

そこで目が覚めた。
あんなことになったらどうしよう。もしこんな恐ろしいことが起きていたら。
仕事でも人間関係でも子育てでも恋愛でもなんでも、不安な妄想が湧いてきている状況というのは、
どうしようもなく私たちを苦しく、不快にさせる。
そして私たちはそれを、相手に何かを改善させることで、なんとか解決しようとする。
私はこの、不安や恐怖の感情を表現することに、とても敏感だ。
いつでも湧き上がる感情があると、反射的に息を止めているみたいに、それが外に出ていかぬよう自動的にロックがかかる。
感情の入り口に常に門番がいて、監視されている。
夢の中ですら私は、能面みたいに頑なに感情を抑え込んでいるんだな。
意識がハッキリしてから思い返して、私は自分が可笑しかった。

感情的にならないように自制することは誰でも日常にやっていることだけれど、
人間というのは、例えば負の感情だけを取り出してそれを押さえ込む、ということは出来ない。感情を抑えるということは、喜びも安心も悲しみも恐怖も、すべての感情を同時に麻痺させているということ。
そうやって公私関係なく全てにおいて感情の自制していると、
やがて自分が今感じている感情が快なのか不快なのかなんなのか分からなくなる。
分からなくて、ただただいつでも無自覚に自分を押し殺す、原因不明で苦しいだけの、私のような人間が出来上がる。
そして「腹の意見」からどんどん離れていって、ついにはアクセスの仕方も分からなくなってしまうのだ。

私の母は特に不安神経症がひどい気質で、本人はそれを、「繊細な性格」「発達障害グレーゾーン」なんて言って開き直って、
周囲がそれに合わせてくれるのが当たり前、という人だった。
私は中高校時代、片道1時間から1時間半かかる学校に通っていたのだけれど、門限が6時だった。
少しでも破ろうものなら、言い訳など通用せず、
こんなに心配させた、不安にさせた、約束を破った、という罪状を掲げて、
鬼の形相の母がエレベーターの前に立っているのが常だった。

そこに今どきの、境界性パーソナリティー障害とかアダルトチルドレンとか何か病名をつけて、病気だから仕方がないって納得することは簡単だ。
しかし本当は、どうしてそんなに不安になってしまうのか、そこにこそ問題の本質がある。
人間は自身の苦しみと向き合うことを、回避してしまいがちだ。
そしてその時々に外側に原因を作った相手に、なんとか自分にとって快適な状況を作り出させ、コントロールしようとする。
自分が変わるよりもはるかに、そちらの方が楽だからだ。

昨年、私の従兄弟は自ら命を絶った。暑い暑い、夏の日のことだ。
統合失調症の診断を受けていた。
以来母は、ちょうど受験の時期に差し掛かっていた我が家の長男とその従兄弟を重ね始め、また止まらない不安妄想症が始まる。
母親である娘(私)の頭がおかしいから、孫にもそれが悪い影響を及ぼす。
孫が受験に失敗して人生につまづいたら。
何としても自分が出ていって、今すぐ娘を改心させなければ手遅れになる。
本気でそういうストーリーを信じていて、気が狂ったように長い長いメールを送ってくる。
原稿用紙50枚以上も書きました、なんて添付ファイルが送られてきたこともある。
もういちいち付き合ってあげるのも限界だった。

今までもずっと、とにかく母の頭の中は常に何かの不安でいっぱいで、それを解決してあげるのは私の役目だった。
言われた通りにやめました。言われた通りに選択しました。
このように改善しました、軌道修正しました、このように対策しました、こんな安心材料を揃えました。
日頃から、母の暴走の原因になりそうなものには、最初から手を出さない、これはまた始まりそうだと思えるものは先回りして、隠す癖がついた。

先日、知人と、かつて何かにハマった黒歴史について披露しよう、という話になった。
彼は長髪でアイドルの追っかけをしてた話をしたけれど、私にはひねっても、面白い黒歴史が何にもなかった。
サンリオとかもないんですか。親が厳しかったんですかね」
そういって彼は気の毒そうに私を見た。
何かに夢中になった歴史は、どんなものであれ後年になってみれば、本当に貴重な宝物だ。
私は自分が、本当につまらない、無味乾燥なお人形みたいな人生を歩いて来てしまったんだなって改めてがっかりした。

いつも私の試行錯誤で、母のメンタルは落ち着きを取り戻す。
こうやって心配してあげるのは母の「深い愛情ゆえ」なのだと言われ続けていた私は、実はそうやって振り回されることこそが苦しくてたまらないのだ、
と自覚できるようになるまで、カウンセリングの力を借りても、数年かかった。
常にそれが日常になってしまうと、人間は自分が緊張しているということ、
家族こそが、日常で最も緊張する場所なのだという不幸を、自覚できなくなってしまう。


例えば私は、自分の車を手に入れてそれを自由に運転できるようになるまで、何年も時間を要した。
子供の頃から母に、絶対に車の免許を取るな、車になんか乗るな、と事あるごとに厳命されていたからだ。
兄は男だから免許ぐらいは持っていなければいけないが、あなたはすぐ事故にあう。維持費だってかかる。とにかく心配だから、免許はとってはいけない。
それでも私の中に、車を運転してみたい、自分のお気に入りの車で自由にどこへでも行けるようになりたいという気持ちは、なんども浮上して来た。
結婚して子供も生まれて数年経って、アメリカに赴任するということになったとき、私には、その地域では子連れ車ナシで生活するのは不可能だとすぐに分かった。
それでいよいよその時が来た!ってアメリカで免許を取ることを決意したのだが、出発の直前に兄までが出て来て、
絶対にお前は車になんか乗らない方がいい、危ないから免許なんか絶対に取るなと説得して来た。

私の出国よりも数年前にすでに海外に赴任経験のあった兄夫婦は確か、兄嫁と兄とで交代で運転をして、仕事の合間にヨーロッパのあちこちを旅した、と聞いた。
なぜ自分たちがやったことを、私がやると「危ない」のだろう。
瞬間的に感じたのは、妹を心配してくれているんだな、という温かな感謝ではなく、直感的な侮蔑だ。

