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βアクティビズム、ESG投資(6/11/2023)

積読していた、ジェームズ・P・ホーリ/ジョン・ルコムニク『「良い投資」とβアクティビズム MPT現代ポートフォリオ理論を超えて』をようやく読んだ。

https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/22/09/12/00373/

一般的にESGは社会の公器としての企業の責任を果たすものといった具合で倫理的に良い行いを促進する概念であると漠然に思われている節がある。しかし、この書籍では現代ポートフォリオ理論を駆使して分散投資を行う機関投資家にとって、ESGの考慮は負の外部性を軽減しまたは正の外部性を促進することで、分散投資で回避することができないシステマティックリスクやシステミックリスクが生じることを下げる目的があり、自らのポートフォリオの安全性を高めるものと位置づける。このように市場全体のリスクを軽減する投資活動をβアクティビズムと名付け、ESG投資や責任投資はリスクリターンの最大化のために行うポートフォリオを用いた投資の延長線上に存在するものと主張する。

CSRだとかサステナビリティだとか聞き心地のいいことを聞かされるとつい何か胡散臭いのではないかと感じられてしまうので、ESGの概念も同様に敬遠している人が多いと思うけど、この書籍はポートフォリオを通じた経済合理性を追求するのであれば、β、すなわち市場全体のパフォーマンスを改善しなければならず、そのためにはESGの考慮は必須である、と論理的に説明されておりかなり腹落ち感がある。環境問題や社会問題を契機に実体経済に大きな悪影響が発生し、いわゆるブラックスワンが発生し、市場全体のパフォーマンスが低下することを防ぐために、企業活動を通じた環境悪化を防いだり、社会問題を解決したりする必要があるというわけだ。

経済合理性を追求するのであれば自然とESG投資になっていくよね、という論調は一貫していてとても分かりやすく、また、魅力的ではあるのだけど、疑問点も多々存在する。まず、βアクティビズムを通じて、本当に市場全体のパフォーマンスを改善することができるのかよくわからない。コーポレートガバナンスコードやスチュワードシップコードで株主のエンゲージメントの重要性が語られ、経営者との対話が求められているけど、結局は対話に過ぎず、完全に経営者を意のままにあやつることはできない。仮に経営者を操ることができたとして、環境問題や社会問題を解決しつつ業績を上げて利益を出せる能力があるなら投資家ではなく、経営者としてバリバリ活躍した方がよいと思うが、そんな能力が備わっていたら苦労しない。

また、βアクティビズムが妥当するのはMPTを採用し、市場全体のパフォーマンスを気にしなければならないユニバーサルオーナーに限られ、彼らの活動だけで、投資先の会社を通じたESGの改善を図ることは難しいと思われる。仮に彼らの活動だけでESGの改善ができるのであれば、民主的正統性を欠く巨大資本を通じた極めて強力な権力が生まれてしまうが、果たしてそれでいいのだろうか。

加えて、βアクティビズムが苛烈化し、企業にとって上場コストが高まると、非上場化が進んでしまい、投資を通じた市場全体のパフォーマンスの改善が難しくなってしまう可能性がある。テクノロジーの発展によって資金調達がしやすくなっていることと一連の規制強化により、上場がそのコストに見合わないとして上場企業が減少する傾向にあることが指摘されている(Davis, G.F. (2015) ‘What Might Replace the Modern Corporation: Uberization and the Web Page Enterprise’, Seattle University Law Review, 39(2), pp. 501–516.)のに、さらに上場コストが増加してしまうと、ますます非上場化が進むのではないかと思う。

とあーだこーだ批判を書いてみたけど、とても面白かった本なので、ESG投資について興味がある方にとっては必読ではないかと思っている。

Dissertationの調子は良くもなければ悪くもない。リサーチはそれなりにひと段落したので、明日からは、集めた論文を読んで理解し書いてみる、という作業に移行しよう。

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