疎水と桜

流れる桜の花びらを、ただ眺めるのが子供の頃から好きだった。

すべて同じように見えて、そのどれひとつも同じものがない。千変万化するようで、何かしらの決まりでもあるように淡々と流れてゆく。永遠に続くように思えるけれど、それがいつか終わることも知りながら、終わらないで欲しいような、その最後の一片を見たいような、そんな期待と哀しみのような気持ちがない交ぜになるとき。

この疎水とこの桜の前で、幼い頃から幾度となく写真を撮った。正確には写真を撮って貰った。カメラが趣味だった父が、ことある毎に家族の写真を撮ってくれ、なかでもこの桜の前で胴着袴を着けた僕と弟の写真を父はずっと飾っていた。それさえも今は遠い昔だけれど、今日久し振りに実家に帰り、母と弟とゆっくりと過ごした後、この疎水端の桜を雨の中暫く眺めてた。

今年はピークも過ぎ、もう半分くらい散りかけてるけれど、それでもまだ美しいと感じる姿を保ってくれていた。僕の人生のピークというのが、既にあったのかはたまたこれからなのかは分からないけれど、この景色と桜をあと何回見ることができるのだろうかなどと考える程に、桜はなぜか明るい気持ちと共に切ない気分になったり、亡くなった人のことを思い出したりもする不思議な花だと思う。春の雨がそうさせるのだろうか。