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「つはものどもがゆめのあと」のすすめ―――構造から読み解くミュージカル『刀剣乱舞』

「つはものどもがゆめのあと」をおすすめする評論めいたものを書きました。「ミュージカル『刀剣乱舞』って何?」と思われた方に向けた説明もあります(検索でここまで来てくださったのはすでに見ている方ばかりだろうなという気がしますが……)。
「つはものどもがゆめのあと」「阿津賀志山異聞」「結びの響、始まりの音」のネタバレがありますのでご注意ください。

「つはものどもがゆめのあと」は2.5次元ミュージカルの超人気タイトル、ミュージカル『刀剣乱舞』の第4弾(タイトルとしては7番目)。第1弾「阿津賀志山異聞」と同じ歴史に出陣することもあって、原作のゲーム『刀剣乱舞』だけでなく「阿津賀志山異聞」を知っていることを前提に話が進んでいく。

2.5次元ミュージカルの観客のほとんどが若い女性だと聞いて「自分はお客様じゃない」と思う人も多いだろう。

もし「そんなに評判なら見てみよう」という気になったとしても、チケットが取れない。ライブビューイングでさえ席がご用意される保証はない。

メインビジュアルを見て「主人公が誰なのかわからない」と戸惑う人もいるかもしれない。

同じゲーム『刀剣乱舞』を原作にしている「舞台『刀剣乱舞』」の「外伝 此の夜らの小田原」や「悲伝 結いの目の不如帰」でひとりのキャストを大きく取り上げたポスターやパッケージデザインを採用したのに対して、ミュージカル『刀剣乱舞』の方は最新の公演まで一貫して全員をほぼ同じサイズで配置している(公式サイト)。

見ない理由は様々にあるだろう。
けれど、見てほしい。

「つはものどもがゆめのあと」で登場する6振は三日月宗近、小狐丸、今剣、岩融、髭切、膝丸。
三日月宗近は平安時代の刀工、三条宗近作の太刀。「名物中の名物」と呼ばれる国宝で東京国立博物館に所蔵されている。
小狐丸は能の「小鍛冶」に登場する三条宗近作の太刀で架空の刀と言われている。
岩融は弁慶が愛用していた薙刀、今剣は源義経の守り刀であり自刃の際に使われた短刀でどちらも三条宗近作とされているが、後の世の物語の中で創作された刀で歴史上には実在していない。
髭切は源頼朝、膝丸は源義経が所有していた太刀だが、現存しているものが平安末期に「源氏の重宝」と呼ばれたものであるかについては諸説あり、逸話の中には物語の中で付け加えられたものも含まれている。

物語は小狐丸の独唱『あどうつ聲』で幕を開ける。
曲が終わると客席方向から男性の声が聞こえて、小狐丸が審神者に舞を披露している場面であったことが明らかになり、三日月宗近も呼ばれていたが現れなかったことが語られる。

審神者は髭切と膝丸の顕現によって今剣の心が乱されるのではないかと気に掛けている。
小狐丸は勧進帳の稽古中の岩融と今剣に会いに行くが、新しい刀の名を告げる前にふたりは退場し、入れ替わるように三日月宗近が登場する。
続いて髭切と膝丸が登場し、4振は互いに挨拶を交わす。

髭切と膝丸は審神者の元に向かい、2つの依頼を受ける。
小狐丸も審神者の声を聞いていて、依頼のうちひとつは「密命」で「三日月宗近に関すること」という断片的な情報を得る。

髭切と膝丸は三日月宗近の様子を窺い、膝丸は「穏やかに見えて一切隙を感じさせない」、髭切は「よい月だよ。欠けているけど」と彼を評する。
さらに髭切は「あの月、見えない部分も月なのかな」と不思議な問いかけを投げ、膝切は「俺には見えているものしかわからない」と言う。
先程と同じように髭切と膝丸の会話を聞いていた小狐丸は、三日月宗近への疑いを深める。

その後、髭切・膝丸は岩融・今剣と会うが、岩融は会話を避けて去る。

審神者は6振を集め、部隊を編成して「阿津賀志山異聞」と同じ時代への出陣を命じる。

主に小狐丸の視点で語られたここまでに、2つの大きな対立が生まれている。
ひとつは歴史上に存在した髭切・膝丸と、存在していない岩融・今剣の立場。
もうひとつは冒頭から暗示されていた小狐丸と三日月宗近。小狐丸は審神者に忠実だが、三日月宗近が見せる態度はそうとは言えない。

