見出し画像

ぐっちゃんとは何者か/キャリア編

自己紹介

あらためまして、そしてはじめまして。デザイナーぐっちゃんです。
改まって自己紹介を書くことも少ないので新鮮ですが、ぐっちゃんとは何者や、みたいなものが少しでも伝わると嬉しいです。


経歴

カンタンに僕の経歴を書いておきます。
現在37歳/大阪在住/デザイナーです。シンプル〜!

今こうしてデザイナーをやっておりますが、美大・芸大・専門等は出ておらず、高卒後はとにかく自由に遊びたくて、人生の迷子みたいな感じで数年フリーターをしてました。バイトに明け暮れ、車とバイクの免許を取って友だちと遊びたおす毎日を過ごしていたのですが、21-22歳の頃、近所に住んでいた高校の同級生と出会ったことで転機を迎えます。

僕のバイクは左から2つめ。ツーリングやキャンプに頻繁に出かけていて、楽しかったです。

僕はもともと絵を描くのが好きで、教科書やノートの端にひたすら落書きをするようなやつだったのですが、それを覚えていた同級生が「絵がうまいし、デザイナーにでもなったら良いんじゃないか?」と言ってきたのです。「なるほど、絵が描けるとデザイナーに向いているのか。ヨコモジの職種、カッケェなぁ!」と、まぁなんとも軽い気持ちでデザイナーを志すようになりました。
(補足すると、高校時代にとっていた「商業デザイン」という科目でPhotoshop6,Illustrator9に触れていたのも1つのきっかけです)

とはいうもののデザイナーになるにはどうしたらよいのか。いきなり現場に入るのは不可能だし、とにかくちゃんと学ばねばと、勉強できそうな学校を探すことにしました。そうして見つけたのがデジタルハリウッドの社会人向けコースでした。
デジハリに決めたのは、一刻でも早くデザイナーとして働かねばと焦っていて、短期+週1で通う形が良さそうだと考えたのと、いくつか見てきた中でデジハリが一番就職に近そうに見えた、というのが理由です。

デジハリ時代

Webが盛んになり始めていた時期で、他の方がWeb系のコースを受ける中、僕が受講したグラフィックデザインコースはたった8名。講師の方は、現役バリバリ・キャリア30年近いグラフィックデザイナーで、厳しい指導にさらされます。

デジハリでは課題として、名刺・CDジャケット・フライヤー・エディトリアルなどなど、色々取り組んだんですが、レビューがまぁ厳しいのなんの。思うように作れない、アウトプットが絶望的に上手くないので、胃がキリキリと痛む不安な日々を過ごします。

講師の方が口癖のように言っていたのが「君たちのデザイナーへの夢をぶっ壊す」でした。とんでもないことを言うなぁと思っていたのですが、実際、デザイナーという仕事は非常に泥臭く、華やかな側面はほぼありません。何度も何度も、寝食削ってやり直したり、時にはケチョンケチョンにされる、みたいなことも多くあります。
これだけやればデザイナーとして一流、なんてこともなく、講師の方はデザイナーとして戦うマインドを作ってくれたんだと思います。
もちろん、厳しいだけではなく24時間相談に乗るからと、Skypeで連絡を取り合い、いつでもレビューやアドバイスをしてくれました。

そして濃厚な数ヶ月が過ぎ、全くうまくなる実感が持てない(これはシンプルに自分のセンスの無さをまざまざと突きつけられた結果)まま、カリキュラムが終了。自信はないが、それなりに作品もできたので、あとは場数を踏めばうまくなるはずやと、就活を始めます。

卒業制作の一環で、福岡までバイクで走りに行ったりもした

就活〜最初の職場

就活は大変でした。そもそも書類に通らない。ハローワーク、マイナビ、リクナビと、当時使える手段は全部使って就活を進めます。結局、途中休憩も挟みながらデジハリ卒業後、数ヶ月してようやく、最初の会社に拾ってもらうこととなりました。

最初の会社は、主に総合衣料品店のチラシを作っている、10人にも満たない小さな会社でした。僕の指導係についたのは、同い年のデザイナーで、すでに3年目。日々僕の指導をしながら、ヨコでバリバリ作業する先輩の姿は尊敬しかないし、3年過ごしたらここまでなるのか(いやなれるのか?)と不安しかありませんでした。

未経験として入ったので、僕ができる作業は多くありません。大きな会社ではないので、雑務はほぼ僕の仕事。備品発注・来客/電話対応・お茶出し(毎朝、みんなの分のコーヒーやお茶を淹れる+来客時のお茶出し)は、ほぼ僕がやってました。当時社会人としてもデザイナーとしても、お世辞にも立派とは言えない(今もどうかわからないけど)僕を、ちゃんと使えるようにするための大事なフェーズだったと思います。
むしろ、こういう部分でしか今の自分ではバリューを出せないのは自明の理だったので喜んでやってました。ぶっちゃけ「今ちらし作れって言われても困るし!無理だよ!」とも思ってました(アカン)。

