差別との戦い その5


差別との戦い  その1 (https://note.mu/grin/n/nac0efe9fb15c)

差別との戦い その2 (https://note.mu/grin/n/n953098a7ceff)

差別との戦い その3 (https://note.mu/grin/n/n3042005d8b02)

差別との戦い その4 (https://note.mu/grin/n/n7b66b740d332)


 このところずっと、ある思惑があって『差別されることによってのみ生じる悪感情』をいくつか特定しようとしていたのだが少しもうまくいかない。なぜかというとそれは一様なものではなくて、受けている差別の強度によってはまったく違ってくるものだからだというのが、理由として大きい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%83%BB%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E5%88%A5%E3%81%AELGBT%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%88%A9

 すでに同性婚が認められて当たり前になっている国もあれば、同性愛者であるかないかが己の生死に直結しているディストピアめいた国もある。この点だけを見ても、個々の同性愛者が心に抱いている、差別されることによる悪感情に大きな差異が見られるのはもとより当然のことだった。


 私がなぜ、差別されることによってのみ生じる悪感情とは何なのかということを特定しようとしていたかというと、私たち男性同性愛者が抱く苦しみのうちのどれだけが、周囲からの差別によってもたらされているものなのかということを明確にしたかったからだ。

 たとえば今から数世代の後。過去から現在そして今後と、真摯で無私で地道な同性愛者解放運動が根気強く続けられていった結果、男性同性愛者がおいそれとは侮辱されないような、どころかどの国の社会においても重要な立ち位置を得てしかもそれが好意的に受け入れられてもいる、そんなほぼ理想通りの世相がめでたく実現していたとする。そんな素晴らしき新世界に生を享けた未来の男性同性愛者たちは、しかし本当になんの苦悩も抱くことなく己の人生を歩んでいけるのだろうか。

 私は正直そんなふうには思えない、なぜなら、これとこれとこれらの悪感情はたとえ周囲からの差別による影響がゼロであっても自分自身が勝手に自身の内に作り上げてしまうたぐいのものだからである!

 ……といった感じで進めていこうと目論んでいたのだが、それは頓挫した。他人の感情を畜肉みたいに部位ごとに切り分けるなんて、そもそも無理なのかもしれないしよく考えてみれば甚だ不遜な企みでもあった。なんにせよひとまず、そうしたアプローチは諦めるしかなさそうだという結論に至った。

 だが、ではどうするか。もうこうなったら仕方がない。なんの裏付けも示すことはできなくなるが、私自身がかつて抱いていた個人的な悪感情を例示してみよう。どうもそれしか方法はなさそうだ。


 そもそも。「みんなと違う」というのはそれだけで不安なものだ。もしバレたらと思えば怖いし、それならばどう生きるのが正解なのかという参考になりうるモデルケースも見当たらず、周囲のみんなが当たり前のように持っている性質をなぜ自分だけはもらえなかったんだろうという根深い不公平感もある。それにゲイには、夫になり父親になり祖父になりといった、登っていくべきステージというものがない。いわばいつまでも同じ出発地点の港から、みんなが仲良く乗って出港していく大きな船を何便も何便もただ見送り続けるしかないような、そういう境遇だ。そんな過去と今と途方もなく続くように思える暗い未来、それがもたらす深い絶望と寂しさと無力感と自己嫌悪、それに対する反動として止め処なく湧き上がる恨み妬み軽蔑憎悪嫌悪怒り悲しみ。


 こうして書き連ねてみると、よくもまあこの歳になるまで自殺も他殺もせず生きてこられたものだなと我ながら思ってしまう。

 危険な時期はもちろんあった。個人的にはそれは三十代後半あたりだった。私は絶望していた。自分の人生は失うことばかりだと。奪われ損なわれ擦り減り消耗していく、人生というのはただそれだけ。たぶん私はどこかで失敗したのだ。この人生は失敗だ。これからの日々はすべて消化試合で、私にとって人生とは、失敗と敗北が明確になるエンドゲームの盤面を、やっぱりそうだったんだなぁという思いで確認するためだけに続けられている、つまらない、ダラダラと引き延ばされた猶予でしかなかった。

 もうどうなってもよかったしなんならいつか来る死期をちょこっと繰り上げてやろうか、もしかしたらそれこそが自分にも許されたただ一つの自由なのかもしれないぞという痛い念慮もあった。

 肉体的な死ではなく社会的な死でド派手に人生を終わらせるのはどーよという最悪な誘惑も実はあった。誰でもよかった死刑になりたかったというアレである。(誤解のないように繰り返すがこれは私個人のかつての内面であり、すべての被差別者の心情を代弁しているのではない。)

 私はこれまで想像の中で何人殺したかわからない。今にして思えばごく些細なきっかけで簡単に私は切れて殺人の妄想が脳内で走り出すと他の精神活動はいったん痺れたようになり退場してしまうのだ。(たぶん)数秒の鮮明な殺人の妄想から覚めると、転がっている死体はないか自分の手はキレイか目撃者はいなかったかなどをパニックに陥りながら確認する。そんなことが日常生活の合間にしょっちゅうあった。正気ではない。そしてこれは、多くの快楽殺人犯と共通する習慣なのだ。我ながらけっこうな地獄だった。思い出すたびにぞっとする。


 私は、いや私も、一人のゲイとしてたくさん悩んだし考えた。私の場合、宗教や他人に救いを求めるのはイヤだったので主に何百冊かの本を読むことを通じて、あるかないかも不明な答えを自分一人で探し続けた。それに何十年もの時間をかけた。これまでの半生で私がちゃんと努力したと言えるのはたぶんこれだけだ。ありがたいことに甲斐はあった。今の私には悩みもストレスもほぼないし、上記したような悪感情とはかなりご無沙汰で、たぶんもう戻ってくることはないんじゃないかなと思っている。

 とはいえ、今の私が完璧な人格者であるかというとそれは違う。隠者みたいな感じというのがたぶん一番近い。口数はかなり減った。傍から見たら、単なる何を考えてるのかわからない不気味なおじさんなんだろうなと思う。どう見ても孤独そうでストレスフル確定状態なはずなのになぜかそうでもなさそうな謎の人、ぐらいの感じに好意的な人ならば思ってくれてるかもしれない。その程度だ。


 男性同性愛者は相変わらず差別される対象だ。各所で暇さえあればバカにされ笑われているし、嫌悪されている。そんな中、私は今も昔もゲイであるが、ストレスフリーで生きている。

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