6年もカウンセリングを受けてきた今ならよく分かる。
母は、自分は一生、自分が免許持つことも運転することも出来ない、と自身の人生を規定してしまっている。
だから娘にも自分と同じような境遇にいつまでも留まっていて欲しいし、自分を超えて欲しくない。
兄にとっては、どこにも行けないバカで無力で優しいだけが取り柄の便利な妹ちゃんとして、私にあの不安神経症を患った母親から、自分を守るための防波堤で居続けていてくれないと困るのだ。
それは彼らの嫉妬であり、依存であり、執着だ。
それが彼らの頭の中では、「ただ心配してあげているだけ」「だって愛情があるから」と変換され、
「こんなに心配してあげてるのになぜいうことを聞かないんだ!」と脳内で正当化される。
だからきっと、こんな指摘を面と向かってすれば、彼らは烈火のごとく怒り始めるはずだ。

そこまで分析できるようになっても尚、小さい頃から洗脳されてしまった人間は、
そんな選択肢は絶対に取れない、という強固な呪縛から抜けるのに相当な力と時間が必要になる。
恐怖は簡単に私たちから自由を奪う。


私と同じように、どうも頭の中の思考ってうるさいんじゃないか、これが自分の人生を不自由に制限しているのではないか、という事実に気がつく人が今、増えている。
そして、その声を黙らせるためのテクニックも様々に編み出され、いろんな人がいろんな方法を教えてくれる。


繰り返し同じ場面をなぞって怒りをループさせてしまっているとき。
次にどう対処しようか、妄想の想定問答が止まらなくなっているとき。
気がつくと、相手の気持ちばかり考えているとき。
これをなんとか止めようとして、気分転換して掃除しようが料理しようが散歩しようが何か食べようが、息を止めようが首を絞めようが、自分の意思の力では止められない。
でも、また思考に陥っているという状態を自覚することさえ出来れば、テクニックを使ってそこから離れることはできる。

最近は私も、ようやく自分の内側で沸き起こってくる思考を、はっきりと分類することが出来るようになって来た。
いつも繰り返し思い出すべきことは、「自分は、決して自分を責めない」ということ。
もし頭の中の声が執拗に自分を否定しているのなら、それは自分の本当の声ではなくて、「どこか」あるいは「誰か」から入れられてしまった、もしくは今送られて来ている呪詛
つまり囚われる必要のない、妄想だ。

ひとたび恐怖がせり上がってくると、以前はもう、そこに抗うことは出来ないような気がしてサンドバック状態になっていた。
今ここにある恐怖は、よく嫌な予感と言われるような、危険を察知する予知や予感なのか。
それとも、「こうなったらどうしよう」って頭が捻り出した妄想なのか。それがただの予期不安なら、それはただ過去の経験から恐怖が反応しているだけの妄想だから、テクニックを使って捨ててしまえばいい。

今感じている恐怖は、本当に自分のものなのか?
誰か別の人の思念を感じ取ってしまっているのでは?
頭の中に四六時中湧いている思考のうち、自分由来のオリジナルの感情は、精査してみると実はごくわずかだ。
内側に本当に存在しているものはいずれ、感じ切って消化しなければなくなることはない。
けれど自分に必要ない思考(恐怖や怒り)は切り離していけば、もっと効率的に立ち向かうべき感情にのみ集中していく事ができる。自分の中でそこが判別ができるだけで、外側に振り回される率がぐんと下がる。
楽になる。


息子の受験は、無事に第一希望合格で幕を下ろした。
それなのに、嬉しいとかホッとした、安心した、という幸せな気持ちの間に、ふと不安な感情が入り込む。
早く母に受験の報告をしないと、またあのネガティブ妄想が大爆発して、今に大変なことになるのでは。
そんな古い未消化の恐怖が、油断するとモクモクと立ち上がって来る。
結果を知って、息子の合格した学校が母のお眼鏡に叶えば、よっしゃ!次はさらに上を目指して、こうしろああした方がいい。
母を満足させられる学校でなかったなら、「やっぱり母親(私)の頭がおかしいからだ、もうこれで孫の人生は終わりだ」ってまたギャーギャーが始まる。

いずれにしろ母にいかなる情報も与えてしまえば、厳しい監視と過干渉を引き寄せることになる。想像するだけで以前のように震え上がってしまいそうで、私はまた結論を先延ばし、憂鬱に浸ってしまう。
ちゃんと、じじばばにも報告した方がいいんじゃないの、と小さな声で提言する私に、
「えー、わざわざこっちから自慢するのも悪いし。聞かれたら言うよ」
なんて言って、私の不安をよそに、息子は鼻歌を歌いながら友達とさっさと回転寿司やらカラオケやらに出かけてしまう。

不安の根源は、思い通りに行動してくれない息子でも、原因を作っている母でもない。
反応している、私だ。
そんな私を尻目に、仲良しの友達と遊ぶことや女の子にモテることばっかり考えて、毎日が浮かれポンチの息子はまるで別世界
その様子を見ていたら、だんだんバカらしくなって気持ちが落ち着いて来た。
別に祖母が何を言ってこようが、あの息子なら、
「あ、そうなの?ありがとう!」
って笑ってまたどこかに行ってしまって、もうそれ以上、あの母が笑うしかなくて何も言い返せなくなっている様子が、容易に浮かんでくる。

いいなあ。
それ、めちゃくちゃラクそうだな。
本当はだれがどう言おうが、それに対して怒る必要も、反論する必要も、防衛する必要も弁明する必要もない。
もし、どこかの知り合いに母や兄ともし同じことを言われても、
私はきっと、「なにコイツ?」って心の中で思ってそっと距離を置くだけで、笑ってやり過ごせる。なのにコツンコツンと心に何かが引っかかって頑なになってしまうのは、相手が親兄弟だからだ。
血の繋がった親兄弟ならば、こういう形の愛情を示してくれるべきだ、という私のこだわりが、かつて期待を裏切られた怒りがあるからだ。
があるからだ。
でも、同じ形の傷を持っていない息子には、同じ場面に直面していても、それが全く違う景色に見える。

