ぐりぐら|SHUICHIRO OHIRA

ディレクター&グラフィックデザイナー。京都生まれの京都育ち。gridGraph…

ぐりぐら|SHUICHIRO OHIRA

ディレクター&グラフィックデザイナー。京都生まれの京都育ち。gridGraphic(www.gridgraphic.jp)、WA-Qu 和空(www.waqu.jp)、Desalon Kyoto(http://www.desalonkyoto.com)のひとり。

マガジン

  • デザインの余白 N

    細部に神が宿ると信じる、少し天の邪鬼なデザイナーのブログ「デザインの余白」のnote版です。主にデザインという視点からものを見て、感じたことや思ったことを綴りますが、ときには全くデザインとは無関係な独り言のようなことも呟きます。Twitterで吐き出したことをまとめたりも。 サムネイルを描くことが得意で、鉛筆をピンピンに削るのが唯一の趣味。でも鉛筆は削るだけで、サムネイルは万年筆かボールペンで描きます(笑)

最近の記事

真夜中の事務所

夜中にふと、自分で完成させたはずのデザインを見直してしまう時がある。 我ながら良くできたと思うものほど、何度も見直ししまうようだ。 そして、ふと本棚に目が止まる。本と目が合うと言うのも変な表現だけれど、そんなことがある。「私を見て」と呼ばれたような気がするんだけれど、そんなときは開いた本に、今悩んでいることや解決すべきことや煮詰まったアイデアの答えが書かれていたりする。偶然なのか、神様が教えてくれたのか。 と言うことで、今夜はRICHARD AVEDON。フリーランスに

    • 今日も解体される京町家

      僕の事務所は、所謂「京都のまちなか」にある。御所近辺や北の方の「京都人」からすると、ギリギリまちなかと言われる五条なんだけれど。僕は伏見稲荷で生まれ育ったので五条でも十分まちなかで、今でも「町家」がたくさん残ってる。 そんななか、この数年流行っている「インバウンド」とやらで外国からの観光客が激増し、ホテルやゲストハウスというものがあっという間に増えた。僕の事務所がある町内は、五条通から万寿寺通までのたった70〜80メートルほどの通りで、戸数にして20数軒しかない小さな町内。

      • 疎水と桜

        流れる桜の花びらを、ただ眺めるのが子供の頃から好きだった。 すべて同じように見えて、そのどれひとつも同じものがない。千変万化するようで、何かしらの決まりでもあるように淡々と流れてゆく。永遠に続くように思えるけれど、それがいつか終わることも知りながら、終わらないで欲しいような、その最後の一片を見たいような、そんな期待と哀しみのような気持ちがない交ぜになるとき。 この疎水とこの桜の前で、幼い頃から幾度となく写真を撮った。正確には写真を撮って貰った。カメラが趣味だった父が、

        • 印刷とコストについてのちょっとした話

          どんなデータでも印刷してくれるネット印刷 最近ではWEBから入稿できる印刷、所謂ネット印刷を利用することが増えた。その理由は、クライアントから「印刷は◯◯◯でお願いします」と言われることがあるのと、実際にお手軽でコストパフォーマンスが高い気がする。昔に比べて紙の種類も増えたし、印刷の質もそれほど悪くないし、対応もきちんとしている。中には気持ち良いくらいの会社もあるくらい。 印刷(紙質や様々な加工など)を知っていて、目的と用途を見極めて使い分けるのであればとても良いと思います

        マガジン

        • デザインの余白 N
          33本

        記事

          僕の昭和、平成。令和に変わる前に少しおさらいしておく。 春だから。

          [歌謡曲って感じの昭和] 高校生になるまで家には風呂がなかったので、近所の銭湯に通っていた。まだ昭和の40年代から50年代、当時は風呂のない家も多かった。そしてトイレもくみ取り式で、月曜日になるとバキュームカーがやってきては町内の各家を廻っていて、そのグネグネと動く太いパイプを避けながら、小学校へ集団登校していた。そんな時代。 高校生に入って父親が事故で亡くしたことで、それまで住んでいた家を引っ越すことになり、結果的に家は小さくなったけれど風呂のある古い家になった。トイレ

          僕の昭和、平成。令和に変わる前に少しおさらいしておく。 春だから。

          桜と令和

          4月3日は父の命日。あれから35年経つけれど、まさか昭和・平成、そして令和の三つの時代を生きることになるとは当時は思わなかったなぁ。 世間では元号について色々と言われているけれど、天皇陛下が譲位され、新しい御代になるというこのなんだかお目出度い気分はとても心地よい気がします。 ちなみに令和元年の初日となる5月1日は僕の誕生日でもある。世を忍ぶ仮の人間の年齢で言うと、51歳となるようです。ありがたい。 今年も桜が綺麗です。

          バウハウス宣言

          あらゆる造形活動の最終目標は建築である。 それを装飾することは、造形芸術にとって最も重要な課題であり、造形芸術は偉大なる建築芸術にとって不可分な構成要素であった。今日造形芸術はそれだけで自己充足しているように思われるが、あらゆる工作者たちが入り混じって意識的に相互に共同作業を行うことで、そのような状態から造形芸術を再び救済することが可能となる。建築家、画家そして彫刻家は、多様な建築の形態を、再びその全体と部分において知り、理解しなければならず、そうすることで、彼らの仕事は自

