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一枚の自分史:西天下茶屋ノスタルジーたこ焼き物語

1960年代、ざっくりと東京オリンピック、ビートルズの来日、そんな頃です。まだ10代の頃のお話です。
商店街の中にある一福久(いっぷく)というたこ焼き屋。使い込まれたたこ焼き器が写っています。こういうたこ焼き器を使っている店のたこ焼きは美味しいに決まっています。

今のようにグルメブームとかではありません。スィーツブームとかはなくても、いっぷくさんにはたこ焼き以外にサイドメニューで黒蜜すいとうとかかき氷などがありました。
いや~、どっこいですよね!
60年経っても、たこ焼きもそれらの昔スイーツも筋金入りの B 級グルメとして今も堂々と存在している。かき氷なんかクオリティが高くなって1500円ぐらいするものもあるから、びっくりしてしまいますよね。

今もそうだけど、自家製は別として、私にとって たこ焼きは、ご存知会津屋さんの冷めても美味しい、外はカリカリ、中じゅわ~の今でも大好きなたこ焼き。大阪の大きなターミナルにはお店を構えているチェーン店になりましたが、実は第1号店はご近所さんだったんです。
そして、それ以上に美味しかったのがこのいっぷくさんのたこ焼きでした。

いっぷくさんは、西天下茶屋商店街の中にありました。公設市場とかもあって、小学校の頃に迷子になるぐらい延々とあらゆるお店が連なる商店街でした。ご多分に漏れず、やがてはシャッター街となって行きました。
あれだけの商売人さん達は一体どこに行かはったんやろか。

市場におつかいに行くと、「ようお家のお手伝いしはって、あんさん偉いなぁ」 と言うてもらうて、いろんなこと、教えてもらいました。

買い物のお釣りをごまかして、いっぷくさんで、口の中を火傷しそうなアツアツのたこ焼きを食べたし、夏は頭がキーンとなる氷いちごも食べました。
店のおばちゃんはめちゃくちゃ愛想悪かったし、おっちゃんは、輪をかけて怖かった。それでもあんなに美味しいものはあれへんかった。

昭和の下町少女たちにとって、たこ焼き屋というのはまことにハードルが低くて入りやすかった。喫茶店は大人の出入りするところだし、ファミレスやマクドなんてなかった時代でした。

今も食べたいと思うけれど、食べたら思ってたほど美味しくないんやろな 。
いっぷくのたこ焼きは、あのダンジョンのようだった懐かしい商店街とともに幻となってしまいました。
ノスタルジーというソースがたっぷりかかっていて、 永久保存されて上書きできなくなっているんでしょうね。

母が逝って20年、天下茶屋には帰っていません。
はたして、今も商店街は存在しているのでしょうか。何か見るのは怖いけど、天下茶屋にそろそろ行ってこよ。記憶で地図が描けるうちやな。
1960年代、ざっくりと東京オリンピック、ビートルズの来日、そんな頃です。まだ10代の頃のお話です。
商店街の中にある一福久(いっぷく)というたこ焼き屋。使い込まれたたこ焼き器が写っています。こういうたこ焼き器を使っている店のたこ焼きは美味しいに決まっています。

今のようにグルメブームとかではありません。スィーツブームとかはなくても、いっぷくさんにはたこ焼き以外にサイドメニューで黒蜜すいとうとかかき氷などがありました。
いや~、どっこいですよね!
60年経っても、たこ焼きもそれらの昔スイーツも筋金入りの B 級グルメとして今も堂々と存在している。かき氷なんかクオリティが高くなって1500円ぐらいするものもあるから、びっくりしてしまいますよね。

今もそうだけど、自家製は別として、私にとって たこ焼きは、ご存知会津屋さんの冷めても美味しい、外はカリカリ、中じゅわ~の今でも大好きなたこ焼き。大阪の大きなターミナルにはお店を構えているチェーン店になりましたが、実は第1号店はご近所さんだったんです。
そして、それ以上に美味しかったのがこのいっぷくさんのたこ焼きでした。

いっぷくさんは、西天下茶屋商店街の中にありました。公設市場とかもあって、小学校の頃に迷子になるぐらい延々とあらゆるお店が連なる商店街でした。ご多分に漏れず、やがてはシャッター街となって行きました。
あれだけの商売人さん達は一体どこに行かはったんやろか。

市場におつかいに行くと、「ようお家のお手伝いしはって、あんさん偉いなぁ」 と言うてもらうて、いろんなこと、教えてもらいました。

買い物のお釣りをごまかして、いっぷくさんで、口の中を火傷しそうなアツアツのたこ焼きを食べたし、夏は頭がキーンとなる氷いちごも食べました。
店のおばちゃんはめちゃくちゃ愛想悪かったし、おっちゃんは、輪をかけて怖かった。それでもあんなに美味しいものはあれへんかった。

昭和の下町少女たちにとって、たこ焼き屋というのはまことにハードルが低くて入りやすかった。喫茶店は大人の出入りするところだし、ファミレスやマクドなんてなかった時代でした。

今も食べたいと思うけれど、食べたら思ってたほど美味しくないんやろな 。
いっぷくのたこ焼きは、あのダンジョンのようだった懐かしい商店街とともに幻となってしまいました。
ノスタルジーというソースがたっぷりかかっていて、 永久保存されて上書きできなくなっているんでしょうね。

母が逝って20年、天下茶屋には帰っていません。
はたして、今も商店街は存在しているのでしょうか。何か見るのは怖いけど、天下茶屋にそろそろ行ってこよ。記憶で地図が描けるうちやな。


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