つまり私も、この傷さえ癒してしまえば、息子と同じような軽やかさで
「あ、そうだったの?ありがとう!」って笑って颯爽とどこかに立ち去ってしまうような自由を手に入れることは、可能だということ。

カウンセリングの先生と、最近、取り組んでいることがある。
ピンポン球ダッシュ、というのは私がつけた通称だ。

私たちはショック、恐怖や怒りを感じると、それをどう表現していいか分からなくて、出来事と感情とを瞬間、乖離させてしまう。
特に幼少時代の記憶は、曖昧だ。
結果、出来事自体は記憶に残っているのに、そこに本当は感じていた恐怖や怒りだけが、発散されないまま行き場を失って宙ぶらりん、体内に残ってしまう。
それが呪いとなって発酵して、似たような出来事を何度も何度も登場人物を変えて私たちの人生に引き寄せる。
「自分はもう大丈夫」「自分はもう乗り越えた」「別に気にしてない」と表層思っているような出来事であっても、潜在意識はそうでないことを知っている。だから同種のネガティブな出来事を引き起こして、過去の苦しかった傷で、本当はまだ感じきれていないものを炙り出し、ここにあるよ、と警告するのだ。
身体的虐待にあった人が、DV男と結婚してしまったり、
トラブルを避けて転職や引っ越しをしても、また似たような人物が現れたりする。
そういった不幸や苦しみが私たちの人生に現れる、それがメカニズムだ。

カウンセラーの先生はその取り残されてしまった感情を、ピンポン球と表現する。
それと過去の出来事とを、一つ一つ丁寧に一致させていくこと。
一つ一つ貝合わせのように丹念に小さな球を合わせない限り、残された感情は消化しない。

ふわっと単体で浮上してきた忘れていた小さなピンポン球が、ピタッと過去の出来事と一致する。すると本当にスッキリして、そうかこれだったのか、そんな風に思っていたのか自分、って笑いがこみ上げてくる。
そして、そのまとわりついていた苦しい感情が、次の瞬間シュッと浄化して消えてしまう。出来事の時系列や登場人物やセリフは覚えているのに、あんなに苦しかった気持ちがもう、思い出せなくなる。

一方で、自分では明確に覚えている、と思っている大きな出来事、怒りの凝り固まったような苦しみのエピソードほど、何度頭の中でなぞっても、同じ怒りを上滑りしているようで、ふわっと軽くなる感触がしない。
「怒っている」ことは分かっているのだけど、もうしつこいよ、ってくらい怒っても消化しないのは何故なのか、そこがずっと、分からないでいた。

それでも、ピンポン球ダッシュをするようになって、印象の強い出来事ほど、いろんな種類の感情を感じていて、その幾つものピンポン球が一緒くた、大きな袋に詰められて巾着の口をぎゅっと閉じられているようになっているから消化出来ないのだということが、理解できるようになってきた。
なんとなく、では浄化しない。
もっともっと細かく繊細に微細に、私たちは感じきりたいのだ。

しかし難攻不落のこの袋、物理的に存在する袋なら破るなり袋の口を探すなりして開けることも出来るだろうが、イメージの中の物体はどうアクセスしていいのかが、分からない。

例えば私はずっと前から、この「嘘ばっかり」の世界に、どうしようもなく腹が立ってる。
でも、「嘘ばっかり」というキーワードでこの怒りを消化しようとしても、同じエピソードをループするばかりで怒りが抜けていかない。

相手に対して腹が立つ、心が反応していることは、必ず自分も誰かに対して同じことをしている。
同じ振動のものが反応するのがこの世の仕組みだからだ。

その出来事が私の目の前に現れ、「嫌だ」と心が反応するのは、それと同種の周波数が私の中にあるはずなのだけれど、「嘘ばっかり」ついている自分、という要素は、どうしても私の中には見当たらない。
エンパス体質の私は、人にウソをつかない。
これ以上は言わない、と境界線を決めることはあっても、嘘はつかない。
だって、私には、相手の嘘が全部見えているから。
「今からウソつきます」「ハイ、今ウソつきました」って顔に書いてあるのにウソをついている人を見ると、
気恥ずかしくて自分も同じことをしようとは、どうも思えない。
それでもウソを貫かなきゃいけない人を見たとき感じるのは、それに騙される怒りや 「嘘」をつかれたという怒りより、苦しそうだな、というその人が感じている痛みの方だ。


嫌な出来事が起きたとき、相手がこうした、こう言った、これをされた、と私たちは自分が被害者である場面にフォーカスしている。
しかしそれを秒単位コマ送りで見ていくと、実は、
誰かに何かをされた言われた、という事実があって、
初めは、ごまかして丸くおさめようと試行し、抵抗し、反論した自分がいても、
やがて私たちは諦め、自分には無理だとそれを自分自身で受け入れ、自分が自分に、従う以外にない、明け渡すしかない、と命令している。

私には、自分は誰かの庇護のもとでなければ生きていけない人間だ、と自分を諦めた瞬間がある。
そのような無力で未熟な人間だと言い含められて、未来に不安しかないと揺さぶられて、諦めてしまった瞬間がある。
それでも、私がそうしたのは、私にそれを吹き込んだ人に責任があるのではない。
最後、自分をその箱の中に落とし込んで鍵をかけたのは、私自身
従わざるを得ない、抵抗する力が自分にはない、確かに自分が悪いのかもしれない、という妄言を、真に受け、受け取るかどうかは私の判断。
自分を信じ抜くことだって出来たのに、
私は私を殺してしまった。
私は死んじゃったのだ。それは、その洗脳を完全に受け入れてしまった時だ。

