シュポン!!
シュポン!!
ようやく11月らしくはなってきたが、
先週までのあの気候は何だったのだろう。
昼間はまるで真夏の様な暑さでしたね。
お陰で、お店のよく冷えた炭酸水に、ついつい手が伸びる。
乾燥も相まって、喉に沁み渡る。
ぐびぐび。
話変わって、
先日「瀬戸内しまなみ海道(広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの自動車専用道路)」へ行ってきたという知人から、お土産を頂いた。
「すまき」や「母恵夢」などの懐かしい品々。
以前、ここにも書いたと思うが、僕の両親は2人とも今治の出身で、僕自身は過ごしたことはないものの、子供の頃は、お盆などの時期によく遊びに行った、思い出深い土地である。
もちろん、その頃は「しまなみ海道」どころか、まだ「瀬戸大橋」もなく、新幹線とフェリーを乗り継いで行く長旅だった。
でも、その「距離」と「時間」が、子供心に存分に異国感を掻き立てられ、
そこで普段会ったこともない親戚一同が会すると、まるで異星人にでも遭遇したかの様に好奇心を刺激されるのであった。
とくに、母方の次男(6人兄妹の2番目)に当たる叔父というのが、ちょっと変わった人だったのだが、その後の僕の人生に少なからず影響を与えた人物でもあるので(笑、僭越ながら、ちょっとここで紹介しておきたい。
父方(お寺)同様、堅気な人間が占める母方親族の中で、この叔父だけは、今でいう、所謂「やんちゃ」な部分を一身に背負って生まれてきた様な人物であった。
バスの無賃乗車がバレそうになると、率先して車掌の所まで行って、
「いつもお仕事、ご苦労様です!!」
と言い放ち、堂々と立ち去る幼少期。
タオル問屋を営んでいた母方の生家には入らず、若くから家を出て、持ち前の体格と運動能力を活かして「競輪選手」として身を立てていたこともあるそうだ。
「兄弟の学費は皆俺が稼いでやった。」
が、いつもの口癖だった。
そんな、体力自慢の叔父にも、引き際は来る。
引退後は地元で大衆居酒屋「大太鼓」を経営していた。
お盆などで、一族が集まると、自然とこの「大太鼓」が集会場になる事が多く、
兄弟姉妹にとっても、僕にとっても、それはひとつの「楽しみ」だった様に思う。
そこでは、いつも瀬戸内海の海の幸(旬の魚、車庫エビ、サワガニなどなど)を振舞ってくれて、今だったら涙ものの「地の味覚」なのだが、いかんせん子供の僕には、まだ早すぎた様で、どうもその有り難味がわからない。
その代わりに、ずっと気になって仕方がなかったのが、客席の片隅におかれていた、お客さんに出すジュース類の入った、ガラス製の「冷蔵ケース」であった。
これもどこかで書いたかもしれないが、うちの家は、親の方針なのかどうか知らないが、子供に市販のジュース類(コーラとかファンタとか、いかにも子供の飲みたそうなもの)を、頑として与えない家であった。
そんな事情もあって、目の前の、しかも身内の店の、あの、めい一杯詰め込まれた「冷蔵ケース」は、もはや僕にとっては後光が差す存在なのであった。
年寄りくさい「海の幸」などどうでもいい。
ああ、あのリボンシトロンってのはいったいどんな夢ごごちの味がするのだろう。
世間話に花を咲かせる親どもを尻目に、ついついそちらに気がいってしまう、
幼い健吾君なのでした。
しばらくすると、奥さんに全てを任せっきりの「叔父」が登場。
ちょっと二日酔いの風体で、厨房へ向かう途中、おもむろにその冷蔵ケースを開け、中からジュースを一本。
シュポン!!
ぐびぐび。
唖然とする僕。
「ねえ。お店の物、勝手に飲んでいいの??」
「おお、健ボーか。いいわけないやろ。ガハハ!!」
これだ。
これしかない。
「いいわけない」ことを承知でやる大人。店の主人。
この時、僕の将来は決まったのでありました(笑。
殺しても死なないような叔父も、もうこの世にはいない。
神保町へお越しの際は、是非お立ち寄りください。
気の小さな僕は、飲んだ分は後でまとめて精算しております・・・。
お待ちしております。
You Only Live Twice / Tessa Souter
Venus Records, Inc.
2015
(本文の最後に、お店でよくかける音楽を紹介しています。お家でお酒を飲まれる際に是非どうぞ。今度お店に聴きに来てくださいね。)
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