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不良債権ハンドクラフトー子なし専業主婦はどのように時間を溶かすかー

X(旧Twitter)などで、子なし専業主婦の方が自らを「不良債権」と称しているのをちらほらと見た。病気などで「子供」というリターンを回収できない、またはそれが非常に困難な状態。働いていないので、もちろん経済的なリターンも見込めない。
(森永卓郎さんが専業主婦・住宅ローン・子供のことを「人生の三大不良債権」と語ったとの説もある)

そんな自虐的・自嘲的な方々の中で、手芸に勤しむ方がいらっしゃった。

最近、手芸も多種多様になってきて一言では語れない。

手芸の中でもいろんな種類がある。編み物なら棒針かかぎ針編みか、レース編みか。手編みもある。刺繍にも、刺し子やこぎん刺し、フランス刺繍、クロスステッチなどなど。
私が目にした自称「不良債権」主婦の方がメインで作業しているのは、HEADと呼ばれる刺繍だった。この刺繍、大きな絵を細かーい針と糸で、ドット(点)を一つ一つ描くように刺繍していくという途方もないもの。完成までに半年とか、余裕でかかったりする。もう、狂気の世界と言えなくもない。時間を溶かす手段としては最適である。

私は浮気なタチというか、飽きっぽいので、さきほどあげた手芸の種類のたいていはトライしたが、HEADは大物なのでちょっと手を出すに至っていない。

諸外国に、我らが聖地「ユザワヤ」のような潤沢な材料が揃うハンドメイド専門店があるのか知らないが、なさそうな気もする。(先日ユザワヤに行ったらドイツ語のゴスロリ男性たちがレジに並んでいた)世界堂にしても然り。海外の有名画家が絵の具を買いに来るという。日本は特に手芸や絵画の趣味を持つ人が非常に多くて材料が手に入りやすいというのも聞いた。


これらの手芸を完成させるには、時間的余裕、経済的余裕に加え、精神的余裕も必要と一般的には思われるだろう。
しかし逆である。最後の精神的余裕は、製作するたびに養われていくのだ。一定のリズムでの動き、目に見える小さな達成感の積み重ねによって、心の安定がもたらされるのだ。(持論)

もちろん、始めるまでのモチベーションは必要だが、我々には膨大な時間があるのだ。自分のご機嫌の取り方なんて、嫌ってほど模索してきた。その結果、こういった細かい作業が心に沁みるように安心感を与えてくれると気づいた。

「骨風(こっぷう)」という、自称ゲイジツ家クマさんこと篠原勝之氏のエッセイの中に、こんな記述があった。

彼は、17歳の時に、父親のDVから逃れるためもあり家出をするが、その時母親にかけられた言葉が「余計なことを考えそうになったら手を動かしなさい」というような内容だった。(曖昧ですみません)
彼は母親の影響で、幼い頃から、編み物をして父親のDVやいじめなどの辛いことをやり過ごしていたという。
最近は編み物をする男性も増えてきているそうだが、当時は珍しいだろう。編み物をしていたら馬鹿にされたり、いじめの新たな理由になったりするので、隠れてしていたという。
それが彼の芸術的創作の原点にもなっているのではないかと推測される。
抑圧は芸術を生むのだろう。私は彼の苦しくも深い人生を思った。

私たちは、どう転んでも子供は作れそうにない。でも、誰にも気にもとめられなくても、なんらかの創作をしている。
芸術か、民芸か、工芸か、なんてどうでもいい。つくることは楽しい。

いつか私のつくったものが、誰かの心にとまれば素晴らしいけれど、とまらなくったって別にいいんだ。

だって、私たちは私たちの人生を繋ぎ止めているんだから。


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