          デザイン的な技術のほとんどは、誰でも訓練でできてしまう。想像力と決断力を磨くことができれば尚よし。そして、経験や知識を自ら求め、好奇心を維持し、自分なりに理解・納得する方法を持ち、それらを伝える技術を身につければ怖いものはない。

          デザイン的な技術のほとんどは、誰でも訓練でできてしまう。想像力と決断力を磨くことができれば尚よし。そして、経験や知識を自ら求め、好奇心を維持し、自分なりに理解・納得する方法を持ち、それらを伝える技術を身につければ怖いものはない。

          よく一心不乱とか脇目も振らず何かをすると言うけれど、デザインの事だけを考えてデザインをしていたら、そんなデザインはきっと詰まらない。デザインじゃないことをたくさん見聞きして、経験してそれらをそのデザイナーの個性というフィルターを通してアウトプットする。それこそがデザインだと思う。

          よく一心不乱とか脇目も振らず何かをすると言うけれど、デザインの事だけを考えてデザインをしていたら、そんなデザインはきっと詰まらない。デザインじゃないことをたくさん見聞きして、経験してそれらをそのデザイナーの個性というフィルターを通してアウトプットする。それこそがデザインだと思う。

          デザイナーとして30年、フリーランスとして約20年。いつも気をつけていること

          デザイナーとして、僕の仕事(デザイン)への対価としてお金を得るようになって30年が経ちます。最初はグラフィックデザイナーとして給料という形で報酬を得ていました。それが約10年。その後、フリーランスとなり、個人事務所を立ち上げ、デザインもしながら営業的なことも事務的なこともすべて自分でするようになって約20年になります。最近は、フリーランスの若いデザイナーや独立開業をした方によく聞かれる事柄があります。僕がフリーランスになって紆余曲折ある中で気をつけていると言うか、心掛けて居る

          デザイナーとして30年、フリーランスとして約20年。いつも気をつけていること

          クリエイティブと言っても、人間は見たことがあるとか聞いたことがあるものの範囲でしか創造できないので、知識と経験の蓄積が大切。アイデアが急に降ってくることはない。思い出していることを脳内で変換しているだけ。

          クリエイティブと言っても、人間は見たことがあるとか聞いたことがあるものの範囲でしか創造できないので、知識と経験の蓄積が大切。アイデアが急に降ってくることはない。思い出していることを脳内で変換しているだけ。

          才能のつくり方

          例えば、仕事の速さや正確さでも良いし、売上でも良いし、プレゼンの勝率でも良い。何かひとつだけで良いから、ずば抜けたものを身につければ周りが認め、会社も認め、自由を手にすることができる。自分のやり方を認めさせ、仕事の仕方や組織まで変えることができるし、給料の交渉もできる。 そこまで行けば、他社からも引き抜きが来るし、独立もできるだろう。ただそのずば抜けるための努力をせずに、自分の置かれた不利な立場を嘆くだけでは何も変わらない。どうすれば、ずば抜けられるかを考えて行動するだけ。

          答えはひとつではない

          デザインについて、たまに正解かどうかを聞かれることがある。特に、いくつか提案した際にどのデザインが正解なのか分からないということを、そのデザインを提案した本人に聞かれる。答えはどれも正しい(と信じる)となる。 「デザインされたもの」は、あらゆる情報、状況、条件を検討し、デザインをしなければならない理由から、そのデザインを成した結果の効果までを熟慮して、様々な可能性のなかから「今ある何らかの問題」を解決するための「ひとつの手段」として実施される。 難しい言い回しになったけど

          答えはひとつではない

          とよすとつきじ

          昨日から「豊洲市場」が開場ということで、ニュースやワイドショーなんかで報じられているのをボケ〜ッと見てて思ったこと。 なんで「新築地市場」とか「第二築地市場」という名前にしなかったんだろうかと。このどっちかだったら、絶対にイメージ変わってっただろうなと。移転する前のこの2年間で味噌付きまくったんだけど、結局元のプランのまま開場したってことは、2年前にオープンしてても問題なかったってこと。ま、その辺の政治的なことはちょっと置いておく。 僕が言いたいのは、ネーミングは大事って

          もやもやさんぽ

          僕は散歩をするのが楽しみだったりする。アイデアを考えるのに詰まったりしたら、ふらりと出掛ける。また一日ずっと事務所で作業しているときなんかも、夕方になると外の空気が吸いたくなる。そんなときは自転車で少しだけ遠くまで走ってみたりする。 京都の町は碁盤の目に成っているので、どの通りも同じように見えるけど、いつもと違う道を通ると全然違う景色だったり、意外なお店を発見したりと楽しいことが割とあるので、寄り道も散歩も良いものだ。歩く方がゆっくりと確実に発見できるけど。 人に言えるよ

          堺町高辻「猪一 離れ」の追い鯖そば(黒醤油)

          堺町高辻「猪一 離れ」の追い鯖そば(黒醤油)