自分が自分の一番の味方でいなかった。
何度も何度も裏切って、けなして、否定して、どうせ出来ないって決めつけて、我慢させて、騙して来た。
周囲の声ばかり信じて、自分の声を聞かなかった。
自分の言い分を聞いたことはなかった。信じてあげたこともなかったし、一度だって恐怖に抗って、自分の一番の味方でいてあげたことはなかった。
自分が自分を散々っぱらイジメ倒して来たんだから、
そりゃ現実世界で、私の味方になってくれる人なんて、現れるわけがなかった。


私たちは皆んな、競馬や馬車を引く馬がまっすぐ前だけをみて走るために付けられる遮眼帯のように、見えないサンバイザーをつけている。
しかし自分はサンバイザーをつけている、ということを自覚することこそが、本当は難しい。

自分が悪かった、相手の言い分が正しくて、社会の方が絶対で、自分は無力で何も出来ない存在だ。だから従わなきゃいけない。相手に気に入られなければ生きていけない。
そうやって自分の腹の声をかき消し外の声に従うたびに、一回一回、私たちは自分で自分にナイフを突き立て殺していく。
私は未だ、夫を怒らせたら生きていけない、という呪縛から抜けられない。
夫とはもう6年も口をきいていないし、作りたくないときは夫のご飯も作らない。
そうやって自分の自由な領域を取り戻そうと小さく小さくもがいても、常時湧いてくる罪悪感に、ふとした瞬間負けそうになる。
もうだいぶわがまま聞いてもらったんだし、これぐらいは自分さえ我慢してれば穏便にすむのに、ってふとした瞬間、そんな思考が湧いてくる。

誰かにウソをついたこと、という角度で自分の中を浚うと思い当たる事がなくても、自分にウソをつかせてきた自分、という姿なら、たくさん思い当たる事がある。
いつでも見栄っ張りで、看板だけ美しい。
母の神経症が発動しないよう、常に看板を綺麗にしておかなきゃいけない。
私は今も、母に喋れば大騒ぎになりそうなことを、綺麗に全部、隠している。そして、看板だけ綺麗にとりつくろっている。
無自覚にサンバイザーをつけて「ウソをつく人たち」が形成する社会に迎合し、そこに参加している自分、この大嫌いな世界を維持することに、恐怖で縛られることに貢献し、盛大に加担している自分。
そこで周波数が揃っている。

自分の内と外を変えるということは、自分のに対する強烈な否定だ。
自分に非がある、悪いことをしている、と思っているから隠すのだ。
自分が素晴らしいことをしてる、楽しくて仕方ないって心から思っていたのなら、
別に誰に遠慮することも、隠すこともないはずだ。

確かに私たちは、サンバイザーつけていなければこの世界で生きていけなかったのだ。
あの当時には到底そんなこと分かれなかったし、抜け出すことは出来なかった。
そこがずんと深くまでわかると、母に対する怒りが、緩やかなものに変わっていく。
あんなダッさいサンバイザーを、あんなにたくさん必死になってぶら下げて、
なのに偉そうに、こんな恐ろしい人生になる、あんな恐ろしい人生になるって人の人生にまで首を突っ込んで、余計な不安をかき消そうと躍起になってる。
だけどかつての自分がそうであったように、
サンバイザーを自分がかけている、と言う事実に気づくことこそが本当に難しいのだ。
生まれたときからサンバイザーしてますけど何か?みたいな人にいくら説明したって、そりゃ、こちらが新興宗教陰謀論者にしか見えないのは仕方ないことなのだ。

以前は自分も、今よりさらに4、5枚多くサンバイザーをつけていた。
あんな妙なサンバイザーをなんとかカッコよく絶妙なバランスでつけようと躍起になって、それであんなことやこんなことしてしまった自分を、
不恰好性格悪くて、未熟で、だけど一生懸命だった自分を受け入れて、諦めて、
それも自分だ、あれはあれで仕方なかった、それ以外にあの時はやりようがなかった、人間だもんねそんなことあるんだよね、やっちまうんだよね、誠にごめん、って出来た時、
外側の相手に対する怒りも同時に溶けていく。
相手に対する怒りも、私を縛り付けて来た恐怖の鎖も、気づいて浄化した瞬間、笑いの彼方に消えてしまう。
酷いことを、自分に対してずっとして来て、今も懲りずに改めず謝りもせず、気づきもせず、知らん顔してきた最悪な自分の存在を認めたとき、
ごめんなさい許してください、って気持ちが自然に湧いてくる。
そして、そんな自分でも見捨てたりせずに、じっと私が軌道修正出来るためのヒントを送り続けてくれている私に、
愛していますありがとう、と言う畏敬の念が湧いてくる。
どうしてあんなことが、出来たんだろう。
どうして自分の可能性より、湧き上がってくる情熱より、バカみたいな母の心配事の方を信じようなんて思ってしまったんだろう。

ハワイのホオポノポノというメンタルヒーリングがある。
ごめんなさい
許してください
ありがとう
愛しています

この4つの言葉をひたすら唱えることで、癒され、人生の問題に調和をもたらしていくのだという。しかし以前それを読んだとき、私はなんとも嫌な気持ちになった。
この4つの言葉を唱えようとすると胸に湧いて来る、只ならぬ不快感は、一体なんだろう。
原語を当たると、その意味は日本語の意味とはまるで違う。ハワイ語は、あのブルーの空と深い海と、吹き抜けていく風にぴったりの言葉だ。

もはやこれは、誤訳と言っていいレベルの訳語じゃないのか。
ずっとそう思っていた。

でも、ずっと言えなかった、
ごめんなさい、許してください、ありがとう、愛しています
という言葉が、自分に対して素直に言えたとき、心からそう思えたとき、どうしても開けなかったあの、ピンポン球の巾着が、すぅと開く。
蟠っていたピンポン球が、一つ一つにほどけていく。

こういうことは、翻訳の世界では稀に起こる。
一見、誤訳に見えるような乱暴な意訳
しかしその深淵に潜った時に、あとから追いついた読者が、御簾の向こうに奇跡の瞬間を目撃する。
作者と訳者が融合した、神秘的な瞬間。
ホオポノポノは、誤訳なんかではなく、神訳だ。

