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本日の読書 #024 「“スキ”の客観化」

参考書籍:『客観性の落とし穴』村上靖彦

第一章 客観性が真理となった時代 より

作成した読書記録より引用。

“スキ”の客観化。

そもそも「客観性」が重視されるようになったのは、ここ200年ぐらいの話だそうだ。

自然というものは、科学が発展するまでは、「目撃者の証言」のような主観的なものでしか扱われなかった。

「すごい風だね!隣の街では木がなぎ倒されていたよ」

みたいな感じだろうか。

それが科学の進歩に従って、だんだんと客観化される。


まずは「図像」になる。
「描いてみたけど、外はこんな感じだったよ」

次に「写真」が開発される。
「見てよ、こんな大きい木なのに、倒されているだろう?」

最終的には「数式」になった。
「なんと風速25m/sだったらしいぞ」


このように客観性が重視されるようになると、自然の活き活きとした感覚をそのまま伝えることが難しくなる



著者によれば、現代は心理学や認知科学、脳神経科学などにより、「人間の心」でさえも客観化されてきている。

作成した読書記録より引用。

実験により、
人間の恐れは「ブザーを押した」という反応に、
人間の怒りは「脳神経の動き」という計測可能なものに成り下がった。


うーん、確かにそうかも。


***


この本には書いていないが、私はSNSこそ「人間の心の客観化ツール」であると認識している。

その点において、特にこのnoteにおける「スキ」のシステムは、矛盾をはらんでいるように感じられる。

本来「スキ」は「あなたの記事がスキです」という感情、いうなれば「主観的な好意」を表すハズだ。

しかしnoteは記事を読んでいなくても「スキ」を押すことができる
この仕様により、スキの意味がどうにもボヤけるように感じてしまう。


スキをした側には「記事を全文読んで強く共感した」人もいれば、「一文字も読まずにポチッ」とする人もいる。

一方でスキをされた側も「読んでもらえて嬉しい!」と主観的に喜ぶ人もいれば、ただ単に「記事の権威性を高めるための数字」と客観的に認識している人もいるだろう。

どちらが良い悪いというのは議論しても詮無きことだが、
「スキ」に対して両極端の使い方・解釈が混在しているこの状況は、何となくモヤッとする部分はある。

#本日の読書
#客観性の落とし穴
#村上靖彦

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