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アメリカの傲慢さは敗戦国の宿命?

日本に関税自主権はない。輸入品に対する関税を改定するならば、

アメリカの伺 いを立てなければいけない。

 それから、日本だけがアメリカに対して最恵国待遇、

つまりほかの国に日本が与えてあげる良 い条件というか、

「関税撤廃するぞ」というようなことは、同時にアメリカにも即自動的に 

与えられなければいけない。 こういうふうな約束をしたのが、敗戦国の不平等

条約!これは今も実質同じような状態だ。

 最近、それが大問題になってきた。日本は輸入品に対する関税はほぼ20%、

輸出に対して は5%の関税をかけるということを決めていたので、

アメリカからの要請で輸入も輸出も 一律5%というふうにさせらた。

こういう中で「不平等条約を何とか解消しよう」という交渉が行われて、

領事裁判権の撤廃は 1894年、関税自主権の回復は半世紀以上かかって

1911年ということで、とりあえず明治の開 国時におけるアメリカからのとんでも

ない要請について、ある程度揺り戻すことができた。。 しかし、今言った通り、

アメリカ人が犯罪を起こしても日本で裁けないとか、

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日本が関税を改 定するときにアメリカに伺いを立てなければいけないとか、

ほかの国に何か良いことをしてあ げたら絶対にアメリカにもやらなくてはいけな

いとか、そんなことは今も当たり前ではないのだ。

そのことを考えると、日本にとってはまさに不平等条約のまま、現在にまで

来ている!バイデンになって実質はさらに悪くなっている 

そういう中でも日本の農業は、明治から昭和にかけての時代は頑張っ ていた。

江戸時代は自給率が100%!!!

明治の中期ぐらいまでは輸出といえば米とお 茶だった。

戦前は日本は農産物輸出国だった事実をあまり知らない。

日本は農産物輸出国として君臨したというほどではないが

貿易を行っていた!今は日本の野菜は毒物扱い!やったのはアメリカだ!!

つまり、江戸時代の自給率は、長崎の出島の貿易はあったが、間違いなくほぼ

100%!! しかし、明治時代の前期というのは、

その100%を超える自給率をその後、人口が増えて、

米の生産が追い付かなくなってきた。米を輸入する状況 が起こり

米を増産して米の自給をもう1度回復するのに、70年後の昭和47年までかか って

しまった!!まさに戦争直前の1939年の自給率は86%もあった。 高い自給率を

誇っていた。 戦前の自給率は非常に高かったということは間違いないが

1946年の終戦直後は88%までなった。これは戦争でボロボロになってしまっ た

状態で輸入ができない異常時!!これは異常値として考えないといけないが。

 戦争が起こる前で86%、約90%の自給率を保っていたという事実は、

しっかりと覚えておいた方がいい。

江戸は鎖国状態なので絶対100%、そして明治になって、農産物の輸出国になっ

て、少し米を輸 入するようになったので下がったけれども、それでも9割ぐらい

の自給率を誇っていたという江戸時代が太陽エネルギーに支えられた循環経済で

あるという点だ!

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太陽エネルギーを受けて植物が育つ→その植物を人が食べる→家畜も食べる→

そこからし尿やふん尿がでる→土に還元して→それがまた植物を育てるもとに

なる!!まさに現代版自然農法!そんなこといいうまえにそれが

普通だった事実ということは覚えておかないといけない。

今と違うのは江戸時代の人口というのは約3,000万人で全然少なかった。

それで とても安定していた。この人口を支える仕組みが、

米を中心にした循環システム。 米の生産量は3,000万石(約450万t)

 その米450万トンを作り、これを人間が食べ、ふん尿が出て、これを農地 に

還元する。。。

さらに、450万トンぐらいあるわらの部分も、

5割ぐらいは堆肥にして農地に還元します。 それから、3割ぐらいは燃料になる。

それが灰になり、 それを洗剤にしたり、また農地に還元する

2割ぐらいは、草履や縄を作ります。 これも古くなると堆肥にして農地に還す。

そうやって循環していくという構造が、

まさに江戸時代の徹底した「ものを無駄にしない循環 システム」だったというこ

とは自然栽培農家ならみんな知っている事実だ。

この循環システム、循環農法は世界を大変驚かせたと言われている。

 スイス人のマロンという人がこれを見て、帰国報告をしました。 

それを肥料学の大家であるドイツのリービッヒという人がいて、

 この人は大変な方で、窒素、リン酸、カリの要素というものをしっかりと位置付

けて、リービ ッヒの最小律を提唱し、これに基づいて化学肥料を作った農芸化学

の父と言われているが、 そのリービッヒが、「日本農業の基本は、土壌から収穫

物に持ち出した全植物栄養分を完全に 償還することにある」

というふうに、的確に表現をしていた。

 これだけ農芸化学の父と言われるリービッヒも、

日本の江戸時代のシステムに感心したという事実をアメリカによって壊された。

付加価値つけようサービス業マガジンVOL310

次回ーオーガニックのタバコ

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