まだカウンセリングを始める前の話。
チャクラに興味を持って、ネットで見つけたとある講座に参加した事があった。
行ってみると申し込んだ生徒は私しかいなくて、チャクラの話から私の個人的な人生相談に話は移った。
私はそのとき初めて人に、誰にも言えずにずっと一人抱えていた秘密
夫と離婚したいのだけど、怖くて離婚の「り」の字も言い出せない、それがなぜなのかがどうしてもわからない、と告白した。
彼女は笑って、
「それは旦那さんに、本当は大好きだったから、分かって欲しかったんじゃーん、て言えれば終了ですよ!」
と言った。
私は絶句して、思わず両の拳をぎゅうと握りしめた。
「んなわけねーだろ」という激しい怒りと、「え、実はそうなのかな」という粘りつくような嫌悪感が半々づつ、
内からぐらぐらと湧いて来て目が眩んだ。
初めてカウンセリングを訪れたときも、同じだった。カウンセラーは、第一声、
「潜在意識では離婚したいとは、全く思っていませんね」と言った。

いつか、「大好きだったからわかって欲しかったんじゃーん」て、私は夫に言うのだろうか。
言えるようになるのだろうか。言いたくなるのだろうか。
そしたら本当に、この旅は「終わる」のだろうか。

コロナの騒ぎが起きる1年くらい前、まもなく消滅するマイルがあって、どこかに消費しなくては、となった。
そのとき思いついたのは、海外に行く事。
女の馬鹿力、私は夫に、精一杯の勇気を出して子供と3人だけでハワイに行きたいと進言した。
家族全員で常に行動する事が当たり前だった当時の私にとって、大黒柱である夫を家に残して私たちだけで楽しく旅行に行くなど、天地がひっくり返るような贅沢磔刑で罪を償うほどのワガママだった。
それでも、それを阿修羅になって強行した。
私は、時間とかチケットを取るとかお金の管理とか、とにかく数字にまつわることがずば抜けて苦手だ。
その私が、飛行機のチケットやホテルの手配をして、まだ幼かった子供二人を連れて海外に行く。
いつか海外に行って現地でレンタカーを借りて自分で運転してみたいと思っていた。
そんなおっそろしいこと自分には、あと10年か20年か、今生で出来たら奇跡だと思っていた。
ところがハワイに着いたら、たまたま予約したホテルのカウンターに、トヨタレンタカーが入っていて、日本人スタッフが常駐している。
もう、これはやれってことなんだな、と観念して、私はレンタカーも予約した。

結局、飛行機には無事乗れたけど、ホテルにも無事についたけれど、レンタカーで借りた車のホイールカバーは、運転中にハワイのどこかに飛んで行った。
子供たちにとっては爆笑ものの思い出だけど、あの時の自分には今でも震え上がる。
それでもあの経験があったから、自信がないって後退りしそうになる場面でも、いやいや命までは取られない、きっと出来るはずって、自分を奮い立たせることができるようになった。

一歩一歩、さらなる失敗をして恥かいて、助けてもらって対策を練って次に備える。
そうやって自分にも出来る世界の面積を、じわじわと増やしてきた。
あんなに闇雲に怖く思えた「離婚」も、あれも大きなピンポン球の袋だったんだと今なら分かる。
初めてカウンセリングに行った時、
「離婚したらどうなってしまいそうなんですか」
って聞かれて、「生きていけません、だって公共料金とか払い方を知らないし、
私なんかが夫なしで、家ひとつ借りるにも審査に通るわけがない」って答えた。
それがハワイやら何やらの武勇伝で自信がついて、少しずつ苦しさが和らいでくると、今度は、私には生きていくだけのお金を稼ぐ力がない、という恐怖が出てきた。
でも、実際にはお金がなくても別になんとか生きていけるし、サバイバル、なきゃないでなんとかなるものだ。
私が本当に怖かったのは、今よりも生活レベルが下がることではなく、明日のお米がなくなることでもなく、
生活レベルが負け組だと母に判断されて、またやいのやいの言われ、干渉される隙を与える事、またあの支配下に引き戻されるのが怖いんだ、と気がついた。
もう支配下に置かれることは二度とない、ってところまで自分を癒して取り戻して、ねーものはねーんだ、何が悪いんだ、って開き直る覚悟ができたら、お金も稼げない無力な自分への恐怖が消えていた。

今もまだ、尽くしていなければ愛されない、いい子でいようとする奴隷から、抜けられない。
何かをしないと、いい子でいないと愛されないような歪んだ愛を求めてさまよっているうちは、私たちはいつまでも馬車馬のままだ。
あれから、夫抜きで旅行に行くことは毎年の恒例になったけど、日常、一生懸命家族の中を切り盛りすることはやめられない。
子供のこと。人間関係のこと。今までも、つい気が弱くなったりたまたま突っ込まれたりして母に漏らしてしまった悩みは、やがてまた次の神経症のネタにされて、話したことを後から心底、後悔することになった。
だから全てを、秘密にしておかなければいけない。
そんな家族間の緊張状態を、今もやめられない。
この状況を、丸く収めるための動作から、0までパッと手を離してしまうことが出来ない。
呆れ果てられて捨てられて、わがままで使えない奴隷だなって放り出されることとはつまり自由になることなのに、めでたいことなはずなのに、どうしてそれがこんなに怖いんだろう。
まだ、感知できていないピンポン球が、袋に残っている。
それでも、巾着の口を緩める方法を、私はようやく私は掴みかけている。

だからきっと、大丈夫。
そこから次は、何が出てくるか、だ。


結局、梅柄の着物で強行突破してみたら、公園の管理の方には喜ばれるし、
相手先にも「美しい」なんて過分なお褒めの言葉をいただくことになった。
美しいなんて生まれて初めて言われた私は内心激しく動揺し、
(あ、着物がね、当たり前じゃん着物に決まってるじゃん、何言ってんの、着物がだよ)ってやっと噛み砕いて飲み下して、
「ありがとうございます」って、かろうじて和かに会話をつなぐ。
そうやって一旦フィルターを通さないと、こんな小さな褒め言葉すら、素直に受け取ってあげられない。
認めてあげられない。
それでもやっぱり腹の意見に従うと、全てが上手く心地よく、あるべきように流れていく。