岩融と今剣の間にも「自分が歴史上に存在していなかったと気付いている者」と「まだ気付いていない者」という立場の違いがあり、また、髭切と膝丸の間にも、三日月宗近に対する見解などの点で違いが描かれている。

幕が開けてからちょうど30分で『刀剣乱舞』~つはものどもがゆめのあと~が歌われ、6振りの刀剣男士は源頼朝が暮らす伊豆の北条館近くに顕現する。

三日月宗近は「千年も前のことなど誰にも証明できはしない」と言い、小狐丸がどういう意味か、と問いかけたところで一行は時間遡行軍に襲われる。

このとき、髭切、膝丸が「源氏の重宝」を名乗り今剣が興味を示すが、岩融が誤魔化す。

三日月宗近の提案で部隊は二手に分かれ、三日月宗近、今剣、膝丸が源義経、小狐丸、岩融、髭切が源頼朝の元に向かう。

場面は平泉に移り、源義経と藤原泰衡の別れが語られる。

膝丸は「懐かしい」と言うが自分が源義経の刀であったことを今剣に告げることができない。
2振りは三日月宗近の姿が見えないことに気付く。
膝丸は「あの自由人!」と罵りながら、今剣は笑いながら三日月宗近を探す。

藤原泰衡は源義経を思っている。
鳥の声が聞こえ、『この花のように』を歌いながら三日月宗近が登場する。

「何やつ」
「友、かな」
「貴様のような友はいない」
 斬りかかる藤原泰衡に三日月宗近は一輪の蓮の花を差し出す。
「おまえにやろう」
「痴れ者が」

藤原泰衡が去った後に膝丸、今剣が登場する。

「こんなところで油を売っていたのか」
「三日月様、単独行動はだめですよ」
「花を摘んでいた」

小狐丸は審神者の前で舞い、三日月宗近は審神者のいないところでひとり舞う―――ここでも小狐丸と三日月宗近の相違が描かれている。

『この花のように』で歌われた「清らかに咲き誇る」蓮とは何の例えなのだろうか。
その下にある「濁る泥水」とは、何を指しているのだろうか。
「生涯の約束」とは何か。
この時点では何も語られない。
ただ、三日月宗近が客席に投げかけた意味ありげな視線が印象に残る。

駿河国富士川では膠着している源氏軍と平氏軍を前に、岩融が小狐丸に尋ねる。

「自らの存在について考えたことはあるか? 自らの存在を疑ったことはあるか?」

小狐丸、岩融、髭切が時間遡行軍の襲撃を受ける。
あわや、という場面で三日月宗近が現れる。

「いい夜だなあ小狐丸殿」

刀剣男士は時間遡行軍を撃退し、平家軍は水鳥の羽音で逃走していく。

黄瀬川で頼朝と義経が涙の対面を果たした頃、膝丸は髭切に尋ねる。

「三日月宗近はどうだった?」
「振り回されっぱなしだった」
「きっと三日月宗近は知りすぎているんじゃないかな」

膝丸は「何を」と問うが、髭切は「なんとなくそう思っただけさ」とはぐらかす。

二振りの元に岩融が現れ、胸に秘めていた疑念を打ち明ける。

「今剣と俺はこの歴史上には存在していないのではないだろうか」

「阿津賀志山異聞」の弁慶が手にしていたのは自分ではなかった。
自分には髭切、膝丸の記憶がない。
そして今剣はそのことにまだ気付いていない。

思い悩む岩融に髭切は「真実はどうでもいい」と言う。

審神者の密命が「今剣を見守ってほしい」だったと知った岩融は髭切、膝丸への警戒を解く。

岩融、今剣と髭切、膝丸の対立は解消するが、影でこのやりとりを聞いていた小狐丸の表情はまだ晴れない。

物語のはじまりから1時間のちょうど中間地点で刀剣男士は一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦い、そして平家の滅亡を見届ける。

膝丸は三日月宗近が再び姿を消したのに気付き「まったく、どこまで自由なのだ!」と言いながら探しに行く。
髭切の頭には、今までなかった三日月宗近と源頼朝の記憶が突然、浮かび上がっていた。

「友よ」
「貴様のような友はおらぬ」
「はは、皆そう言う」
「ん? この太刀は……」

やりとりを思い出した髭切は「そうか、そういうことだったのか」と呟く。

三日月宗近は源頼朝の元に現れていた。

「少し物語を聞いてもらおうか……戦の天才である弟に嫉妬した兄の物語をな」

源義経が平家を滅ぼした知らせに喜んでいた源頼朝は、髭切の記憶の通りに振る舞うが、三日月宗近は彼を闇の中へと導く。

『守るべきもの』を歌った小狐丸は三日月宗近に「私にはあなたがわからない」と問いかけるが、「誰も人のことなどわからん。己のことさえもな」とはぐらかされる。
小狐丸は、主の意に反することを企んでいるなら「あなたを斬る」と決意を固める。

