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【読書】歌われなかった海賊へ 逢坂冬馬

前作、「同志少女よ、敵を撃て」で本屋大賞を受賞した逢坂冬馬氏の著作を読んだ。前作は第二次世界大戦中のソ連の女性兵士について描かれ、今回は第二次世界大戦中のドイツの少年たちが描かれた作品だった。

第二次世界大戦中のドイツといえば、ヒトラー率いるナチスによる厳しい統制が敷かれていた。そして、厳しい人種差別、強制収容所など、歴史における負の遺産が多くある。そんなドイツを舞台に、ナチスに抵抗した少年たちに焦点を当てた本作に出会い、私はドキドキしてしまった。この時代にナチスに抵抗する少年たちがいたのか。どうして彼らはナチスに抵抗したのか。先が気になってあっという間に読み進めてしまった。そして、登場する少年たちの思いを読み、これは当時だけでなく現代にも通じることだと感じた。とてもオススメの作品だ。以下、印象に残った言葉を中心に書いていく。ネタバレ有りなので、この後を読むのは自己責任でお願いします。

あらすじ 

本作は現代パートと戦時中パートに分かれている。現代パートでは、総合学校の歴史教師(クリスティアン・ホルンガッハー)が生徒に「この街と戦争」についてのレポートを課すところからスタートする。そこで、ある生徒(ムスタファ・デミレル)が偏屈者として知られる老人(フランツ・アランベルガー)と出会ったことを知り、クリスティアンも老人の元を訪れる。クリスティアンは老人から書物をもらい、この街の本当の歴史を知ることとなる。

戦時中パートでは、主に3人の少年少女が登場する。
・ヴェルナー・シュトックハウゼン…本作の主人公、腕っぷしが強い。労働者の息子で、父親は処刑されてしまう。
・レオンハルト・メルダース…町の名士の息子。ヴェルナーをエーデルワイス海賊団に誘う。
・エルフリーデ・ローテンベルガー…武装親衛隊将校の娘。愛称…フリーデ。音楽的才能に秀でている。

レオンハルトとフリーデがヴェルナーをエーデルワイス海賊団に誘う。エーゲルワイス海賊団とは、当時のドイツに本当にあったナチスに対しての少年たちの抵抗組織である。

少年たちは自分たちの街に線路がつくられ、終点駅にもかかわらずにその先にも線路が続いていることが気になり、こっそりと線路が何に続いているのか調べに行く。すると、そこは強制収容所であり、多くの人がそこで過酷な労働を強いられ、労働できなくなった人は簡単に殺されている状況を知ってしまう。そこで、少年たちは強制収容所に続いている線路を妨害するため、トンネルと鉄橋を爆弾によって破壊し、収容所まで続く列車を使用不可能にしようと考えた。


少年たちの言葉

印象に残った言葉を引用していく。

フリーデの言葉
私たちは、ドイツを単色のペンキで塗りつぶそうとする連中にそれをさせない。黒も、赤も、紫も黄色も、もちろんピンク色の色もぶちまける。私たちは、単色を成立させない、色とりどりの汚れだよ。あいつらが若者に均質な理想像を押しつけるなら、私たちがそこにいることで、そしてそれが組織として成立していること、ただそのことによってあいつらの理想像を阻止することができるんだ。私たちは、バラバラでいることを目指して集団でいる。だから内部が単色になることもなければ、なってはいけないし、調和する必要もないんだ。

歌われなかった海賊へ p150

当時のヒトラーは思想を統一しようとした。そして、多くの国民は熱狂的にナチスを歓迎し、支持した。それは、ドイツが一つの色に染まったかのようなものだった。そして、ドイツが認めない種族、思想は排除されていく。だからこそ、海賊たちはバラバラでいることを目指して集団となった。

フリーデの言葉
私たちは何もみなかった、私たちは何も聞かなかった、私たちは、ただ自分が生きられるように精一杯頑張っただけですって。そうやって、他人をごまかして、自分をごまかして、本当の自分に向き合うのを避けて一生を送ることになる。私は嫌だ、私は見た、私は聞いた、私は、人の焼ける臭いを嗅いだんだ。その責任を果たす。