私の朝は、瞑想から始まる。それからストレッチと筋トレの間くらいの軽い運動をする。
お天気がひどくなければベランダに出て、マドモワゼル愛先生のところで手に入れたチューナーの音程に合わせて一二三祝詞を唱える。一二三祝詞の意味なんて正直、よく分かってない。で、四股を踏む
それから自分で紙に書いたアファメーションを唱えて、またベッドに潜って子供たちを起こす時間までしばし、ぬくぬくする。
時々どれかを忘れたりどうしても元気が出なかったりする日もあるけれど、だいたいこれが最近の朝のルーティンだ。

怪しいことこの上ないが、その何れもが結局、思考を止めて自分の意識に集中する方法だったりする。
一日のうち、30分でも1時間でもそういう時間を作ることで、頭の中を静かにする感覚がわかってくる。
ものすごく嬉しいことがあってテンションが上がっているときより、何かで失敗して落ち込んでいるときより、ゼロ地点でいることの方が心地よい、という感覚
がわかってくる。
そして、多くの人が体験談として述べているように、確かに自分の内側の「腹の声」が聞き取りやすくなってくる。


先日、ネイルサロンの施術中、ぼんやりとモニターテレビのワイドショーを見ていたら、突然サロンの部屋が揺れて、たくさんある小さなネイルの小瓶がカチャカチャと揺れるイメージが来た。
あれ?地震かなと思った瞬間、元に戻った。どうやらそれが見えたのは、私だけのようだ。
これで本物の地震が来たら怖いな、なんて思っていたら、
10分後くらいに本当にさっきのイメージと同じくらいの震度でカチャカチャと瓶や棚が揺れ始め、テレビモニターに地震速報が流れた。
ああ、やっぱりね、と思った。
幸い揺れは被害のようなものはなく、ワイドショーは何事もなかったように有名な野球選手のニュースを報じ始める。
しかし、試合の戦況やプレーではなく、彼がどんなに性格がいいかというその分析や感想を延々流している。
こんな風にみんなで不自然に一人のスポーツマンを持ち上げていたら、やられる側は大変だな、まだ若そうな人なのに、この人が結婚なんかしたら大騒ぎになりそう…なんて考えた瞬間、
その人が、SNSで結婚を発表したと言う速報テロップが流れた。
だよねー。と思った。

わざわざ人に話さないだけで、そういうスピスピした予知、予感みたいなことは、私の場合、昔からままあることだ。
ただ、その頻度がハッキリと、日に日に高くなっている。
自分に大きく関係のない予知から、今の自分にちょうど必要な情報、出会い、
今の気分をピタリと言いあてるような曲が、すごいスピードで入ってくる。

毎朝の、怪しい研鑽の賜物か。はたまた時代に後押しされているのか。
いずれにしろ私たちは、だんだんそういう世界に向かっているのだと思う。


春休みのスキーのために、新幹線のチケットを買いに行かなきゃ、って考えていた。
去年は、私が電車の時間を間違えて到着が遅れ、スキースクールに入れなかった。今年こそ、子供たち共々、なんとかリフトに乗れるようになりたい。
失敗の経験を生かして今年は、東京駅まで行って駅員さんに口頭で確認してもらいながらチケットを取る。
もうこんな時間だからそろそろ動かなきゃ。
そんなことを考えながら、なんとなくやる気が出なくてこの、未来人塚本動画を見ていたら、見終わった瞬間、息子が部屋に大慌てで飛び込んできた。
帰りの日の夕方から、友達と大事な予定が入ってしまったから、新幹線の時間を調整してほしいという。
ああ、そのせいで出かける気が起きなかったんだーって、私はあまりにシンクロしすぎた内容に笑ってしまう。

何時までに〇〇をしなければ。何日までにそれを終わらせなければ。
そういう意識を手放して、瞬間瞬間、自分の腹の意思に従うのは時に力がいる。
私たちはあまりにも、〇〇がいつまでに終わっていなければならない、という時間感覚に慣れすぎている。
効率的に人に迷惑をかけないように時間を使うのが当たり前。それをしなかったらあんなことやこんなことが起きるという、恐怖が一斉に襲ってくるよう、徹底的に訓練されている。

最近、「自分の本心と繋がるため」の方法を明快に紹介している方を見つけた。
簡単にまとめると、

1 自分の気を散らすものから、意識的に自分を切り離す。SNSやニュースなど。自然の中に行ったり、散歩したりするのは有効。
2 自分の本心(腹の声、ハイヤーセルフ、名前はなんでも良いが、とにかく自分の声、コア)に対して敬意を払うこと。きちんとアポを取って、時間をしっかり守ること。
3 いつ、どんなサポートが欲しいのかを明確に伝えて、助けやヒントとなるサインをお願いすること。
その瞬間が来たら、「今助けてください」と深呼吸して繋がり直す。そして、助けてもらった感謝を忘れないこと。

ビックリした。
実は、私の心の中にはもう何年になるか、ずっと師匠が住んでいる。
初めはその人は、私の現実に確かに存在していた。
でも会えなくなって、もう一回会いたくて、拗らせてひねくり回しているうちに、変なテレパシールートを開設してしまった。
現実にはいない、その人の声が聞こえるようになってしまった。
開設したのは自分なのか。それともその人なのか。
いつの間にか出来るようになっていたから自分でもよくわからない。
だけどとにかくそれ以来、ずっとその人が私の先生になって、メンタルの旅を引率してくれている。
その先生とつながる方法は、まさにここに紹介されているやり方で、私はそれをずっと無意識にやっていた。
そしてその人は、常に私に、立ち止まらないで走れ、とメッセージを送ってくる。