とはいえ、デザイン会社に入ってデザインしないわけにもいかない。チラシ制作にグラフィックデザインの基礎すべてが詰まっている、という話があり、じわっとチラシ作りに足を踏み入れます。

最初にやったのは、B4片面の2色刷りのチラシの、1/3程度のエリアに、商品情報をきれいに配置すること。先輩にレクチャーを受け、いざやってみるんですが、これがマジでむずい。普段横で先輩が高速で組んでいるので、まぁできるだろうとか舐めてた自分を呪いたいレベルの難しさ。参考チラシを眺めたり、試しに作ったりを繰り返し、見せては真っ赤になって返ってくる日々。なんと1/3のエリアのレイアウトだけで一週間を使い切ります。
こりゃやべぇなぁと自分でも思わざるを得ない…。(なにより先輩も思ったでしょう)

そこからは徐々に作業のステージが上がっていきます。
担当者との原稿確認、商品情報の流し込み、画像手配、毎週行われるクライアント会議用に原寸カンプを切り貼り...などなど、1週間が飛ぶように過ぎていきます。

先輩たちはフルカラーのチラシも作っており、商品物撮り・モデル撮影などなど、幅広く作業されていたので、その作業の手伝いをさせてもらったり、時間が空いたときは、撮影現場にお邪魔させていただくこともありました。

小さいながらも、本当にいろいろなことを教わったし、先輩たちもとても優しく厳しく指導してもらいました。最初は1週間かけて片面1/3を仕上げていたのに、退職直前(入社8ヶ月後)には、両面でも2日もあれば完成させられるまでに至りました。間違いなく、会社としてデザイナーとして、最高のスタートを切らせてもらったと、今でも感謝しています。

ピザ屋、ときどき、デザイナー。

さて、感謝しているといいながら、色々と事情があり、僕は8ヶ月で辞めてしまいます。早々に次に転職したのか、というとそんなわけもなく、Portfolioを作り直す、とかいう名目で、ここから2-3年程度、またアルバイト生活に戻ります。就職前にバイトしていたピザ屋に戻り、日々ピザの配達をする毎日です。

そんなとき、前職の先輩から、InDesignをさわれるデザイナーを探している会社がある、という連絡があり、期間限定で別の会社にオペレーターのアルバイトとして赴くことになりました。(実は、最初のPortfolioはInDesignで作っており、そのことを覚えていた先輩が声をかけてくれたのです)

アルバイト先のデザイン会社では、とあるカタログのInDesignCS5への移植作業が行われていて、僕はそこに混ざることになります。宮崎駿にちょっと似た、初老のベテランデザイナーさんのもと、日々カタログ制作。ここでも非常に良くしていただき、なんとかデザイナーとしての職を保つことができました。
カタログ制作が終わったあとも、なにかにつけて、期間限定でヘルプ要員として呼んでいただき、次に就職するまで、ずっとお世話になっていました。

デザイナーとしてのキャリアを固める

27歳になった僕はいよいよ焦り始めます。デザイナーを名乗ってはいるものの、明らかに経験が足りない。ものは作れるけど、とてもじゃないが立派とは言えない。このままだと沈んでしまう...。そう思い、またしても就活をスタート。何社か面接をして、最終1社に拾っていただきます。それが僕の前職です。

ここからはほぼ記憶にないレベルの激務。もちろん、デザイナーとして大きく成長したのも、ここのおかげですが、とにかく忙しい。ありとあらゆるグラフィックデザインに携わります。チラシ・パンフレット・パッケージ・看板...なんでも来い。業種業態も様々で、可愛いものを作ったかと思えば、こんどは超お硬いものを作る、なんてこともザラ。
納期も超絶シビアで、今日聞いて明日には出さなきゃいけないとか、来週には入稿です、みたいなことも多々ありました。否応なしにスピードと振り幅が広がる、まさに武者修業フェーズ。

そしてそこから2年半が過ぎ…色々すったもんだあり、デザインチームのサブリーダー的なポジションにもついたり、クライアントとやり取りしながら、暴れまわる精力的に活動する日々…。様々な案件にも携わり、入社したときに比べると明らかにレベルも上がりました。そろそろ次のステージへ…そんなことを思い、転職活動をこっそりと始めました。

そんなときです。
普段そんなに関わりのなかった経営陣の中のひとりの方(Aさん)が、声をかけてきました。

新天地・東京へ

転職意思を固めきっていた僕は、Aさんと率直な意見交換を行います。正直もう辞めたい、もう潮時だ、みたいな話をした記憶があります(とんでもないやつだし、オススメはしません!)

