音楽とデジタルデトックス
皆さんは「SNS疲れ」を感じたことはありますか。
「SNS疲れ」とは、見たくないものを見てしまったり、他者と自分を比べて自己嫌悪に陥ったりすることなどが原因で、SNSを使うことが負担になってしまう状態のことを言います。
私もSNSで「誰かが誰かを叩き、その誰かをまた別の誰かが叩く」という誰も幸せにならない光景を見るたびにSNSに嫌気が差します。
この「SNS疲れ」の対策として挙げられるのが、PCやスマホなどのデジタルデバイスから距離を置くことでストレス軽減をはかる「デジタルデトックス」です。
なぜこのようなことを話しているのかと言うと、先日私のスマホのsimが壊れてしまい、デジタルデトックスをすることを余儀なくされたからです。
しかし、デジタルデバイスから離れたら何をしたらいいのでしょうか。
たとえば映画
たとえば漫画
たとえば星座
たとえば瞬間
たとえば永遠
たとえば憂鬱
たとえば成長
たとえば青春
たとえば恋愛
たとえば官能
たとえば交感
たとえば喪失
たとえば過去
たとえば未来
たとえば現在
たとえば
────────音楽────────
ということで皆さん、SNSに疲れたら音楽フェスに行ってください。
私は先日、PK shampooというバンドが主催するPSYCHIC FESというイベントに行ってきました。
PK shampooをはじめ好きなバンドがたくさん出演するため、行かないという選択肢はありませんでした。
中でも1番のお目当ては私の人生に最も影響を与えたであろうバンド「挫・人間」です。
先ほど突然「たとえば〇〇」を列挙し始めて怖かったと思いますが、あれも挫・人間の「ソモサン・セッパ」という曲の歌詞です。
PSYCHIC FESには、以前一緒に挫・人間のライブに行ったことのある大学の後輩を誘って2人で行きました。
おかげで移動中も暇することはありませんでしたし、入場時は彼女にデザリングしてもらって電子チケットを表示させることができました。
彼女…!?
おい。愚2よ。お前。
なに女の子と2人でライブ行ってんだよ。
こちら側の人間じゃなかったのかよ。
安心してください。
こちら側の人間です。
その子彼氏いますし。
なんなら彼氏も私の友達ですし。
おい。愚2よ。お前。
なに友達の彼女誘ってんだよ。
好きなバンドが共通しているから誘っただけです。
その友達も然り私の周りでは性別関係なく好きなバンドのライブに一緒に行っている人はわりといます。
それに、私は認証局という第三者機関から去勢済み同然の無害な男であるという証明書が発行されています。
友達もそれをわかっています。
付き合いが長いですし。
これは一緒に行った後輩とのやり取りです。
私は家を出るとスマホで連絡が取れないので確実に電車を決めておこうという話なのですが、最後の方に気になる言葉がありますね。
「漏らさない」
これは、どういうことなのでしょうか。
先ほど以前一緒にライブに行ったことがあるとお話ししました。
その日、私は彼女と会う前にうんちを漏らしました。
近くのトイレに入るまではいけました。
しかし、荷物を置く場所がありません。
トイレの床になんて置きたくないと葛藤しているうちに時間を浪費しました。
結局そうも言っていられずに床に置きました。
しかし、ベルトがなかなか外れません。
そうこうしているうちに「ド派手にいくぜ!」といううんちのカットインが入りました。
ド派手にいきました。
一度家に帰ってシャワーを浴びて着替えました。
それが原因で、待ち合わせの時間に遅れそうになりました。
ギリ間に合いましたが、遅れるかもしれないということは伝えてあったため、なぜ遅れそうになったのか理由を聞かれました。
正直に答えました。
「ド派手に漏らした」と。
理由なんて適当に誤魔化せばいいのに、ウケるために漏らしたことすら話してしまう。
もうお分かりでしょう。
私がいかに無害か。
男とは、狙っている女性の前では自分の悪い部分をとことん隠そうとする生き物だと思います。
脱糞COなんて論外です。
おい。いつまで糞漏らした話してんだよ。
音楽フェスの話どこいったんだよ。
そうでしたね。
見たバンドすべてが良くてどのバンドについても言及したいところですが、非常に長くなってしまうため、挫・人間について語らせてください。
知らないバンドの話なんて興味ないかもしれませんが、曲についても語るので少しでも気になった方は、いえ、全人類聞いてください。YouTubeにもあります。
曲の紹介には私個人の解釈が入りますのでご了承ください。
こちらがセトリです。
リハ
一生のお願い
本編
ソモサン・セッパ
セイント・ギロチン
人類
恋の奴隷
セルアウト禅問答
ゲームボーイズメモリー
絶望シネマで臨死
一生のお願い
「何度生まれ変わっても君と巡り合いたい」というような曲なのに「一生のお願い」なのが趣深いですね。
好きな歌詞です。
ただ「生まれ変わっても君と巡り合いたい」というだけならありがちなテーマかもしれませんが、見つけだす方法が「笑ってもらうこと」なのも素敵ですし、そのために「ふざけよう」というカッコつけていないところが魅力だと思っています。
私も人を笑わせるためなら自分を犠牲にしてしまうところがあるのでこの歌詞が刺さります。
今うんちのことを思い出しましたね?