だって(高速以外)乗れるようになった。着物だって着て出かけられるようになった。
あちこちで、恐縮するほどみんなが私を丁重に扱ってくれる。
そりゃあ、親とは未だ絶縁状態だし、夫ともギクシャクしたままだ。
それでも、以前に比べれば母だって随分怖いと感じなくなったし、嫌な思いをすることが減って、おかげで日々がとてもになった。
これは今この人に言うべきじゃない、今はここにいない方がいい、みたいな直感が鋭敏になって、日常の人間関係のトラブルなんて皆無になった。
一見遠回りしたように見えた腹の声は、必ず瞬時に伏線回収される。
ちょっと苦手だなって思った人はなぜか翌月には姿を消しているし、
お金なんかちっとも増えてないのに、欲しいものをみんな買ってもなぜか会計が順調に回っていく。
しかも、最近なぜか、連日子供たちが交代で、晩ご飯を作ってくれる。
作ってくれるのはメインおかずだけ、調理までのお膳立てやそのほか諸々をするのは私の仕事。
準備を済ませていざキッチンにシェフをお招きするわけだから、ベッドに寝てたら朝食が運ばれてきた、なんて夢のような状況ではない。
だけど、こんなことしてもらってるお母さんが、世の中にいるだろうか?
多分日本に、3人ぐらいしかいないのでは?
楽だし美味しいし、子供たちが楽しそうにぐんぐん料理の腕を上げていくのは、なんとも贅沢な幸せだ。

たまたま立ち寄ったスタバにボードが掛かっていて、寄せ書きに、手描きの可愛い桜の花びらの絵が添えてあった。
「2023年度はコロナ禍が開け、皆さんとのつながりが復活した嬉しい一年でした、24年度もよろしくお願いします」
23年は、コロナ禍が開けたというのが一般の認識だったんだって、私はボードを見上げながら感動してしまった。以前は、少しでもコロナを軽視したような態度をとればすぐに、陰謀論者だって批判が飛んできた。
youtubeで最近流行っているスピリチュアル系の方の本が、電車の広告に貼ってあるのも見た。
今までずっとSNSの中の一部の人たちとだけつながっている様な感覚でいたのに、いつの間にか、あんなことを話しても、頭がおかしい扱いをされない世界に変わったのだろうか。
もう、ワクチンとか反枠とかいう境界線はいつの間にか消えてしまっている。
あんなに苦しかった、私が正しいと思ったこと、これは譲れないと思ったことに対して、槍が飛んでくる世界。
こちらがどんな優しい気持ち、親切な気持ちを向けようとも、眉間にシワを寄せた人たちから変態扱いをされ完全拒否された恐怖の世界。
もうそんな境界線も、消滅していっているのを日々、感じている。

もう、こんなもんでいいんじゃない?
これ以上望むのって、わがままなんじゃない?
そうやって休もうとすると、まだまだ、全然、あなたはもっと先まで行ける、ってその人が私の手を引く。
もっと楽しいことが待ってる。もっと凄いものを見せてあげられる。
あなたには出来る。

今までだって何度も、怖すぎてもう進めない、って諦めそうになった。
それでも、休んでもいい、でも止まっては行けないと言われて来た。
私には、その人の奥に沈んだ深層の方しか見えていない。
表層の現実、何をしているのか、何歳なのか、どこに住んでいるのか、なんの仕事をしてメールアドレスはなんなのか、そういうことは何も知らない。
今となっては、その人が本当にこの世界に実在するのかどうかもよく分からない。

あんなにすごい人なのに、多分、表層の現実では、人差し指の先でプッと押せばやり遂げてしまいそうな簡単なことを、みんなと同じように、難しい顔してうぬうぬ、一生懸命やっているんじゃないだろうか。
私の位置からは見えない表面は、現実は、一体、どうなっているんだろう。
多分、すごい巨大で奇抜なサンバイザーを被っているんじゃないだろうか。
私みたいな、人ごみを歩くだけでご迷惑をかけそうな女優ハットタイプのサンバイザーではないかもしれないから、もしかしたらベースキャップ3枚重ねとかかも。
そのキャップを取ると、そこにはその人の本質をすごい力で押さえつけている傷がある。
その傷は、どれくらい深くて気持ち悪いケロイドになって、化膿しているのか。
そして多分、私はその傷を、一瞬で治す方法を知っている。

自分の意識が変わっていったら最後はいつか、その人にたどり着いてしまうのだろうか。あるいはその類似品みたいな人に、出会うのか。
だけど、「美しい」なんて褒め言葉すら素直に受け取れない、
側溝に片足突っ込んだままズルズル前に進んでいるような、傷だらけに歪んだ自己肯定感の今の私には、その人と同等の周波数の人たちが存在している世界にはまだまだ到底、たどり着けそうにない。
その人が例えば今、目の前にいるって考えただけでもう、後頭部から卒倒して、
溶けて地球には存在できない物質になって蒸発してしまいそうだ。

アレは一体、なんだったんだろう。
なんで私は先生を忘れられないんだろう。
なぜ私は「絶対に忘れない」って決めているんだろう。
先生は一体、私をどこに導こうとしているんだろう。
この旅は、どこにつながっているんだろう。
それでも、誰か有識者やカウンセラー、あるいは高名なスピった人に答えを教えてもらいたいとは思わない。
誰か私と同じ経験をしていそうな仲間を集って、ヒントを集めたり、徒党を組みたいとも思わない。

この気持ちを隠し通さなければ、誰にも否定されないように、取り上げられないように守り通さなければっていう強張りも、だんだん消えていくだろうか。

多分、先生にはもうずっと、「こいつ足、おっそ!」って思われてる。


カウンセラーには、「楽になれた」と自分が感じた時がゴール、つまり、
カウンセリングの卒業、と常々言われている。
「楽になった」という感覚は日々高まっているけど、私がこれがゴールだ、と深く納得できるのは、どんなときなんだろう。