源義経と源頼朝の間に争いが生まれる。
膝丸は兄弟が争うことに心を痛めるが髭切は意に介さない。
膝丸は自分も岩融や今剣のように歴史上に存在していない可能性に怯むが、膝丸はそのことに対しても「どうでもいいことだと思うけど、そんなこと」「おおざっぱにいこうよ」と笑う。
膝丸は三日月宗近の行動を案じるが髭切は「それも大丈夫だと思うよ。見えない部分も月だったよ」と言う。膝丸にはその言葉の意味がわからない。

会話を聞いていた今剣は戸惑う。

場面は変わり、刀剣男士一行は時間遡行軍に襲われている源義経と弁慶を助ける。
今剣は義経と次に会ったときに名乗り合おう、と約束する

岩融は今剣に「僕は存在しないのですか?」と尋ねられ、否定する。

三日月宗近は岩融を安宅の関に連れて行く。
義経を打つ弁慶を見た岩融は「俺の優しさは独りよがりだったかもしれない」と呟く。

三日月宗近は「繰り返し、繰り返しか」と言って消え、髭切が彼のいないことに、膝丸が小狐丸もいないことに気付く。

小狐丸は源頼朝の館に忍び込んでいた。
源頼朝が三日月宗近に心を操られて義経成敗を命じたと知った小狐丸は、「このようなこと許されると思うのか三日月宗近」と唸る。

『華のうてな』を歌う三日月宗近は藤原泰衡を訪れていた。
源義経はここで死なねばならならない、彼が生き残った歴史は地獄だ、と諭された藤原泰衡は慟哭して尋ねる。

「何故私にすべてを打ち明けてくれたのです。あなたの力なら私を操るなど容易いこと」「蓮の花が美しいなあ泰衡……何度目だろうか おまえとこうして蓮の花を愛でるのは」

ふたりが幾度も出会い共に蓮の花を愛でた記憶は藤原泰衡にはない。が、彼は「役割を果たすこと」が「形として物として残った我らの宿命」であるという三日月宗近の言葉を理解する。

「私は私の役割を果たしましょう。あなたもあなたの役割を果たしてください……義経殿のことくれぐれも」

ふたりは笑い合い、三日月宗近は藤原泰衡の「もし我が骸と出会うことがあれば蓮の花を備えてくださらんか」という願いに「約束しよう」と答えて『華のうてな』を歌い上げる。

小狐丸が登場して刀を抜く。

「抜きなさい」
「何故」
「あなたのやっていることは任務を逸脱している」

火花が散るような激しい斬り合いの最中、小狐丸は、自分たちの任務は歴史を守ることだ、三日月宗近のやっていることは歴史修正主義者の行いと変わらない、と主張する。

「対照的よな我らは」
「わけのわからぬことを」

三日月宗近は小狐丸が羨ましくなる、と言う。
ただただ主の命じるままに生きている小狐丸の心は曇りがない、と。

小狐丸には三日月宗近の言葉が戯れ言としか思えない。

三日月宗近は小狐丸と刃を交えつつ、自分たちの役割が歴史を守ることという点は「同じ見解」だが、「歴史とは水のようなもの」ではじめから形など存在しない、と語る。

三日月宗近が「そろそろ終わらせるか」と言ってふたりが切り結んだところで、髭切がふたりの間に入る。

「君たちが争う理由はないはずだよ」

この場面で最高潮に達した小狐丸と三日月宗近の対立は、最初から暗示されてきた。
「つはものどもがゆめのあと」は小狐丸の歌で始まった。
呼ばれても来なかった三日月宗近は、審神者の前で舞うことができなかったのだろう。
小狐丸に向かって「そなたの心には曇りがない」と言った三日月宗近は自分の心の曇りを自覚している。

その三日月宗近が「見えない部分も月だった」と見抜いた髭切に救われる。

「これは芝居だよ。今から僕を三日月宗近だと思って聞きたいことを聞いてごらん。僕が彼を演じるから」

髭切は三日月宗近を演じることで、「なぜ審神者に黙って独断で動いているのか」を解き明かす。

歴史を守るのは汚れた仕事だ。
兄弟を争わせ、友と友を殺し合わせなければならない。
主である審神者には知られたくない。
知ればその心が翳るだろうから。

「主は俺にとって」と演じる髭切が言ったところで、三日月宗近本人が言葉を遮る。

続く言葉は何だったのだろう。

「濁りに染まらずに清らかに咲く蓮の花」

だったのではないだろうか。

藤原泰衡の前で舞った『この花のように』で「清らかに咲き誇る」と歌った「濁りに染まぬ蓮」は審神者を指し、「その下」の「濁る泥水」はそこで抜いた三日月宗近自身を指していたのではないだろうか。

