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「しょうゆ」と地質の関係とは?『「美食地質学」入門」より

引き続きマグマ学者、巽好幸著『「美食地質学」入門』より、醤油と地質の関係について。醤油は発酵食品ですが、発酵には酵母菌、乳酸菌、カビ(麹菌・クモノスカビ)を利用します。

酵母    :パン、ビール、ワイン、醤油
乳酸菌   :チーズ、ヨーグルト、醤油
麹菌    :日本酒、味噌、醤油
クモノスカビ:紹興酒、テンペ(インドネシアの大豆発酵食品)

今回紹介する醤油の場合、麹菌を使って大豆や小麦を「麹」にし、麹に塩水を加えて「諸味」とし、乳酸菌や酵母によって発酵させて作ります。

⒈醤油の起源は「和歌山県」

醤油の起源として最も有力な説が禅僧・覚心の偶然。覚心は中国留学から帰国後、1227年今の和歌山県日高郡由良町にて興国寺を開山。

そして地域住民に中国から持ち帰った金山寺味噌とその作り方を紹介。この味噌作りの過程で桶の底や味噌の上に溜まった汁で食物を煮ると良い味になることを発見。

和歌山県湯浅町 金山寺味噌販売店(2022年5月撮影)

これが「溜まり醤油」の始まりという。

溜まり醤油とは、大豆のみを原料に使った濃口醤油のことで、小麦のみを用いるものは「白醤油」と呼ばれます。

ちなみに後述する関西の淡口醤油(うす口醤油)は、塩水の塩分濃度を上げて酵母による発酵を抑えて色を薄くし、米を醗酵させた甘酒を加えた醤油。

本書 第2章

⒉鉄分の少ない地質が必要な醤油作り

由良町発祥の醤油ですが、実は醤油製造が栄えたのは由良町ではなく、その隣町の湯浅町。これには「鉄分」が大きく関係しています。

湯浅醤油の伝統を受け継ぐ醤油屋「長角」(同上)

穀類のデンプンを発酵可能なブドウ糖にするためには、鉄分の含まれた水では難しい。デンプンを麹菌を使ってブドウ糖にする(糖化という)ためには、鉄分が水に含まれていると糖化が進まないのです。

したがって、醤油の製造には、鉄分を含まない水が必要。

ところが由良町の水を育む地質は、鉄分を含む玄武岩の入った混在岩。したがって由良町で醤油を製造しようとしてもなかなか糖化が難しかったのです。

一方で湯浅の河川や地下水は、鉄をほとんど含まない砂や泥の地層を通り抜けてくるため、麹菌の働きを最大限に生かせるのです。湯浅の人たちは「湯浅の水が醤油作りに適している」と言いますが、その原因は地質にあったのです。

本書:第2章

⒉瀬戸内海に広がった醤油作り

和歌山県の由良で始まり、湯浅で開花した醤油作りは、瀬戸内海の兵庫県「龍野」や香川県「小豆島」に広がります(つまり素麺の産地と同じ)。

「八日目の蝉」の舞台となった小豆島の寒霞渓より、瀬戸内海を望む(2014年撮影)

瀬戸内海沿岸地域の気候は、瀬戸内式気候とのことで、夏は太平洋からの高気圧、冬は大陸からのシベリア高気圧を四国山地や中国山地が防いでくれるために1年中雨の少ない乾燥した地域。このため稲作には適さず醤油の原料となる小麦や大豆の生産が盛ん。

小豆島:ヤマロク醤油にて(同上)

そして、瀬戸内海周辺の地質は、鉄分をほとんど含んでいない花崗岩や流紋岩が多いため、醤油作りにピッタリの環境だったのです。

本書:第2章

しかも海運によって大坂などの大消費地にもアクセスしやすかったことも利点。

⑴小豆島の醤油

小豆島で醤油が作られるようになったのは、大坂城築城がきっかけ。小豆島に石を求めてやってきた人たちが醤油を持ち込み、これに興味を持った島民たちが湯浅へ出かけて製造技術を会得したといいます。

石を運ぶのと同じように大阪方面に出荷したそうです。

小豆島 内海湾の夕景(同上)

⑵淡口醤油を発明した龍野の醤油職人

もともと龍野は武士から転身した人々が営む酒造業の多い土地でしたが、龍野の水は発酵の進みにくい軟水だったので生産効率が悪く、灘の中硬水の宮水を使用した辛口の日本酒には勝てず、酒造りは次第に衰退していきます。

一方で、龍野の職人たちは、鉄分が少なく、発酵が遅いという龍野の軟水の特徴を生かして、原材料の風味を生かした上品な味わいの醤油の開発に成功(1666年、丸尾孫右衛門などによる)。

これが淡口醤油(薄口醤油)。

素材や出汁の味を生かした料理に最適の龍野淡口醤油は、関西の食には欠かせない調味料となったのです。

⒊関東濃口醤油の成立

江戸に幕府が開かれて大都市として江戸が発展し始めると、上方(関西)からの物資(下りもの)供給だけでは江戸の人口は賄えず、各種食料品の地産地消の一環として関東でも醤油製造が盛んになります。

ヒゲタ醤油:銚子工場(2020年撮影)

中でも信州の味噌技術を持ち込んだ「野田」、漁業を通して紀州と交流があったことから湯浅周辺の人々が移住して醤油文化を伝え、さらに灘の酒造技術を取り入れた「銚子」が一大生産地に(詳細は以下参照)。

さらに、これを決定的にしたのが「利根川東遷」による水運の発達。つまり東京湾に流れ込んでいた利根川を太平洋側に流れるようにした江戸幕府の大治水工事です。

関東の醤油は龍野の軟水を使った醤油ではなく、カルシウムやマグネシウムの多い中硬水。したがって昆布出汁との相性は良くありませんが(昆布出汁と水の相性については以下参照)、

鰹節や味醂と組み合わせた江戸前寿司に必須の「ツメ(煮詰め)」、うなぎ蒲焼の「タレ」、そして蕎麦の「ツユ」など、関東ならではの食文化を演出。

ヤマサ醤油:銚子工場(同上)

以上、なんと毎日何気なく使用している醤油にも地質の奥深い関係があったのですね、恐るべし地質学です。

*写真:小豆島から瀬戸内海を望む(2014年撮影)

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