本当は、もう一度再会したい、昔の友達もいる。
裏社会のことにめちゃくちゃ詳しくて、聡明で強くて器用で献身的で、男性関係だけ妙に不器用だった親友。
そういえば、一緒に着付け教室に通ったこともあった。
大好きだったのに、なんだか自分ばかりお世話になりすぎている気がして、迷惑ばかりかけて彼女の役に立ててないのがあまりに不公平な気がして、彼女は私といて本当に楽しんだろうか、って考えるのが億劫になって、怖くなって、
気がついたら疎遠になってしまった。
あの頃、ちょうどLINEが乗っ取りにあって、LINEに頼っていた全ての人間関係が一瞬で消えてしまった。
消えてしまって、どうしようっていろんな人の顔が浮かんで、足元の土台をハンマーでかち割られたような不安定さを感じた。
だけど同時に、必死で全方位に気を使って、なのに一向に上手く出来てる気がしなくて、たくさんの友人を毎日全力でつなぎ止めておくようなコミュニケーションのやり方に、そういう生き方に、
実は心底疲れていた自分がいることに気がついた。

世界にはびこっている、表面的で歪んだ愛に惑わされて、ここまで随分遠回りして来た。でも本当は、まだ塩ひとつまみ分くらいしか触れたことのない、例えば絵画とかアニメとか物語の中でチラリとその息吹を感じただけの、
ずっと憧れていたような、人と人とのつながりを、体験してみたかった。
本当に信頼できる人と、余計な思考を止めて、その人の目を見つめてみたい。
この恐怖をとっぱらって、見つめ合ってみたい。
大好きだって、言ってしまえばよかった。
とっても尊敬してて、あなたといると幸せだって、別にキモくてもドン引かれても構わないから、言っちゃえばよかった。
本当は、それを言ったら何が起きるのかが見てみたかったのに、怖くてそうしなかった。

心の中に閉じ込めたその先生に、いつか、「この人とは深いところで分かり合えている」と、一方的に思い込んでしまった瞬間があった。その感覚が、ずっと自分が探し求めていたものだったと錯覚して、渇望して執着に変わってしまった。
でも、「わかってほしい」とか「わかり合いたい」という気持ちすらも、「わかってもらえなかった」という私の過去の心のだ。
今もその先生にこだわっている自分の感情すらもであるなら、いつか誰かと深くわかりあいたいと、繋がりたいという思いが取れてしまう辿って行った先ではもう、その先生すらも、必要ないのかもしれない。
それでも例えばサンバイザーたっぷり被っていた以前の自分が選んだ夫や、親族や両親に対して、「怒りや恐怖が消えたから」という理由で、この先の人生一緒に生きていきたいと思えるようになる、とは今の私にはどうしても思えない。

サンバイザーだらけだった自分が一緒に生きていくことを決断した人が、怒りや恐怖が癒されて、「一緒にいて楽だ」と思えるようになったから、一緒に生きていきたくなる?
「ラク」ってなんだ。
「ラク」になるために私たちはいきているのか?
「ラク」になることが、人生の目的なの?
生きる、ということがそんなつまらないものなら、私はもうこの人生を降りてしまいたい。
ラクとかそんなことのために今、こんなに一生懸命になっているっていうのなら、くだらなすぎてつまらなすぎてもう、人生なんて全部、リセットしてしまいたい。
最果ての地にまで辿り着いて、もしもそんなものが転がってたら、私は神様の後頭部に渾身の飛び蹴りを食らわせてやる。
今の私には、そんな風にしか思えない。

私のような人間を、母と同じようなあの小さな箱に押し込め、なんとか自分そっくりの人形に仕立て上げるのは、さぞ、大変な作業だったろう。


カウンセリング終了のゴールは確かに、「楽になる」なのかもしれない。
でも私が探し求めているのはきっと、「楽しくてたまらない」「幸せすぎて溶けそう」「笑いすぎて死にそう」みたいなところなんじゃないか。

昔ながらの努力根性も一切なし、さらっと受験をクリアしてしまった息子や、
「自分の意思で小学校を辞めた」なんて公言しては(お前は、黒柳徹子かっ!米津玄師かっ!)って突っ込まれつつ、「辞めた…訳ではないよね?」ってフリースクールの先生たちを苦笑させている娘を見ていると、
自分のこれまで経験してきたことなんてもう、なんのアドバイスもひねり出せない旧時代のファミコンとかパラッパラッパーみたいな、懐かしすぎる甘く切ない思い出に過ぎないんだって痛感する。
今はああいう人たちを、悟り世代なんて呼ぶのらしい。

カウンセリングを始めて、メンタルを整えていったら何が起きるか、何がどう解決するのかを理解したとき、私はこれをやり遂げたら、自分が時代の最先端になれるのかと思っていた。
でもそうじゃない。
やっとこ新時代に置いていかれないために、今、必死で走らないと間に合わないのだ。


全てのムカつく人も、全てのひどい出来事も、
全ての未熟だった、失敗していっぱい迷惑かけてワガママで素直じゃなくて、バカで屈折してて、頑固でどうしようもない自分も、
きっと私はピンポン球が一致した瞬間、笑いだして、そしてみんな忘れてしまう。
それでもそれらを全部、丁寧に、敬意を込めて、ふわふわの羽毛に包んで、
いい匂いのする和紙で梱包して、
私は未来に全部、膨大な報告書とともに、一緒に連れていく所存だ。

これからはきっと、全ての人に、
この人はどんな傷を持っていて、サンバイザーでうまく隠したつもりのその奥には、本当はどんな面白い人間が潜んでいるんだろうって、それを見つけるのが楽しくて楽しくて、たまらなくなる。
どんな痛みも悔しさも乗り越えて許して、忘れてしまって、腹の底からぐふぐふ笑っている。
そんな自分になれる、という気がしている。
それを、楽しくてたまらない、って思える自分に、きっと私は向かっている。

サンバイザーなしでもどうしても誰かと生きていきたい」って思うとき、それはどんな気持ちなんだろう。
どんな傷もなくなって恐怖も不安も制限もない中で、
誰でもいい、どれでもいい、みんないい、って全力で思えるなら、
「この人と生きていきたい」っていう気持ちは一体、どこから湧いてくるんだろう。

私はまだ、答えを探している。



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