ソモサン・セッパ
この曲を聴くと”覚醒”します。
「一生のお願い」との温度差にビビるかもしれませんが、個人的にはこれぞ挫・人間と感じる曲です。
サビ前までは「歌」と言うよりは「喋り」という感じです。
好きな歌詞です。
私は学生時代に軽音部でギターボーカルをやっていたのですが、挫・人間のコピーバンドで破滅的な歌ばかりを歌っていました。
なぜなのでしょうか?
「自分に自信がないからで〜す!」
正統派にかっこよくキメられる自信もないし、歌のうまさにも自信がない。
だったら、破滅的な歌で盛り上げてやろうと。
そんな私にすごく刺さる歌詞です。
サビの歌詞です。
ここから「歌」になり、”覚醒”します。
そして、「例えば映画」という歌詞から流れが変わり、最後の「例えば音楽」からのラスサビで完ッ全に”覚醒”します。
“覚醒”したい人は絶対に聴いてください。
セイント・ギロチン
最新の曲です。
挫・人間は度重なるメンバーの脱退でボーカルとベースの2人だけになってしまいました。
バンドのMVなのに登場人物が2人だけなのも面白いし、いない楽器の音が聴こえてくるのも面白いです。
人類
初期の方の挫・人間の曲です。
最近の曲よりも怨嗟がすごい曲ですが、これぞ挫・人間だと思います。
ライブではみんなで「人類が」と何度も叫びます。
側から見たらめちゃくちゃ怖いかもしれません。
好きな歌詞です。
わかる。このメンタルで生きていきたい。
恋の奴隷
恋について歌った正統派な青春ロックという感じの曲で、尖りまくった曲よりも聴きやすいと思います。
それでいて、歌詞はちゃんと挫・人間なのが最高です。
好きな歌詞です。
恋について歌っている曲なのに、この自己肯定感の低さですよ。
自己肯定感の低い人間が恋をすると、ちょっとしたことで相手に嫌われているのではないかと不安になったり、最悪のパターンばかり想定してしまうという人間臭さが滲み出ていて最高です。
セルアウト禅問答
四つ打ちバンドが流行っていた時に、いかにも流行に乗らなそうな挫・人間が四つ打ちの曲をやった面白いのではないか、と思って作った曲だそうです。
四つ打ち曲ということでキャッチーで聴きやすいと思いますが、この曲も挫・人間らしさは全開です。
サビまでは「歌」というよりも「喋り」で、真っ当な曲のように思えます。
しかし…
サビ前に”覚醒”してしまいます。
これこそが挫・人間です。
好きな歌詞です。
SNS疲れの話でも書きましたが、まさにSNSでよく見る光景ですよね。
ブルーハーツの「弱い者たちが夕暮れさらに弱い者を叩く」という歌詞の引用ですが、それをさらに叩く人たちがいる、というのが現代っぽい視点ですよね。
もう8年前の曲ですが。
1番好きな歌詞です。
陰キャの自分だったら同類の陰キャのことを理解して寄り添ってあげられる。だから自分みたいな人のことを救いたい。でも本当は人を救った気になって自分が救われたい。
私も私みたいな人間を元気づけられたらと思って文章を書いていますが、誰かに共感されることで自分が救われたいという思いがまったくないと言ったら嘘になります。
個人的に刺さりすぎて困っています。
ゲームボーイズメモリー
全オタク聴いてくれ!!
子どもの頃にポケモンを通ってきたオタクは特に!!
いまだにポケモンやってるオタクは特に!!
こんなにノスタルジーに浸ってしまう曲は他にありません。
「君はまだポケモン言えるかな」と「ぼくはまだポケモン言えるから」という歌詞は、大人になって遠くに行ってしまった「君」と昔のままの「ぼく」の対比だと思います。
「遠く」というのは物理的な距離ではなく、結婚したり、社会人として地位を確立したり、前進している人たちを見て、自分だけ置いて行かれているように感じてしまう、心理的な距離だと解釈しています。
他人事じゃなさすぎる…。
周りの人たちは前進しているのに、私はあの頃と変わらず「ポケモンに詳しいやつ」にとどまっています。
助けてください。
いや、この曲に少し救われています。
そしてなんと言っても最後の歌詞です。
天才すぎませんか?
絶望シネマで臨死
怖そうですが、キャッチーで聴きやすい曲だと思います。そしてゴリゴリにカッコいいです。
ライブでは「↑↑↓↓←→←→BA」という振り付けを一緒にやるのが楽しくてとても盛り上がります。
この曲を好きな人全員がこの歌詞を好きだと思うので逆張りで触れないという選択肢もありましたが、さすがに触れざるを得ませんでした。
何度も希望を打ち砕かれて傷ついても、懲りずにまた希望を抱いてしまう。最初から希望なんて持たなければ悲しむことはないのに。希望は何度も人生を惑わせてくる病気だ。
真理です。
これからも希望に惑わされて生きていきましょう。
いつか自分でも気づけないくらいの希望に惑わせられたらいいな。
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