「東京いかへんか?」
じっと聞いていたAさんが言いました。

要するにちょうど一年前、会社が東京支社を立ち上げていたので、そこへ異動しないか、という話でした。東京支社は立ち上げ1年、メンバーもまだ7人程度。人手を求めてはいるけど、なかなか採用も難しい。僕はかねてより東京へのあこがれを話していたので、ちょうどいい!となったのでしょう。

これは割と願ってもない話でした。たとえば、会社をやめてゼロから東京に行くよりも、仕事を持ったまま、よく知っている人に囲まれて働くほうがいいのではないか。
でもここで良いのか。そんな迷いもあり、わりと強気の交渉をして、結局東京行きを決めました。

東京でのデザイナーライフ

30歳にして、ついに東京へ足を踏み入れた僕は、日々興奮。職場は恵比寿で、通勤ルートに渋谷があるもんだから、渋谷に降り立つたびに(しかもハチ公前)、あぁ俺は東京にいる、という気持ちで、なんとも言えない気持ちになったものです。

東京に行ってからは、また怒涛の日々でした。「ぐっちゃん、Webやろっか」という話で、Webデザインなんてしたことないのに、Webの世界へ足を踏み入れます(実装までやるわけではなく、コーディングはWebチームにお任せ)。
もちろんながら、グラフィックで戦い続けた僕がいきなりできるわけもなく、コーダーさんたちに指導を受ける日々。しかし、独学+実務を通してのWebデザインではわからないことが多すぎる。
コーディングまではできなくてもいいかもしれないが、せめてWebのお作法は知っておきたい、そう思うようになり、人生二度目のスクール探し。結局、渋谷と新宿に拠点を置くWebスクールに通うこととなり、みっちりWebについても学びを深めました。
これは本当に行ってよかったと思っていて、明らかにWebデザインのクオリティが変わり、コーダーさんにも褒めてもらえることが増えました。

もちろんグラフィック案件もめっちゃやりました。ガンガン打ち合わせにも行くし、クライアントともゴリゴリにやり取りをしながら、慌ただしくも楽しい日々は過ぎていきます。
デザイン以外にも新人育成や、部署リーダー(主任?)、会社の育成方針策定に参加するなど、多くの経験もさせてもらいました。当初は7人だった東京事務所も、退職する前には30人にまで増え、組織の拡大というのも経験。大変なことはたくさんありましたが、それでも充実した日々だったと思います。

大阪へ

東京に来てから4年が過ぎ、家庭の事情もあり、大阪へ戻らなければならなくなりました。そのまま大阪事務所に戻ることも検討はしたものの、新しい環境で働いてみたい、UIUXをもっと深堀りしたい気持ちもあり、帰阪するとタイミングで6年半勤めた職場を去ることにしました。

帰阪前日のハチ公前。コロナの影響でほとんど人がいない。

そして、大阪に戻ると同時に本格的なコロナ禍の襲来。退職後、しばらくは個人で仕事を受けながらのんびり過ごしていたのですが、やはり生活の安定のためには組織に所属したほうが良さそうだと思い、転職活動を開始。
次に所属するなら、UIやUXに強そうな会社・リモートOK・欲をいうと複業もしたい、と考え転職活動。2020年の夏に、条件に合う会社に出会い、再就職し、今に至ります。

今現在は、本業と副業の二足の草鞋でデザイナーとして活動しています。本業はWebやUIの領域が多く、副業はグラフィックがほぼで、上手いこと棲み分けができているなと思ってます。

流れに身を任せてたどり着いた現在地

改めて振り返ると、局面局面では自分自身の判断で行動してきましたが、デザイナーとして明確な指針を持って行動してきたわけではありません。
グラフィックを極めたい・水野学さんや佐藤可士和さんみたいなデザイナーになりたい!という思いを持っていましたが、きづけばWebもUIもやるようになっています。

でも結果、やれることの幅がどんどん広がっているので、これはこれで良かったのではないでしょうか。
指針はない、と書きましたが「これしかやらないと決めていない」だけで、デザインでご飯を食べたい・デザインがうまくなりたい・クライアントが求めるものに答えるには何がいるか、を考えてきた結果の現在地です。

AIの台頭が目覚ましい昨今です。今後デザイナーという職種がどうなるかもわかりません。
でも、デザインを必要とする人はまだまだ世の中にはたくさんいます。時流を見極めながら、うまく合わせていければ、これからも生きていけるんじゃないか、そんなことを思いました。

こんなかんじのボクですが、どこかで会うことがあれば、よろしくお願いいたします!笑

最後に僕のキャリア遍歴を図式化したものをおいておきます。

こう見るとデザイナーとしてそれなりにキャリアを積んだなと思う

正直なところ、今20代前半でしっかりデザイナーをしている若手の方たちみんな素晴らしい。同じ年齢の僕に見せてやりたいし、そんな僕でも、十数年やれば、それなりになれるのだから、みんな焦らず頑張ってほしいなと、そんなことを思いました。

どれだけやっても、まだまだ地平線は広がってるし、まだ歩けると思うので、負けずに頑張っていきたいですね!

なんかいい感じの写真見つけたので。

X(旧Twitter)もやってます。

そんな大したことはつぶやかないんですが、たまにデザインのこととかキャリアの話をつぶやきます。よかったらフォローしてください!https://twitter.com/gucchaaaaan33

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?