歌われなかった海賊へ p203

線路に続く先に強制収容所があり、そこでの光景を見たフリーデは、決意を新たにする。自分が生きられるように誤魔化すのは嫌だ。知ってしまったからには、知ってしまった責任を果たす。そんな強い覚悟が見える。

ヴェルナーの言葉
俺たちは、元々べつに崇高な理想のために戦っているわけじゃない。ただ自分の思うがまま愉快に生きたい。けれど、あそこにあのレールがあって、あの鉄橋があって、その先に収容所があって、それを放っておく限り、俺たちは愉快に生きることはできないんだ。

歌われなかった海賊へ p225

ヴェルナーは自分の思いを口にする。自分たちが思うままに生きたい。その強い思いに従って、彼は生きている。その生き方には命の危険があろうと。

ヴェルナー
忘れらてゆくのだろうか。この町の人たちが意図的に見なかった物事と同じく。彼らは多分、皆が生きたいと思っている。自分たちもそうだ。生きたいし、友達を死なせたくない。だからみんなで助かろうと思ったし、そうできると思っていた。
それがそもそもの間違いだったのだろうか。彼らの安穏のために、自分たちは死ななければならないのだろうか。
なぜだろう、とヴェルナーは漠然と思った。思う間も、走る足は止まらなかった。
大地を揺るがす砲声は、前にも増して明瞭に聞こえる。
誰もが本当は生存を望んでいるのに、なぜこうなるのだろう。
価値のある死、意味の無い生命、有害な存在、必要な措置、名誉の戦死、無力化、除去
くだらない言葉が頭の中に溢れて、それらを振り払うように、二人は走った。

歌われなかった海賊へ p312

民衆は、命をかけて行動を起こした少年たちのことを見捨ててしまう。少年たちが死ぬことよりも、自分の安穏を優先させてしまったのだ。

最後に現代パートの生徒(クリスティアン)の言葉

そういうことを全部話した。だめなんかじゃないよって、アランベルガーさんは言ってくれた。君が悩んでいるのは自分の正体を見つめようとしているからだ。とても真剣に生きているからだって。そして、君のように、少数派である人が思うままに生きていけるかどうかによって、社会がどの程度上等かが分かるんだよ、って。俺はそれを知っているんだって…

歌われなかった海賊へ p356

偏屈者で知られる老人(フランツ・アランベルガー)はヴェルナーから聞いた話を全て記録して小説として残した。少年たちが少数派として生きて、自分たちの生きたいように生きるための戦いを彼は知っている。

あなたは見捨てないでいられるか?

この作品を通して主に2つのことを感じた。
①自分の思いのままに生きる
②見捨てずに行動できるか

①自分の思いのままに生きる

登場する少年たちはそれぞれに抱えている事情があった。当時のドイツのような統一化されてしまうと、非常に生きづらい状況だ。多くの民衆が声を出せない中、彼らはそれを良しとしなかった。彼らは危険な状況にもかかわらず、ナチスに抵抗したのだ。自分の思いのままに生きられないのなら、生きているはあるのか?彼らの生き方から、そのようなことを突きつけられているような気がした。

②見捨てずに行動できるか

少年たちは線路の向こう側に強制収容所があることを知り、列車によって更に人が運ばれないようにするためにトンネルと鉄橋を破壊する行動に出る。彼らはその状況を知ってしまった以上、行動を起こすしかないと考える。それを放っておけば、自分たちは愉快に生きていくことができないと考えたからだ。しかし、多くの民衆は違う。強制収容所があることを薄々感じながらも声をあげない。自分が安穏と生活できることを優先しているからだ。

ここでも「あなたは安穏とした生活を選択する?それとも見捨てずに行動する?」と問われているように感じる。

今の生活には、困っていないから。
自分の生活が良ければ、それで良いよ。
周りが苦しんでいても、それは他人事だよ。

こんな思いに自分はなっていないだろうか。世間を見れば、苦しんでいる人たちは大勢いる。しかし、その人たちのことを考えれば、自分も同じように苦しい気持ちになる。だから、どこかで耳栓をして、目隠しをして見ないフリをしていないだろうか。一人も見捨てないと本気で願う覚悟はあるのだろうか。

先日見た映画でも同じような感想をもった。

これは歴史の話ではない。現代の話だ。
自分はどう生きるか、覚悟を定めたい。


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