髭切は審神者が三日月宗近を案じていることを告げ、自分たちが受けた密命は三日月宗近を見守ることであったと打ち明ける。

源義経と藤原泰衡の戦いを見守っていた岩融と今剣は時間遡行軍の動きを察知していた。

その場に駆けつけた三日月宗近は今剣を源義経の元へ向かわせ、小狐丸とともに敵を迎え撃つ。

源義経は今剣の名を知らなかった。
今剣は自分が歴史上に存在しない可能性に気付く。

時間遡行軍を倒した一行が登場し、三日月宗近は源義経に「逃げろ」と言う。

「これも歴史のひとつだ」

殺されたことにすれば差し支えない、と三日月宗近は説く。

「これは頼朝や泰衡の願いでもある」

源義経が弁慶を伴って北へ旅立つ姿は、彼とチンギス・ハーンが同一人物という説を思い起こさせる。

源義経と藤原泰衡の間で交わされた「生きて今泉に戻る」という約束に続いて、藤原泰衡と三日月宗近の間で交わされた役割を果たして源義経を討つという約束と「義経殿をよろしく」という約束がここで果たされる。

本丸に戻った髭切と膝丸は審神者に任務を報告する。
審神者は今剣から修行に行きたい、という申し出があったことをふたりに知らせる。

小狐丸は三日月宗近とのちがいを自覚しつつ、和解する。

「私はあなたのやり方が正しいとは思えない。でも間違っているとは思わないことにします」

物語の開始から2時間15分で今剣が旅立ち、終の文字がスクリーンに映される。

「つはものどもがゆめのあと」では6振の刀だけでなく歴史上の人物4名にも見せ場が用意されている。
どのキャラクターも「これは彼を主人公にした物語」と捉えることができる。

岩融、今剣の葛藤や戸惑い、迷いに注目すれば、今剣が修行の旅に出るまでの物語。
記憶や歴史にこだわらない髭切が闇の中に光を見る物語。
膝丸が初めての任務を経験することで一人前の刀剣男士になる物語。
源頼朝、源義経、弁慶、藤原泰衡のうちのひとりかあるいは4人全員が主役の物語。
最初にひとりで登場した小狐丸が帰還後に三日月宗近の隣に座るまでの物語。
自由だと評されながら誰よりも不自由な三日月宗近―――彼だけが「繰り返し」を知っている―――の孤独と絶望という泥水を描いた物語。

史実とそうでないものの境界が曖昧になり「どうでもいい」と髭切が繰り返す物語の中で、6振と4人は、約束と対立を軸に美しく配置されている。

約束はまず源義経と藤原泰衡との間で、次に藤原泰衡と三日月宗近の間で交わされ、同じ順で果たされた。

対立は小狐丸と三日月宗近、髭切・膝丸と岩融・今剣、頼朝・義経・泰衡の間で生まれ、逆の順で解消された。

『刀剣乱舞』は原作のゲームも舞台もミュージカルもアニメも「歴史改竄を目論む時間遡行軍」と「歴史を守る刀剣男士」との対立を前提としているが、ミュージカル『刀剣乱舞』は第1弾の「阿津賀志山異聞」から刀剣男士同士の対立に焦点を当てていた。

「歴史を守るとはどういうことなのか」を突き詰めた「つはものどもがゆめのあと」では刀剣男士6振すべてが対立関係に参加している点も興味深い。

約束と対立は慎重に組み合わされ、美しい構造を描いている。
美しい構造が、6振と4人を美しく支えた結果、「つはものどもがゆめのあと」は美しい蓮の花のような演目になった。

ところで、「つはものどもがゆめのあと」と第5弾「結びの響き、始まりの音」は繋がりが深い。
第4弾の今剣と岩融が体現した「物語の中にしか存在しないもの」を裏返すように第5弾では「物語を持たぬもの」が描かれる。
義経が旅立った北に向かう土方歳三が「ケンカが強え奴は北へ向かう、って相場が決まってんだよ」という台詞も泣かせる。
どちらかしか見ていない方は、ぜひもう一方も……とお薦めさせてください。

ミュージカル『刀剣乱舞』つはものどもがゆめのあと

ミュージカル『刀剣乱舞』結びの響、始まりの音

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